第十五話 血闘
王太子の正室、次期王妃。
それは、貴族のご令嬢として考えるならとても魅力的な話だけど……。
私は制服をはだけて、シュナイデン戦の傷痕を見せる。
「私はこの通り、体中傷痕と火傷だらけで、とてもお妃様には向かないと思いますけど……」
「この俺が斯様な些事を気にするとでも思ったか? 騎士の傷はむしろ勲章だ」
「えーっと……では、家格……! 私の家では家格が合いませんので!」
「『では』とは何だ、『では』とは。それよりも、辺境伯ならば充分過ぎる程ではないのか?」
「え……っ? 辺境伯って、辺境のど田舎に追いやられた下級貴族じゃ……」
私の言葉を聞いて、王太子殿下が吹き出し、側近たちも肩を震わせている。
レオパルトに至っては、声を殺して無言で笑い、腹まで抱えている。
「どう聞いたかは知らんが、辺境伯は侯爵に並ぶ上級貴族だぞ? 辺境に飛ばされた伯爵ではなく、辺境を守護する伯爵だ。国を維持する上で、最も重要な役割を持つ」
え……? それって、私の考えていた『辺境の伯爵』と全く逆じゃ……。
私は先刻の失敗よりも真っ赤な顔になって、スカートの裾をぎゅっと握りしめながら俯いた。
この時の私は、戦隊マスクなしでもレッドと名乗れるくらい、真っ赤になっていたんだと思う。
「ですが、ワルツ・ギル・フォン・シュトルムラント王太子殿下……!」
目上の貴族や王家の方々には、フルネームと敬称を。それが貴族の礼儀作法。噛みそうになりながら王太子殿下のフルネームをやっと言い終えたところで、王太子殿下が被せるように言ってきた。
「気軽に『王子』……で構わん。ここに居る他の者は皆、『王子』と呼んでいるだろう? それに、これから夫婦となるのだ。何なら呼び捨てでもよいぞ?」
あ……もう、お妃様確定なんだ。
どうしよう……?
「で……でも、私には夢が……」
それでも食い下がろうとするけど、もう断る理由が一つもない。
外堀を全部埋められて、もう『お受けします』の言葉しか残されてない私はただ、でも……と口ごもる事しか出来ない状態になっていた。
そんな私を見かねて、王太子殿下……いや、王子が口を開く。
「良いだろう。それでは、こうしよう」
王子は立ち上がって腰の細剣――レイピアを抜き放ち、私の眼前で止めた。
「決闘だ」
不敵に笑う王子。
「お前が負けたら、俺の妃になれ。……お前が勝ったら、お前の思い通りにして構わん。どうだ?」
「王子……」
「これなら、悔いはないだろう?」
「恩情に感謝致します……」
私は王子の情けに感服し、再び頭を垂れ、膝を折った。
――でも、やっぱり武闘派王子だったよ!
§ § § §
外は既に夜になっていた。
大きな月と満天の星々が、淡い色の明かりになって闘技場を照らしている。
私と王子は、先程まで試合が繰り広げられていた闘技場に立っていた。
「ルールは『参った』と言うか、動けなくなった者の負けだ。俺が勝ったら、お前は俺の妃に、お前が勝ったらお前の好きにする。それでよいな?」
「はい」
「これは殺し合いではない。くれぐれも無理だけはしてくれるなよ?」
私は頷き、もう一度はいと答えて覚悟を決める。
絶対に勝って、冒険者になるんだ。
「剣を抜け。……確か、騎士学校からの報告によると『スキル』で作り出すのだったな」
「はい、《剣創世・刃引きの剣》!」
私の右手に刃引きの剣が握られる。
現れた剣に片眉を上げ、王子が尋ねてくる。
「それは……《剣創造》の魔法か?」
「流石王子、ご存知ですか……」
「宮廷魔導師が使っているのを何度か見た事があるんでな。由緒ある騎士学校の『スキル』試験を、魔法で入学とは……。ますます面白い女だ」
嬉しそうな表情で笑った後、その顔は少し苦々しそうに変わる。
「うむ……しかし、『刃引き』か。これは舐められている……と取るべきか?」
「『殺し合いではない』とおっしゃったのは、王子ですよ?
それに、これの威力は、既に試合でご覧になったはずです」
「それもそうか」
「王子こそ、スキル宣言はよろしいんですか?」
「スキルなど闘いながら使える。でなければ、王太子など務まらん」
細剣を水平に構え、私に向ける王子。
私は一礼、軽く頭を下げる。
「失礼しました」
「うむ。では……ゆくぞ!!」
駆けこみながら、呟くように《神速》のスキルを宣言する王子。
宣言と同時に、飛躍的に踏み込む速度が上がる。
真っ向から細剣を、私の刃引き剣に打ち当ててくる。鍔迫り合いの形となり、それに応じながら私は尋ねた。
「その剣、細いのに頑丈ですね」
「だろう? 王家の宝剣の一つで、全てミスリルで出来ている。そこらの大剣如きでは折れぬ代物よ」
ミスリル――前の世界にはなかった金属で、この世界ではまだ珍しい鋼を超える硬さと、同時にしなやかさも持ち合わせた、理想のような白銀色の金属。
非常に高価で、この刀身全てがミスリルだとすると、この細剣一本で一体いくらするのか……考えただけでも身震いがする。
「しかし……このままでは、俺が迫り負けるな……。《剛腕》……《爆腕》!」
《爆腕》……初めて聞くスキルだ。剛腕の時点で、私が押していた迫り合いが均衡になり、二つ目の宣言で、私が押される形になった。
「うおおおおっ!!」
王子が叫び、体重を乗せて細剣を押し込む。
剣と剣が打ち合ったまま体ごと引きずられてうき、あっという間に舞台を越え、私の背が客席の壁に打ち付けられた。
「《爆腕》……凄いですね」
「だろう? 流派の秘伝だ」
「ですが……」
私は、王子の腹に足をかけて思いきり蹴り飛ばし、引きはがした。
後ずさった王子が腹を押さえつつも剣をこちらに向けて牽制、二人の動きが止まる。
「王族を足蹴か……普段なら『不敬罪で死刑』ものの行いだな」
「ですね」
「だが、これは決闘だ。不問としよう」
「ありがたきお言葉……!」
今度は私から斬りかかる。
一足飛びにフロントフリップ――前転宙返りで間合いを詰め、回転も利用して鋭い剣閃を繰り出す。
それを、すんでの所で躱す王子。驚愕の瞳……いや、刮目する瞳。
「あははは! それだ――。決勝で見せたその技よ! それを見て、本気で妃にしたいと思ったのだ!」
私のさまざまな角度の斬撃を受け止めながら、嬉しそうな顔をする王子。
王子からも返礼の刺突がいくつも飛び、私もそれを躱し、止める。
「ありがとうございます。……ですが」
「『断る』と、言うのだな?」
「はい!」
語り合いながら、激しく剣を何合も交わす。時には避け、時には受け。
攻守が何度も入れ替わり、時を忘れて私たちは打ち合った。
ミスリルの剣、一歩間違えれば命を落とす戦い。それでも……。
――楽しい!
騎士学校では感じた事のない、純粋な強者との力の比べ合い。
赤の森でカナと一緒に魔物を狩っていた頃の、あの森林を駆け回る楽しさとも違う、別の昂ぶる気持ちが私の胸を一杯にした。
それでも、楽しい時間はいつか終わりを告げる。
「そろそろ、本気で行くぞ……! お前も本気を出せ! 《重連三連撃》!」
王子が宣言し、細剣を繰り出す。
繰り出す先は、私の魔法剣に直接――!
連続した重い攻撃が剣を激しく震わせる。手が痺れて、剣が弾き飛ばされる。
王子は勝利を確信し、笑みを浮かべて私を見つめて、大ぶりになった細剣を引き戻して私に向けた。
「参った――!」
§ § § §
参った――そう叫んだのは王子だった。
「二本目が出せる上に、無詠唱どころか魔法名まで破棄とはな……。俺の完敗だ」
剣が飛ばされた瞬間、私は王子の最後の刺突を紙一重で避けた。
避けると同時に、もう一本の剣をとっさに創り上げていた。
刃の付いた剣なら、一瞬で創り出せる。私はそれを痺れていない左手で掴み、王子の喉元に突き付けた。
「王子に刃を向けた事、お詫び申し上げます」
寸止めでよかったはずの刃は、瞬間の出来事に少しだけ当たってしまっていて、王子の喉をほんの少しだけ赤く滲ませてしまっていた。
王子はその滲みを純白の手袋で軽く拭うと、私に宣言した。
「構わん。負けは負けだ。今回は諦めてやる」
「えっ……? 『今回は』?」
「そうだ。三年後、お前が卒業するまで待ってやろう。三年後には気が変わっているかも知れぬだろう? 次こそは妃にして見せるからな!」
「では、それまで王子のお気持ちが変わらなければ、考えさせて戴きます」
私は一礼すると、社交辞令を告げる。
……次も絶対にお断りするつもりだけど。
私には夢があるから。
「……『考えるだけ』か?」
「はい。『考えるだけ』です」
疲れきった私たちは同時に大地へと背を預け、大きな声で笑いあった。