第二百十二話 泥棒少女
あっけなく倒れてしまった、『毒蛇』ブラコフ。
私が呆けている間に、カナがブラコフを縄で縛っていた。
ここは丁度、王都。王室近衛騎士団の詰所へ連行してしまおう。
「『剣聖の姫君』! いつもありがとうございます! これで『帝国五騎士』も三人目ですか……」
騎士としては私の方が後輩なんだけど、礼儀正しい先輩騎士。
「こいつも、例によって取り調べておきますね!」
「お願いします」
ブラコフを預けて、あとは騎士団に任せた。
とりあえず、本当にマスター・シャープの弟子なのかという事と、本当は何をしに来たのかを知りたいところ。
取り調べが進めば、きっと報告が貰えると思う。
§ § § §
私とカナは、雑談をしながら帰り道を行く。
「まさか、あのヤローが『帝国五騎士』だったなんてな……」
「そうね。今回は人質もいなかったし、弱いから助かったけど……」
「そーいや、『毒ゲッコー』だっけ? アイツは卑怯だったもんな」
「木の上に登ったまま、降りてこないなんてね」
私たちの話は弾む。
以前なら、私を目当てに人だかりが出来ていたんだけど、王都に帰って三ヶ月も経つと市民が押し寄せるなんて事はなくなった。
街行く人や、軒下の人たちから挨拶をされる程度に落ち着いている。
それでも前の人生よりは、多くの人から挨拶をされる訳だけど。
沢山の人たちとすれ違う中、前からみすぼらしい姿の女の子が近付いてくる。一応この王都は貴族街、平民街、貧民窟に分けられていて、こういった格好の子が平民街を歩いているのはとても珍しい。
女の子は少々ふらつき、私に音を立ててぶつかる。
……この子は……! ……別にいいかな、放っておいてあげよう。
「ごめんよ……!」
女の子は私に軽く謝った後、少し急ぎ足になる。
そうやって通り過ぎようとする女の子を、カナが捕まえた。
襟の後ろを掴んで、軽々と持ち上げて言う。
「このヤロー、それはアリサのだ! 返せよ!」
カナが女の子の手をひねり上げると、その手からぽろりと袋が落ちる。
路上に落ちた袋は、鈍い金属音を奏でた。
巾着の口からは銀貨や銅貨が溢れて落ちていく。
「このドロボーめ!」
怒るカナ。
けれど、私はカナの手を掴んで、女の子の手首から離させる。
「アリサ……なんでだよ? コイツ、オマエの銭袋を盗んだんだぞ!」
「いいのよ、カナ。わざとだから……私、このまま盗ませてあげようかなって思ってたんだ」
「……どうして?」
全く分からないといった顔をしているカナ。
そんなカナに、私は。
「この子の腕を見てみて。凄く細いでしょ? すりを肯定するつもりなんか全然ないけど、こんな小っちゃな子が盗みをしないと生きていけないなんて……。見てみぬ振りをしてあげたくなるじゃない」
「甘過ぎだろ……アリサ」
そう言いながらも、私の真剣な目を見てカナはため息をつく。
そして女の子を降ろしてやると、軽く女の子の額を小突いて言った。
「もう、するんじゃねーぞ?」
「うっせーよ! バーカ!!」
女の子は、大声でカナを怒鳴りつけた。
「テメエさえいなけりゃ上手くいったのに、邪魔しやがって……この魔族女!」
「オマ……っ……!」
女の子の酷い雑言に、言葉を失うカナ。
追撃を加えるように女の子が吐き捨てる。
「バーカ、バーカ! 大体、なんだよ? 『剣聖』様だって言うから、期待してギッてみりゃ……銅貨と銀貨ばっかりじゃねえか!」
女の子は地面に落ちたお金を指差して、私を罵倒する。
盗まれた私まで責められるの?
まあ、私の財布には、多くても銀貨五枚以上は入ってないんだけど。お金が入るたびに、その分食べてしまう大食らいがいるからね。
「情けなんかかけてんじゃねえよ! こんなはした金いらねえよ、バーカ!!」
思いきり顔をしかめて舌を出した後、走って逃げていく女の子。
あっという間に、人混みの中へ消えていった。
「なんだったんだ……今のガキは……」
女の子が過ぎ去った大通りで、カナが呆気にとられて立ち尽くしていた。
§ § § §
それから二日後、私は近衛騎士団の詰所に呼ばれた。
ブラコフの取り調べが終わったのかなと思って、詰所へと足を運ぶ。
この二日間も、ゾディアックが目撃されたという報告はなかった。
今、ゾディアックの情報を持っているのはブラコフだけ。非常に重要な虜囚となっている。
詰所に到着すると……。
「だーかーらー! 知り合いだっ……つってんだろ!」
「おまえのような小汚い餓鬼が、『剣聖の姫君』の知り合いの訳ないだろ!」
つい最近聞いたような声が、近衛騎士と怒鳴り合っている。
「ホントだってば! だから、『剣聖』を呼べよ!」
「だから、呼んでる! 大人しく待ってろ!!」
そう、一昨日のすりの女の子だ。
つまり私は、彼女の『知り合いだ』という言葉の真偽を確認するために、詰所まで呼ばれたという事になる。
ブラコフの情報じゃなかったんだ……。
少しがっかりしながらも、私は二人に声をかけた。
「あのー……」
「煩い、今取調べ中だ!」
「ええー……」
頭に血がのぼりきっている彼は、私が呼んだ相手だと気付かずに怒号を飛ばした。一方、女の子の方は、私を見てにやにやと笑う。
こんな嘘に踊らされて律儀に来るなんて、馬鹿な女とでも思っているんだろう。
「あのー……」
「だから、取り調べっ……! あっ……!!」
やっとの事で、私に顔を向けた騎士。
あっという間にその顔は青ざめた。
「……誠に、申し訳ございませんでしたっ!!!」
起立し、深々と頭を下げる。
この国では、相当の非がない限り頭を下げるという事はない。
それを、年下の小娘相手にこんなに深く下げるなんて、本当に申し訳が立たないという状態なんだろう。
「いえ……いいから。頭をあげて下さい。それよりも、私が呼ばれた訳を知りたいんですけど……っていうか、大体分かっちゃったんですけど」
「はっ、はいっ!! この盗っ人の小娘が『剣聖の姫君』の知り合いだと言い張るので、それを確かめて戴きたく……」
多分、彼女は私の知り合いだという事になれば、『剣聖』の強権で無罪放免になると目論んだのだろう。そして、甘い私なら『知り合いだ』と言う事も予想済み。酷くずるい子だ。
本当はここで厳しく突き放さないといけない。
小さな悪でも、悪は許してはいけない。いつかは厳しくならないと駄目。
でも、私の答えは……。
「……知り合いよ」
「やった! ほらな、言った通りだろ!!」
「えっ……ええええぇぇぇーっ!?」
喜ぶ女の子、驚く騎士。
私は本当に甘すぎるなあ……。
§ § § §
釈放された女の子と一緒に歩く私。
とりあえず盗んだものは返させて、次はやらないと騎士の前で言わせた。
生活がかかっているんだから、多分またやると思うけど。
「……ねえ、本当にやめてくれるの?」
「さあな」
「言うと思った」
案の定な返事に対して、私は提案する。
「ねえ、今日のパン代は私があげるから、今日だけは盗むの……やめにしない?」
「ほんと、アンタってお人好しなんだな!」
我ながらお人好し過ぎると思う。ジルにもよく言われるし。
「でもよ……、約束は出来ねえぜ? 今日の分貰ったって、明日はどうすんだよ? 明後日は? ずっと、あたしにくれるって言うのかよ?」
「それは、無理だけど……」
「だろ? だったら、もう余計なお節介すんじゃねえよ! あばよ!」
余計なお節介って、私が助けなかったら独房行きだったんだけど。
それに、ちゃっかり銅貨も受け取ってるし。
彼女は初めて逢った時と同じように、人混みの中へと消えていった。




