第二百二十五話 領主
ヒストリア嬢から逃げるようにして、次の街ガンマ・ジンにやって来た。
彼女が追いかけてくるかも知れないという恐怖に怯えながら、ガンマ・ジンでは三日間、目立たない依頼だけをこなして過ごす。
三日目、私を追ってきたヒストリア嬢が、少しだけ私を探してこの街を通り抜けてしまう。決め手は、執事の一言。
「はっ……! 僭越ながら、夜逃げ同然に出ていかれた『剣聖』様が、見つかりやすい隣街に滞在するとは到底思えません!」
アーチャーさん、お手柄。
これからは安心して依頼を受ける事が出来ると思った、その次の日の事だった。
一目で貴族用と分かる豪華な馬車が、宿の前に停まる。
正確には、いくつかの宿で停まっては出て、停まっては出てを繰り返し、ここに着いたのだけれど。
私たちが泊まる宿の前に停車すると、少しして階段を昇る音が聞こえ、私たちの部屋のドアがノックされる。
「『剣聖の姫君』アリサ・レッドヴァルト様のお部屋はこちらでしょうか?」
続いて、少々高めで綺麗な女性の声が聞こえた。
私は微妙に嫌な予感がする中、ドア越しに返事をした。
「はい……そうですけど」
「我が主キング・オーレンが、ご高名な『剣聖』様を晩餐会にご招待したいと申しております」
キング・オーレン――今いるこのオーレン領の領主の名前だ。
つまり、私を食事会にというお誘いなんだろう。
私が答えあぐねていると、ジルが乗り出してきて、勝手に返事をしてしまった。
「晩餐会!? それは、是非参加させて戴きますわ!」
まだ何を考えているのか分からない貴族相手に、食べもので釣られるなんて……普段は切れ者なのに、こんな時だけ残念になるのがジル。彼女が返事をしてしまったため、私は警戒する時間も与えられず、晩餐会に出席する事になった。
何より、ここガンマ・ジンは、領主の名を冠する城下町オーレンから馬車で二日もかかる。こちらに来るまで二日、折り返して二日の計四日。日程を合わせて準備をしていると思うから、そんな大がかりな晩餐会を断るのは失礼に値する。
だから、答えは参加しますの一択だったんだけど。
ドアを開けて、私も是非と答える。
綺麗なメイドさんに連れられ、豪華な馬車へと乗り込む。
§ § § §
馬車に揺られて二日、城下町オーレン。
中央通りを抜けて伯爵城へ。
ここの領主は邸宅ではなく、お城に住んでいる。私の実家と同じ石造りの城だ。
玄関の前に停まると、二日間旅を共にしたメイドさんが馬車の中から、別の召使いへと言伝を依頼していた。
「おもてなしのを準備をしておりますので、もう少々お待ち下さい」
馬車が着いたのは昼だから、晩餐……夜まで待機するための客室を用意しているんだろう。三十分もしない内に別のメイドさんがやって来て、中へと案内される。
まずは、客室ではなく応接室へ通され、領主キング・オーレン伯の挨拶を受ける事になった。
「ようこそお出で下さいました、『剣聖の姫君』様」
そう言ったのは、十二、三歳くらいの小さな少年。
その豪華な身なりから、貴族の令息だって事は分かるのだけど……伯爵らしき人は見当たらない。
「あの……伯爵様は……?」
「私が、オーレン家当主キング・オーレンです。隣は婚約者のドリンナ」
少年の隣にいた、これもまた幼い少女が、スカートの裾を摘んでお辞儀をする。ここの領主がこんなに幼かったなんて、私は驚きのあまりに言葉を失った。
しばらく呆然としていた私を、ジルが肘で打って正気に戻させる。
「あっ……。すみません! こんなに、小っちゃ……いえ、お若い領主様だなんて、思わなかったものですから……」
「あはは。他の方も皆同じ反応をされますので、お気になさらず……」
見た目に反して、大人な対応をするオーレン伯。
「改めまして、オーレン家当主キング・オーレンです。このたびは、ご来訪戴き誠にありがとうございます。『剣聖の姫君』様にお逢い出来て、光栄です」
自然に手を差し出され、握手をした。
とても十二、三の子供とは思えない、礼儀正しい挨拶だった。
一応、私も貴族の子女として教育を受けてはいるけど、こんなにしっかりした挨拶は出来そうにない。
先程の失礼もあり、恐縮しながら返答する。
「あ……あの……アリサ・レッドヴァルトです。お招き戴きありがとうございます」
それから、彼に促されソファへと座る。
最初は緊張していた私だけど、話し上手聞き上手なオーレン伯の話術で、打ち解けるまでに時間はかからなかった。
§ § § §
しばらく話をしていると、誰かが勢いよくドアを蹴り開けて入ってきた。
「若旦那、そりゃねーぜ!」
乱入者が開口一番に発した言葉がこれだった。
半身の鉄鎧――ハーフプレートに身を包み、腰には長剣、背には盾。
オーソドックスな戦士風の男。冒険者といえば『これ』という感じの出で立ちだ。露出された両腕が大きく盛り上がっていて、相当の手練だと分かる。
若旦那というのは、オーレン伯の事だろう。
「こら、来客中だというのに……。申し訳ありません」
オーレン伯が彼を叱責し、替わりに謝った。
多分、彼は伯爵の関係者なんだろう。
「いえ、お気になさらないで下さい。ところで、そちらの方は?」
「私が専属で雇っているAランクパーティ、『超力のクリスタル』……リーダーの戦士、スマッシャーです。王国内に三組しかいない、全員がAランク冒険者のパーティなのですが……」
悩ましげに額を押さえながら紹介してくれるオーレン伯。その伯爵の言葉をさえぎって、スマッシャーと呼ばれた男は大声で抗議を始めた。
「狡いじゃねえかよ、若旦那! Sランクの『剣聖』サマとやらが来るからって、俺たちはお払い箱かよ!」
「お払い箱……誰が言ったんだ、そんな事」
「メイドたちがヒソヒソ言ってたぜ? 今日はSランクの『剣聖』サマが呼ばれて来てるってな。つまりSランクサマを雇うから、Aランクの俺たちはもう要らねえって事だろ?」
「……こういう訳なんです。早とちりが過ぎるのが玉にきずで」
雇い主に不必要なまでに顔を近付け、唾を飛ばしながら喋る戦士スマッシャー。
オーレン伯はその顔をどけるのに四苦八苦している。
そんな二人を見て、私は納得した。
でも……よくそんな早とちりな性格で、Aランクになれたなって感心する。
「で……若旦那。その『剣聖』サマとやらは、どこにいるんですかい? てっきり、ヨボヨボのジジイが来てると思ったんですがねえ……?」
きょろきょろと辺りを見渡すスマッシャー。
確かに、先代のマスター・シャープはお爺さんだけど……。
「こちらが、『剣聖の姫君』アリサ・レッドヴァルト様だ」
「……って、女じゃないですか! こんな小娘が、俺を超える『剣聖』ぃ~?」
今度はじろじろと眺めて、私を値踏みする。
「信じれねえな、全く。若旦那、俺の方がこんなヒョロい小娘より強そうだろ?」
彼は、二の腕にたくましい力こぶを作って誇示する。
いくつかのポーズをきめると、また伯爵に顔を近付けてアピールをした。
「よし! じゃあ、勝負だ!」
伯爵から顔を離し、にやりと笑うと彼は言った。
「俺たちと『剣聖の小娘』……どっちが若旦那の専属として相応しいか、勝負で決めようぜ!」
「こら、『剣聖の小娘』じゃないぞ。『剣聖の姫君』だ。失礼だろ!」
伯爵……怒る場所、そこ?
「誠に申し訳ありません。うちの冒険者が……」
「いえ、お気になさらないで下さい。……でもこれって、勝負しないと納得して貰えない雰囲気なんですけど……」
そう、目の前の戦士はやる気満々だ。
彼は大きな声で、私に啖呵を切ってみせた。
「そうだぜ、『剣聖の小娘』さんよ! 俺はただ、指を咥えて専属の座を奪われるなんて、ぜってーに納得出来ねえ! 俺もこれで、パーティ全員食わせなきゃならないんでね。これだけは譲れねえよ!」
私は、この勘違いから挑まれた勝負を受ける羽目になった。




