第十六話 アリサ、バイトをする。
王子たちは朝方、王城へと帰っていった。
……本当に大変な一日だった。
試験は無事、全員通過。
後日、教官に聞いてみたところ、笑いながらこんな事を言っていた。
「退学? そんなはずないだろう。負けただけで退学になるなら、試験のたびに生徒が半分ずつになってしまうぞ」
学力試験の成績があまりに低すぎる場合だけ、落第や放校になるのだと。
負ける練習までしていた私の苦労は一体なんだったんだろう。
そして今、私が何をしているかというと――。
§ § § §
「いらっしゃいませ! エール三杯、こちらになります! はい、そちらのお客さんは、燻製と蜜酒ですね!」
酒場で丈の短いメイドのような格好をして、ウェイトレスの真似事をしている。
入学してすぐの事、私は入学金の肩代わりをして、ほぼ全財産を使い切ってしまった。入院中は医務室で最低限の食事は出して貰えたけど……。
私には、もう生活費がない!
昼食は学校の食堂で提供されるけど、それ以外の食事は一緒に連れてきた召使いに作らせるか、貴族用のレストランで外食をするか、食堂に追加料金を支払って作って貰うか……というのが騎士学校での普通。
私の場合、色々訳ありだから仕事をしないと飢えてしまう。
食事だけじゃなく、日々使う消耗品にもお金がかかるので、稼がないといけない。……制服とかね。
「ごめんなさい、アリサさん。私なんかのために仕事までさせてしまって」
「いいから、いいから。付き合ってくれるだけありがたいくらいよ」
肩代わりの負い目から、ヨーコが仕事に付き合ってくれていた。
お詫びに給金の全額を私に差し出すなんて言うから、それは丁重にお断りした。
「でも、これ……流石に恥ずかしいから、皆には内緒ね?」
「もちろんです」
ヒラヒラしたスカートを摘んで照れる私に、ヨーコが笑いながら答えてくれた。
派手な酒場の制服姿をクラスメイトに見られるのは、ちょっと恥ずかしい。
短い休憩時間も終わり、私たちは仕事へと戻る。
「へへへ……ネエちゃん、いいケツしてんじゃねえか」
こんな事を言って触ろうとする客には、軽く避けて対処した。
酔っ払っているのと、触ろうとして体を傾けていた姿勢から、その客は派手に転倒してしまう。
ここは王都とはいえ、市民の酒場。
がらの悪いごろつきや、荒くれ者の冒険者たちが次々とやって来てはお酒を注文する。こういった、あまりお行儀のよくない客のあしらいも仕事の一つだ。
「鶏の丸焼き二つに、エール四つでしたね! お待ちどうさま!」
先程の客を避けたその先のテーブルに、運んでいた料理を置く。
置いた矢先に向こうの席から怒号が聞こえてきた。
「おい、酒に虫が入ってんぞ! この店は客に虫を飲ませる気かぁ?」
さっと駆けつけ、魔法剣を瞬時に取り出し、難癖をつけてきた客が手に持っている『明らかに酒に入っていたには大きすぎる虫』を微塵切りにして、鼻先に切っ先をちらつかせる。
「お客さん、虫……ですか? でしたら、代わりのお酒をお持ちしましょうか?」
「い……いえ、け……結構です……」
迷惑客はそそくさとお会計を済ませて、逃げるように帰っていった。
私は騎士学校の生徒という事で、ただの給仕だけでなく用心棒としても働いている。店主からは「少しくらい派手にやってくれていい」という許可も得ていた。
乱暴な客には乱暴で返して構わないというのは、日本にはなかった考えで、最初は少し困惑したけどすぐに慣れた。
……日本と違って乱暴な客が多いから。
§ § § §
それから数時間。会計をごまかそうとする客や、いきなり喧嘩を始める客を撃退したりといった事があったものの、ようやく勤務時間が終わりに差しかかった。
――そんな折。
「きゃああああっ!!」
ヨーコの声だ。
すぐにそちらに目を向けると、ヨーコが客に腕を掴まれている。
「ちょっとぐらい、イイじゃねえか。ネェちゃんよぉ……」
スキンヘッドに、ごつごつとした筋肉質。身長は二メートル近くといった、『いかにも』なごろつきが、ヨーコの腕を捻り上げていた。
酔った勢いでヨーコを誘ったけど断られ、無理矢理……といったところ。
「助けてぇっ……!」
ヨーコの二度目の叫びに、一足飛びで駆けつけて魔法剣を出しつつ、ヨーコを捻り上げている右腕を斬りつけた。詠唱している暇もないし、何よりこんな悪漢相手に刃引きにする必要はない。
一応、悪漢とはいえ、完全に切断してしまわないように加減だけはした。
「痛ってえっ!!」
男の腕から血が噴き出し、痛みに耐えかねた男がヨーコから手を放す。
私は乱暴に投げ飛ばされたヨーコを空中で抱き止め、店の隅へと運んで降ろした。
「お待たせ。間に合った?」
「はい……!」
あ、まるで恋する乙女のような顔になっている……以前にもこんな事があったような。お姉様と呼ばないように、あとで釘を刺しておこう。
「お姉様、後ろっ……!!」
えっ? 今、お姉様って言った?
そう思いながらも振り返ると、悪漢が右腕の恨みとばかりに、逆の腕で殴りかかってきた。
それを剣の腹で受け流し、合わせて私もくるりと回って思いきり蹴りつける。
男の体は九十度横へ、椅子やテーブルを次々と薙ぎ倒しながら吹き飛んだ。
そのまま壁に激突して、悪漢は仰向けで倒れた。
その腹を踏みつけて、私は言い放つ。
「お客様、乱暴は困ります」
「乱暴なのは……どっちだよ……」
口答えする男を全力で踏み直し、作り笑顔で返事をした。
「はい?」
「す……すみませんでしたァァーッ!!!」
「お会計はあちらです」
私が足を離すと、適当に代金を置いて男は一目散に逃げていった。
「ありがとうございます……お姉様」
「お姉様はやめて……」
§ § § §
「ありがとぉございますぅ、お姉様ぁ~ん」
大げさな感じの声真似が、店の外から聞こえてきた。
窓の外には見憶えのある顔、見憶えのある眼鏡が――。
ヨーコを助けた時よりも、何倍も早く外へと駆け出して窓の裏へと回る。
着崩した制服、額に色眼鏡……エンタちゃんだ。
「見た?」
「見ました」
弾むような嬉しいような『いいものを見た』というような声でエンタちゃんが言い返した。その明るい声に反して、秘密を知られた私の顔は青ざめていく。
「この事は、皆には内緒に……」
「すると思います?」
「何か奢るから、ね?」
「ノン! ダメです。それでは、私は失礼させて戴きますね?」
にやにやと笑いながら、後ずさる彼女。じりじりと少しずつ追い詰めようとする私。彼女の一際大きな靴音が鳴ったと同時に全速力で追いかけた。
複雑な路地をいとも簡単に駆け抜ける彼女には、毎日森を走り回っていた私でも追いつけなかった。流石は情報通……王都の裏路地にまで『情報通』だったなんて。
私に出来る事は消えゆく彼女の背を見つめて、言いふらさないで欲しいと願う事だけだった。
§ § § §
翌日、柄の悪いごろつきや、荒くれ者の冒険者たちが大勢来るはずの酒場は――。
「お姉様、お芋のサラダをお願いしますわ」
「私にも」
「お姉様、こちらにはシードルを」
「私には葡萄パンを」
「蜜入りミルクを」
「お姉様、こっち向いて! キャー!」
「お姉様」「お姉様」「お姉様――!」
騎士学校生だらけの女の園と化していた……。