第十四話 王太子
私は、学校の貴賓室に連れていかれた。
王太子殿下はそこで私を待ち構えていた。
貴賓室の一番奥の椅子には王太子殿下が座り、部屋の左右、入り口に向かって侍女と騎士達が並んでいる。それぞれの騎士、侍女がすべて手練れだと分かる隙のない姿勢だった。
特に私を連れてきた騎士団団長と、殿下の左隣に立っている緑髪でウェーブヘアの侍女は、全身からあふれ出さんばかりの気迫で、その強さが見た目だけからも推し量れた。
流石に今、ここから逃げ出すのは命を捨てるのと同義としか思えない。
一人くらいなら何とかなりそうだけど、この人数相手に逆らうのは明らかに自殺行為。
到着するなり、諦めた私は即座に片膝を突き、頭を垂れて最敬礼した。
「よく来たな。レッドヴァルト嬢」
王家の前では、返事を促されるまで口を開いてはいけない。
小さい頃に家庭教師から何度も教わった高貴な方々への礼儀作法だ。
挨拶の言葉の替わりに、私はより深く頭を下げた。
「いや……頭を上げて、楽にして貰って構わん。……むしろ、立ってくれ。その、何だ……見えてしまっているのでな……」
その言葉を聞いて顔を上げると、赤面しながら手で顔を隠している王太子殿下が見えた。騎士達も侍女までもが全員、私から顔を背けている。
そこでようやく私は事態を理解して、慌てて立ち上がりスカートを押さえた。騎士学校の制服はデザインが可愛いけれど、動きやすさ重視でスカート丈が非常に短い。私はその事をすっかり忘れていた。
……恥ずかしい。女神様と同じ失敗をするなんて……!
「も……申し訳ありませんっ……あ!」
思わず反射的に謝罪を口にしてしまった。
――王家に対して先に喋っていはいけない。
私は口を押さえて失言を取り消そうとしたが、もう遅い。
「いや、いい。好きに喋ってくれて構わん」
手のひらをこちらに向けると、王太子殿下は私に『気にするな』と言わんばかりの手振りを送った。
王太子殿下が寛大な方で助かった。
「さて、レッドヴァルト嬢。今回呼んだのは他でもない」
やっぱり『側室』の事? 出来ればお断りしたいな……。
そんな事を考えている私をよそに、王太子殿下が顎で促すと侍女の一人が『魔導具』をテーブルに置いた。
「以前、これと戦ったらしいな。これについて聞かせて貰えないか?」
これは三ヶ月前、シュナイデンとの一騎打ちで使われた杖だ。
心配していた『側室』の話ではなかった事に、私はほっと胸をなで下ろした。
「それは『魔導具』……ですか……?」
「そうだ。没収した『魔導具』だ。何か知っている事はないか?」
「いえ、『魔導具』という名前と、これで沢山《火球》を撃たれた、くらいしか……」
「そうか……」
王太子殿下は、苦々しそうな表情で『魔導具』を握りしめた。
「これら『魔導具』は、全て北方にある『ゾディアック帝国』という国で作られている」
王子の視線が、杖の端から端へと動く。
「そして、彼の帝国が我がシュトルムラントを狙っているという噂も入ってきていてな。そこで魔導具を介して、少しでも構わん。帝国の情報が欲しかったのだが……」
「お役に立てず、申し訳ありません……」
「いや、構わん。『参考までに』という奴だ。当の持ち主も『お父様から授かった』程度しか知らなかったのでな――それに、彼らにも『魔導具』の件について、内部から調べて貰っている」
王太子殿下が室内の右手を指差すと、そこには元正騎士のスプリンゲンさん、ハインゼルさん、レオパルトさん……三人の姿があった。
「彼らには『騎士団の成績不振者』という態で、この学校に潜入して貰った」
「俺たち、上から数えた方が早いのに『成績不振者』とか酷いですよ、王子」
「その方が潜入しやすいからな。前にも説明したはずだ。給金だって特別手当を出しているだろう?」
「そこは有り難いのですが……」
「ならば、それでよかろう。今後とも頼むぞ」
驚く私を置きざりにして、三人の中で一番お調子者、レオパルトさんが王太子殿下に悪態をつく。すると王太子殿下も彼に反論して、二人で笑い合う。
そんな二人のやり取りを見て、他の二人も顔を緩めた。
そして笑い終わると、王太子殿下は真面目な顔をして私に向き直る。
「――さて、ここからが本題だ」
「え……? 今のが本題では……?」
「そんなはずがあるか。『参考までに』と言っただろう。ここからが本題だ」
王太子殿下が真剣な面持ちで、こちらを覗き込みながら言った。
「……何故、俺との見合いを断った?」
「はい!?」
「王家との見合いを断って、騎士学校に入っただろう?」
私は両腕を組み、うーんと唸って思い出そうとした。
確かに第何王子かの縁談を、出発する前に断った記憶がある。
他の貴族からのお見合いも全部断ったけど。
縁談を断った相手がどこの貴族か、第何王子かなんて事は私にとってどうでもいい事だったから、すっかり忘れていた。
私にとって大事なのは、『戦隊』……その一点だけだ。
「確かに……第何王子かは忘れましたけど、王子様との縁談をお断りした記憶があったような……」
「第一王子だ、第一王子。つまり、俺だ!」
テーブルを叩く王太子殿下。横を向いて笑いを堪えている側近たち。
「ともかく、俺との縁談を断った女がどんな女か、それを見に来たんだ」
王太子殿下は照れながら言った。
「王族と婚姻すれば、最高位の身分が保証されて一生安泰だぞ? なにゆえ、それを断ったのだ?」
「それは……。私には夢があって……」
信じて貰えないと思うけど、嘘で取り繕わずに素直に答えた。
眉をひそめて聞き返えされる。
「夢、とな?」
「はい。私には『冒険者』になってこの国の人々を護る、という夢があるんです」
「冒険者……?」
「はい、冒険者です」
「面白い! 俺との見合いを蹴って、冒険者とは。あっはっは、面白い女だ!」
腹を抱え、テーブルを叩きながら笑う殿下。
「聞いたか、お前たち。冒険者になるために、俺との縁談を断ったと!」
笑う殿下に対して、側近は皆、目を丸くしていた。
信じられないものを見たとでも言いたげな反応だ。
「あの……私、何かおかしな事を言ってしまったのでしょうか?」
「冒険者といえば、底辺も底辺。破落戸や食い詰め者がやる仕事だ。貴族の地位も王族との婚姻も全て捨てて、冒険者とはな。まったくもって理解不能だ。……では聞こう、何故冒険者などになろうとする?」
「私が……私の手で、冒険者をごろつきの仕事から、人々を護る英雄……そう世界中に思わせる職業にしてみせるのが、夢なんです」
そう――。六歳の時、初めてギルドで見かけた冒険者たち。彼らは気のいい大人たちだったけど、私の想像していた『戦隊』……いや、『冒険者』の姿とはかけ離れた姿だった。
その時、私は思った。私が『戦隊』のような理想の『冒険者』になろう。そして、『冒険者』は人々を護るヒーローだって世界中に広めるんだって。
「世界中に……か。なんとも馬鹿げた、途方もない夢だな。叶うと思うか?」
「叶えてみせます!」
「あっはっは! それはよい! そのような大望を抱く女こそ、俺の妃に相応しいというものだ! どうだ、改めて俺の妃にならんか?」
「いえ、その……それでは冒険者になれませんから。……あの、お断りしたら不敬罪で死刑……なんて事は?」
「結婚の申し込みを断わられて死刑にするなど、俺をどんな心の狭い暴君だと思ったのだ?」
「それに、私の故郷では一夫一妻が普通で、側室というのも……」
私の最初の故郷、日本。そこでは本当に一夫一妻が普通だった。
こちらの世界での父上も、妻は母上一人だけだ。
こう言ってしまえば、いくら王太子殿下でも諦めてくれるだろう。
「妃といったら、側室の訳がなかろう。無論、正室だ」
「ええっ!?」
「何なら、側室も娶らないと誓ってやろう」
「ええええーっ!?」
今度は私が目を丸くした。
私が王太子殿下の……次期国王の正妻に!?