第二百三十五話 追憶
――私は鈴城澪。いわゆるJKだ。
人生の楽しい時期を謳歌している他のJKと違って、今の私はただの抜け殻。
私が五歳の時、最愛の姉が死んだ。
私と同い年の子供の身代わりになって、交通事故で……という事らしい。
その日は日曜日。大急ぎで剣道の道場から帰ってきた姉と、一緒に姉の大好きなテレビを観る。ささやかな幸せを感じる瞬間が待っているはずだった。
そんな幸せだった時間は、突然な姉の死で幕を閉じた。
本当に大好きだった。
当時の私の口癖は、おねえたんのおよめさんになる。
今でもその気持は変わらない。姉が生きていれば……の話だけど。
愛する姉がいなくなった今、私の中から全てが抜け落ちてしまっていた。
事故のあった翌日に、姉が助けたという女の子とその両親がやって来て、私と家族に謝罪をしていた。玄関の前で土下座している家族を恨もうにも、憐れみと同情心しか感じる事が出来なかった。
姉を轢いたトラックの運転手は、最後まで謝罪に来なかった。
来たのは保険会社の代理人だけ。それも事務的な謝罪と、お金の話ばっかり。
慰謝料の件が解決すると、保険会社の人も来なくなった。
恨むなら姉を轢いた運転手を恨みたかったし、姉を返せと喉が潰れるまで罵声を浴びせてやりたかった。
――十年以上も経った今では、そんな事はどうでもよくなって、生きているのも虚しいし、死ぬのも面倒。ただ無為に日々を過ごしていた。
両親からも教師からも、進路を決めろと言われていたけど、それすらどうでもいい。適当に決めた無難な大学に入って、適当に決めた就職先へ行くんだろうな……と考えていた。
多分、私には大学生活を楽しむ事も出来ないだろう。
私には姉だけなんだから。ずっと友達も作らなかったし、これからも要らない。大学だって、一人ぼっちで通って、きっと一人ぼっちで卒業する。
そんなつまらなさを感じていたある日、不思議な夢を見た。
§ § § §
透き通るような、安らぐような……優しい声が聞こえる。
「澪さん……澪さん、起きて下さい……」
夢の中で目が醒める。
そこは、全てが真っ白な世界だった。
真っ白な柱が立ち並ぶ平原に白い椅子が備えつけられ、壁も天井もない建物から覗く空も不自然に真っ白。覚醒した私は、その椅子の一つに座らされていた。
更に私と向き合うようにしてもう一つ椅子があり、そこには白いドレスを着た女が座っている。言葉を失ってしまうような綺麗な顔立ちに、流れるようなしなやかな金髪。均整の取れたプロポーションは誰が見ても羨む。
……そんな美しい大人の女だった。
「やっと目醒めましたね、鈴城澪さん。お久しぶりです」
お久しぶり?
この女は何を言っているんだ?
私の中でこの女の印象が、美しいから怪しいに変わった。
「お忘れになったのですか? よく、思い出して下さい……」
以前に逢っている?
そんなはずはない。
こんな綺麗な人、一度見たら忘れるはずがない。
「綺麗だなんて、照れてしまいます……」
今、私……綺麗だなんて口に出した?
出してない。どうして……。
「どうして? 私はあなたの心の声を聞いているんです」
考えた事が全部分かるって事?
「その通りです」
化けもの……。
「化けものなんて失礼な。私は女神――『創世の女神』です」
女神と名乗ったその怪しげな女は、私にもう一度思い出すように促した。
何度も記憶を掘り返して、過去へ過去へとさかのぼる。
「あ……!」
「思い出しましたか?」
この女……女神は確かに一度、夢の中で逢っている。
あんなの私の願望が生みだした、ただの夢だと思っていた。事実、今も夢の中にいる。
その夢というのは、姉が死んだ数日後の夢だ。
§ § § §
今回逢った女と同じ女。
小さいかった当時、恐怖すら感じる程の完璧な美貌だったと感じていた。
「鈴城澪さんですね?」
「おねえさん、だれ?」
「異世界を司る女神です」
これでも、精一杯子供に分かるよう教えたつもりなのだろう。
五歳の私には異世界などと言われても理解不能だった。
女神と名乗ったその女は、異世界とは何かを何時間……夢の中だから、時間なんてないのだろうけど、とにかく長い時間をかけて、根気よく教えた。
「あなたのお姉さん、亜理沙さんは異世界で生きています」
「おねえたんは、しんじゃったんだって」
「お父様、お母様から『天国で暮らしてる』と聞いているでしょう。その天国……みたいなものですよ」
「じゃあ、あたしもてんごくいく!」
当然の答えだった。
無理だという女神に、何度も天国に行くと駄々をこねる私。
「それでは、こうしましょう。あなたがもう少し大きくなって、自分の事に責任が持てるようになったら、また迎えにきます」
「せきにん……?」
「ご両親と、お姉さん……どちらが真に大切か、本当の意味で分かるようになったら……という事です。お姉さんに続いて、あなたまで天国に行ってしまったら、ご両親も悲しむでしょう?」
そう言われて、姉が死んだと知らされた時の、両親の顔が浮かんだ。
何日も泣き腫らしたあの姿は、子供心にも辛かった。
この夢を見たその日も、両親はまだ泣いていた。
「うん……。じゃあ、やくそく。ぜったいむかえにきてね……!」
「ええ、必ず。約束しましたよ」
§ § § §
「あんた、あの時の女神ね」
「そうです」
「律儀に約束を守りに来たっていうの?」
「はい。あなたももう十八。ご両親と、死んだアリサさん。どちらが大切か、もう心の中で決まった頃でしょう?」
当然だ。
五つの頃の私は、少しだけ迷った。でも、今は躊躇などない。
「あんた、私の心が読めるんでしょ? だったら、分かるんじゃない?」
「そうですね」
「お姉ちゃんの世界へ、私も連れてって――!」
心を読ませるまでもなく、私の願いが口に出ていた。
死んでもいいはずの私がここまで生きてきのは、この迎えが支えだったから……頭で憶えていなくても、心が憶えていた……と、今なら分かる。
「もう、ご両親と逢えなくなりますよ。本当にいいんですか?」
「いいよ。親の愛情も、老後も、全部妹に任せる。どうせ、今回も親の枕元に立つんでしょ?」
「察しがいいですね」
私が小さい頃に見た夢は、両親も見ていた。
姉が遠い異世界で生きていると告げる女に出逢ったと。
不思議な事もあるもんだ。皆で一緒の夢を見たんだから、きっと亜理沙は本当に異世界で生きてるのかもな……と、父は言っていた。
「両親には、適当に言っといてくんない?」
「承知しました。では、本当に後悔はないのですね?」
「ないって言ってるでしょ? 早く連れてってよ」
「そうですか――では」
姉が生きている世界、姉の住む世界。
やっと行けるんだ。姉にもう一度逢えるなら、今この場で、この怪しい女神に殺されたって構いはしない。
「まず、転生特典を決めて下さい」
「転生特典?」
「はい。あなたが向かう世界は、魔法が飛び交い、怖ろしい魔物が跋扈する危険な世界です。平和な世界から来た人間では、すぐに死んでしまいます」
私は、高校で世界史を教えていた早川という教師が、授業の合間にそんな雑談をしているのを思い出した。小説に影響され過ぎな変わりものの先生……と、いう事で生徒の間では有名な教師。
確か、転生特典は慎重に選べ……だったかな?
「ええ、慎重に選んで下さいね。あなたのお姉さんは、あまりに……あれでしたから……」
「あれって? お姉ちゃんは何を選んだの?」
「……見損ねた『撃龍戦隊リュウケンジャー』の最終回を見せろと」
「あっはっはっは!」
思わず私は笑ってしまった。実に姉らしい。
こんなに笑ったのは、何年振りだろう――?
ひとしきり笑った後、私は女神に尋ねた。
「その、転生特典って何でもいいの?」
「はい。最強の魔法、使い切れない程の大金、誰にもない特別なスキル……能力。なんでも一つだけ、大いなる力を授けましょう」
「わかった。じゃあ……」
生唾を呑み込んで、私の言葉を待つ女神。
「私を……もう一度お姉ちゃんの妹として、生まれ変わらせて!」
それを聞いた女神は椅子から転げ落ちた。
あいたたたと言いながら、ぶつけた腰をさすってもう一度席に着く。
「ちょっと……あなたまで、アリサさんのような役に立たない願いを……」
「ううん。私にとって、これが一番重要。それ以外はどうだっていい」
「分かりました。では、アリサさんの妹として転生するのは標準装備……という事にしましょう。それ以外に何か一つ……」
「何か一つって言われても、他に何もいらないんだってば」
馬鹿につける薬はない、といった表情で頭を押さえる女神。
欲しいのはただ一つ……『姉の亜理沙』
ただ、それだけだ。
「本当に、あなたたち姉妹は……」
そうして、私は姉と同じ世界へと旅立った。
§ § § §
転生した先は、姉と同じレッドヴァルト家。
その二女として生まれ、やっと姉に出逢えた。
「お姉ちゃんでちゅよー!」
そう言って笑顔を見せる姉に、心の底から嬉しさを感じた。きっと前世の時も姉は、同じ事を私に言っていたんだろう。
しかし、喜んだのもつかの間。
姉は私が二歳の時に、騎士学校とかいうとんちきな学校へ行ってしまった。必死に泣き叫んで止めたが、二歳児の癇癪と思われて両親になだめられてしまった。
姉が騎士学校へ行ってしまってから一年。
跡取りとしての淑女教育が始まり、ジーヤという召使いが私に礼儀作法を教えながら、時折姉の事も話してくれた。
姉は六歳の頃から、『赤の森』という森で修行していたと言う。……姉が六歳なら、私は三歳だ。まともに歩けるようになってすぐ、誰にも秘密で森へと赴き、姉がいない寂しさを埋めるため、ひたすらモンスターを狩り続けた。
六歳になった今、様々な魔法を手に入れ、魔力を増幅させる『精霊』とも契約。おそらくこの国で、私の右に出る魔導師はいないだろう。それが自惚れではないと分かる程の実力を手に入れていた。
あとは、あの放蕩者の姉を探し出して、もう一度再会するだけ。
出来るだけ派手に、出来るだけインパクトのある再会を。それが、四年間も私を放っておいた姉に対する『報復』だ。
レッドヴァルト領に帰ってきたという姉の後をつけて、ピンチの時に颯爽と現れ、その不甲斐なさを笑い飛ばして、私が必要だと思い知らせてやる。
木々の太枝に隠れながら、こっそりと姉の後をつける。
「うふふふ……たのしみですわ。お姉さま、どんなかおをするかしら?」
私が木の上でほくそえんでいると早速、姉のピンチ。
大量のリザードマンに四苦八苦している。敵の数はおよそ一千。対する姉はもう、最悪のじり貧状態。
さあ、私の出番だ――!




