第二百十七話 森の中
ファミュ大森林――サツリーク公爵領の南に存在する、巨大な森林地帯。
ハカイシンから見るとかなりガンマ・アイ寄りの位置にあり、ハカイシンからアイシーで一日の距離だ。一度行った事があるので、迷わず入り口に到達した。
この森林は、ゾディアック帝国の策略により『狩猟者』が不在となっていて、魔物が生息し放題になっている。
……はずだった。
森林へ入ってしばらく探索をしても、いるのは野ウサギや野ネズミ、小さな昆虫、リスに小猿といった安全な小動物ばかり。大きい動物といえば、鹿を一度見かけた程度。
あれ程沢山湧いて出てきた、暴走熊は影も形もない。
「あれ……、おかしくない?」
「何がですの?」
「前に来た時は、暴走熊があんなにいたじゃない」
「そう言われてみれば……そうかも知れませんわね」
ジルが顎に手を当てて悩み出す。
カナも気配を感じたと思ったら、ほとんど小動物で肩透かしを食らっている。
「まるで、『狩猟者』が管理してる森みてーだな」
「でも、『狩猟者』がいなくなってるから、暴走熊がが出たんでしょ?」
「それもそうだな……。だとすると、本当に熊以上のバケモンがいるかも知れねーな。もっととんでもねーヤツが現れて、森から逃げ出した……って考えるのが自然かもな」
不思議に感じながら、森林の奥へと足を踏み入れる。
それでも出てくるのは魔物でも敵国皇帝でもなく、安全な小動物ばかり。
やっとイノシシに遭遇したと思ったら、私たちを見るなり逃げていく。
一体、この森林はどうなってしまっているんだろう。
§ § § §
更に奥へ、奥へと入り込んで見つけたのは奇妙な物体。
数メートルの大きさを持つ、巨大な白い繭。
「巨大蛾の繭でしょうか……?」
ジルが首をかしげながら、覗き込む。
「だとしても、大き過ぎますわ。巨大蛾の繭なら三メートル程度……これは、ゆうに五メートル以上はありますわ……」
「巨大蛾? 前に来た時、そんなのいたっけ?」
「いませんわね……でしたら、これは何かしら……」
腕を組んで悩み始めるジル。
カナも頭をかきながら、分っかんねーとか言っている。
とにかくここに異変が起きている事だけは間違いなかった。
ただ一つ言える事は、暗黒獅子皇帝ルーヴとは別件だろうという事。
彼の戦闘スタイルは『格闘家』
持っていた沢山の魔導具は、ほとんどが身体強化。特別なものといえば、鎧を出す魔法程度だった。少なくとも、繭を造り出すような魔法は使っていない。
それでも、念のため注意をしながら先に進もう。
§ § § §
「ストップ!」
ジルが腕を水平に上げ、私たちを制した。
何かを見つけたんだろうか。
「すまねー。『ストップ』ってのは、異世界の言葉で……多分、止まれってコトでいーんだよな?」
彼女の口から思わず日本語が出ていて、カナが理解するのに少し時間がかかった。それ程までに、急を要する何かがあったんだと想像出来る。
「ええ、そうですわ。ほら……ご覧なさい」
「ん?」
私とカナがよく目を凝らして見ると、何か細い糸のようなものが一本、木と木の間に張ってあった。
近付くとそれは、硬い鋼糸のようなものである事が分かる。
もし、気付かずにここを通ったら、頭と胴体が両断されていただろう。
「ワイヤートラップですわ」
「迷宮じゃあるまいし、なんだってこんな対人用の罠があんだよ?」
「分かりませんわ。ですが、これは人為的なものである事は確か……怪物は人間か、人型で知能のある魔物……かも知れませんわ」
人の手による罠……。やっぱり皇帝ルーヴ?
それとも、ジルが言った通り知能のある魔物?
「人間と魔物が、それぞれ別々に動いてる……なんてコトは、ねーよな?」
「十分、ありえますわ。もしくは、『怪物』対策に前の冒険者が設置したものという可能性も……」
ワイヤートラップを避けて、相談しながら進む二人。私もその後をついて行く。
その先も結構な数のワイヤーがしかけられていて、罠地帯を抜けるのに結構時間を取られてしまった。
そして……探索する事、三時間。
数人の冒険者が倒れているのを見付けた。
「うっ……ぐあっ……!」
「ううぅ……ぅ……」
「助……けて……」
呻き声をあげて、地面を這いつくばっている。
全員、かなりの深手だ。
咄嗟にジルが駆けつけて、《治癒》を施す。内一人は毒も受けていたらしく、《解毒》の魔法が必要だった。
「もう、これで大丈夫ですわ」
「「「ありがとうございます!」」」
元気になった冒険者たちが、ジルにお礼を言う。
それを聞いたジルは、咳払いをすると高らかな声で彼らに宣言した。
「『竜神様』のご加護ですわ!」
こんな鬱蒼とした森林に来てまで布教活動。……たくましい。
十分程、どれだけ『竜神教』がありがたいかを説き、彼らを入信させる。
そして、誰にやられたのかを尋ねると……。
「気配を感じて上を見たら、高い木の上からでっかい影が振ってきて……俺はがむしゃらに剣を振っていたが、あっという間にやられてしまった」
とは、戦士の弁。
巨大なものが真上から襲ってくる事が分かった。これからは上も気をつけよう。
それに、これで噂の『怪物』が人間という可能性が消える。
ワイヤートラップも冒険者たちがしかけたものだろうと思い、念のため罠をしかけてないか確認すると、こう言っていた。
「俺たちは、そんなものをしかけてないが……前の冒険者の置き土産だろう」
その説明で合点がいった。
置き土産にしては、かなり物騒な置き土産だけど。
次は、魔法使いの話。
「いきなり降ってきた巨大な怪物にやられた。何か人間の言葉のようなものを喋っていた気もするが、応戦するのに手一杯だった」
人語を解する大きな魔物。
一体、どんな魔物だろう……。
最後は、鍵開け師。
鍵開け師は、この世界における冒険者特有の職業。
戦闘よりも鍵や罠を解除するのに長けている。
こういった森林でも、狩人や『狩猟者』が対獲物、対魔物用に設置した罠がある。それを発見し、外すのが彼の役割だ。
「大きな影と一緒に降ってきた棘に刺されて気絶した。気がつくと腹に穴が空いていて……必死に助けを呼んでいた」
戦闘は補助程度でしかない鍵開け師なら、そうなるよね。
でも、棘を持つ魔物という事だけは分かった。
これで『怪物』の姿が、おぼろげにだけど掴めてきた。
「あんたらも、噂の怪物の調査で来たのか? 俺たちはガンマ・アイでこの依頼を受けたんだが……Bランクパーティには荷が勝ちすぎたらしい。あんたらも気をつけろよ」
Aランクの依頼は、Bランク冒険者がパーティを組めば受諾出来る事になっている。これは、Fランクが束になればEランクと同等、Eランクが束になればDランクと同等……という、ランクの原則に基づいた規則となっている。
見たところ彼らは全員Bランクで、かなりの手練。それを簡単に伸してしまうなんて、相当な……場合によってはSランクの魔物かも知れない。
そして手を振って別れを告げると、彼らは入り口へと帰っていった。
私たちはより奥へ。
奥へ行くと低木と高木が複雑に入り組んだ密林となっていき、陽の光がさえぎられ、不気味な雰囲気が周囲を支配した。
しばらく歩くと、上から何かの気配がする。
カナでなくても分かる程の、禍々しくも圧倒的な気配が頭上にあった。
その気配の主は、高木の頂上にいる。低木に隠されてその全貌は分からないけど、かなりの大きさを持った何かだ。
警戒しながら真下へ行き、見上げてどんな魔物かを確認する。
逆光で姿は把握出来ないけれど、かなり大きな影が高木の頂上にいた。
それは私たちの存在に気付くと、一気に飛び上がり、地面へと急降下。
大きな地響きを上げて、私たちの目の前へと着地した――。