第二百三十〇話 帰郷
レッドヴァルトへの道程は、およそ六百キロメートル。期間にして一週間半。
三人でアイシーの背に乗って、指示を出しながらまっすぐに進んだ。
アイシーはかなり力持ちな犬で、女三人程度なら余裕でその背に乗せる事が出来る。その状態で、全速力とはいかないけれど馬程度の速さで走れる。流石はタクシー替わりの生きものだ。
途中、関所でちょっとした騒動があったり、路銀稼ぎが必要になった事もあったけど……無事、レッドヴァルトにたどり着いた。
「お別れは寂しいけど、またね。アイシー……」
名残り惜しさを感じながらも、アイシーに別れを告げる。
彼は頭をぺこりと下げると、仲間たちの下へと去っていった。
私は達成感のようなものを感じて、懐かしい草原に体を投げ出した。
§ § § §
しばらく草原で休みを取って、私たち三人はギルドへと足を向ける。
四年ぶりのレッドヴァルト・ギルド。おちついた外観の建物で、いかにも街の酒場といった雰囲気はそのままだ。
「ただいま!」
大きな声で門扉をくぐる。
そこで酒盛りをしていた冒険者たちが、驚いて私の方を見る。カウンターの奥にいるオヤジさんも、私を見て目をぱちくりさせた。
「おお! お姫さんじゃねえか……元気にしてたか!」
「うん。今帰ってきたよ、ただいま!」
酒場スペースを賑わす冒険者たちの顔ぶれは変わっていたけれど、オヤジさんは以前のまま。相変わらずの禿げ頭が、私に懐かしさを感じさせてくれた。
領主のお姫様が帰ってきたという事で、今日の酒代はオヤジさんの奢りに変更。冒険者たちも大喜び。遠慮なんかは一切しないで、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになった。勿論、ジルもその騒ぎに乗じて、暴飲暴食の限りを尽くした。
そんなに儲かってるギルドでもないのに、ジルにまで奢って大丈夫かな……?
私とカナは、蜂蜜入りのミルクをちびちびと飲んで、オヤジさんに依頼の達成報告をする。スパーク・ギルドで受けた依頼だけれど、事情を説明するとオヤジさんは快く承認をしてくれた。
明日にはネットワークを通じて、スパーク・ギルドにも報告してくれるとか。
そういえば、ギルドのネットワークというのは、どういう方法で国中に情報を届けているんだろう……と疑問に思って、私はオヤジさんに尋ねてみた。
「ネットワークって、どうやって通信しているの?」
「ああ、そりゃな……これだ。他のヤツらには内緒だぜ?」
そう言ってオヤジさんがカウンターの奥をごそごそと探すと、頭程の大きさもある水晶玉を取り出した。まるで、オヤジさんの頭が二つあるみたい。
「どのギルドにも、この水晶玉があってな。これに話しかけると、繋げたいギルドと話が繋がるのさ。全ギルドと一斉会話……なんて事も出来るんだぜ?」
「へえー……」
ギルド限定の電話……みたいなものかな?
「ありがとう、オヤジさん」
「いいって事よ。お姫さんが帰ってきた『お祝い』って奴だ」
ランド山の事件はこれにて、一件解決。
今日一日は、この宴会騒ぎを楽しんだ。
§ § § §
本来なら娘として、ギルドより先にお城に顔を出さないといけないんだけど、達成報告を優先して、帰郷の知らせを後にしてしまった。申し訳なく思っている私は、おそるおそる実家の門を叩いた。
父上、怒ってないといいんだけど……。
そんな心配は杞憂に終わり、門が開くと召使いたちが大歓迎をしてくれて、両親も優しく迎えてくれた。
四年前、騎士学校に行くと言った時は猛反対されたけど、騎士どころか『剣聖』になって帰ってきた事で、『自慢の娘』って事になっているみたい。僻地であるレッドヴァルト領にも、私が『剣聖』になったという話は十分に広まっていた。
そういえば、ジーヤが剣聖領の代官をしているのも父上の計らいだったっけ。
両親にただいまの挨拶とお礼を言い、久しぶりの我が家で晩餐。
同席したジルは、貴族なのに食事が黒パンだと酷く驚いていた。
食卓に何故か妹がいなくて、母上に聞いたら『一五になったら婿を取って家を継ぐから、それまでは自由にさせて欲しい』と進言して、まだ六歳の身で旅に出たらしい。姉妹揃ってお転婆が過ぎるとたしなめられた。
なんでも、『お姉様を探す』と言っていたとか。
よく両親の許可が下りたなと思っていたら、旅を許さないと絶対に家は継がないと、血筋の断絶を盾にごり押ししたんだとか……。本当に私に似て、奔放な妹だ。私といい妹といい、両親には本当に申し訳なく思っている。
そして、そのまま実家で二泊。
ゆっくりと旅の疲れを取って、次の冒険……とは言っても、まずは懐かしの『赤の森』……ここで、久々の『狩猟者』業をしようという話になった。
§ § § §
薄暗く、魔物も多い危険な森『赤の森』――私とカナは九年間、ここで遊び、ここで修行をした。
「今まで来たどこの森よりも、薄気味悪い森ですわね……」
「まあ、そういう森だからね」
ここに慣れっこな私は、苦笑いしながらジルのぼやきに答えた。
カナも意地悪な笑いを浮かべて、ジルをからかう。
「もしかして、聖女サマ……怖ーのか?」
「そっ……そんな事ありませんわ!」
私とカナは笑いながら、ジルは憤慨しながら、この恐怖の人食い森を歩いた。
――そして、狩りは順調に進んで、何匹もの角付き動物を狩る。
「あら、思ったより大した事ありませんでしたわね……」
「危ないのは、暴走熊くらいじゃない? 魔族領寄りの所まで行くと、もっと危ない魔物も出るけど……」
「じゃあ、奥に行こーぜ? アタシの『後がま』が誰になったかも知りてーんだ」
好奇心で目を輝かせるカナ。
彼女は魔族だから、魔族領寄りに出る魔物自体は知っていて、その強さも分かっているけれど、後任者が誰なのかを知りたいようだった。
これだけ歩いて見かけないのだから、相当奥に入っていかないと後任者とは逢えそうにない。
三人で森をさ迷う事、五、六時間。
かなりの数の魔物と遭遇し、その魔石と素材がジルの胸へと収納された。
「結局、後がまとは逢えず仕舞いだったな……今日はこれくらいにすっか」
というカナの言葉で、今日の探索はお終い。
さて、お城に帰ろう……そう思った時。
「きゃあああぁっ!!」
森の中を悲鳴が木霊する。
十数年前にも聞いた事がある、この森での悲鳴。
思わず私は、振り返ってカナを見る。当然、彼女は私の傍にいる訳だし、今の彼女がここで叫ぶ要素は一つもない。
……とすると、別の誰か。
「今の聞いた?」
「ええ、聞きましたわ」
「だな……急がねえと、やべーぞ?」
「……いこう!!」
――私たちは踵を返し、声の聞こえた方へと走り出した。