第二百五話 御館様
身長は百四十センチあるかないか。カナよりも小さい。
しかし、放つ気配は上級魔族であるカナ以上。
これが『お館様』――。
アンデッドばかりのこの館……いや、迷宮の主。おそらくアンデッド。
「この禍々しい気は……やっぱりですわね」
ジルが呟く。
その声を聞いて、お館様が疑問を投げる。
「聖職者君、何が『やっぱり』なんだい?」
「私も一度戦った事のある、正真正銘の化けものですわ……こんな事なら、MPを温存しておくべきでしたわ……」
「エムピー? この状況で温存……と言うからには魔力の事かな?」
私やカナでは最初は分からなかったMPという言葉を、少ない手がかりから推測した。この魔物、知能も高い。
侮ってかかったら、絶対に勝てない。
「おや、剣士さん……いや、剣聖レッドヴァルト卿とお呼びするべきかな? その表情は、ボクの事を『魔物のくせに知能が高い』とでも思ったね?」
女神様の読心のように、ずばりと言い当てるお館様。
それに、今までのアンデッドたちが皆、私を『ただの剣士』と認識していたのに、どうして彼女は私の事を『剣聖』だと気付けたんだろう。
「読心の魔法か奇跡でも使ったと思ったようだね? ……違うよ、キミは表情が読みやすいんだ。素直過ぎる。……それだけだ」
「でも……何故……」
「『何故、剣聖だと分かったか』……かい? それも簡単さ。ボクは様々な領地に、ヴァンパイア姉妹の使役するコウモリ共を飛ばしているんだ。それで情報収集をしているんだけどね……」
どこからともなく、手のひらにコウモリを招き寄せるお館様。
「最近、『剣聖』が代替わりして、それがうら若き乙女だと言うじゃないか。その者はミスリルの服を着て、魔法の剣を出すってね。キミ以外にありえないだろう?」
これが、お館様……。
今までのアンデッドとは、何かが違う。
それに……。
「ああ、レン君とサキ君……キミたちの探している少女たちは無事だよ。それに、キミたちの魔族奴隷君もだね」
「あの子は私の親友よ。奴隷扱いはやめて」
「ああ、すまないね。……まあ、人質にするつもりもないから、安心していいよ」
私の表情を察して先回りで答えを用意する洞察力は、仮に戦闘になったとしても、私の手を先読みして返す事が出来るという事でもある。
その姿は限りなく無防備に見えるのに、勝ち筋が全く見えてこない。
「……本当に無事なの?」
「無事さ。キミの親友君だけは、ボクの正体を見せたら気絶してしまったけどね」
正体?
この仮面の下に、どんな怖ろしい顔があるのだろうか。
怖いもの見たさもあるけど、これから戦う敵がどんな顔かは知っておきたい。
「気になるかい? じゃあ、お見せしようか」
お館様が仮面に手をかける。
そこに、ジルが割って入った。
「……アリサさん、見るのはおやめなさい。あれはアンデッド最強種、『リッチ』ですわ。あれは、姿自体に《威圧》スキルがあるようなもの……顔を見ただけで、動けなくなりますわよ」
「『リッチ』……?」
「おや、聖職者君はご存知のようだね」
「やっぱり……」
ジルの頬を冷や汗が伝う。
あの時放った吐息を、ここで使うべきだったと後悔する程の強敵。相当な強さを持っているんだろう。
「いいや、聖職者君。ただのリッチではないよ。ボクはそのリッチの中でも、最も古く……最も知識と力を持った種族」
強力なオーラを噴き出して、彼女は種族名を宣言する。
「『アークリッチ』さ……!」
「ア……アークリッチ!」
後ずさるジル。
「予想……以上、でしたわね……。私は降参ですわ。今の私は《治癒》も使えない役立たずですもの、出来る事はこれだけですわ……」
錫杖を落として、両手を上げるジル。
魔力不足だとしても、種族名を聞いただけでジルが降参……?
「おや、聖職者君は降参かい? なら、キミはどうだい、レッドヴァルト卿」
「アリサでいいわ。……どうせ、戦わないとレンちゃんたちは返してくれないんでしょう?」
「ふふっ……」
仮面の奥から含んだような笑いが聞こえる。
まるで、『違うよ』とでも言いたそうな、逆に『その通りだ』とも言いたそうな。どちらとも取れる笑い。
「ここでは狭いだろう。ついて来たまえ……」
お館様――アークリッチに促されるまま、後について歩く。
§ § § §
彼女が連れてきたのは、いくつもの隠し部屋を通った先にある地下室。
「地下があったなんて……」
「面白いだろう? まあ、他の領にいるヴィルギスって魔族の真似をしただけ……なんだけどね」
喉を鳴らして笑いながら、アークリッチは言った。
ヴィルギス――剣聖領の迷宮を司る管理者。彼とまで繋がりがあったなんて。
「おや? その様子だと、キミはヴィルギスを知っているようだね? ……そういえば、あの迷宮がある領は、今は剣聖領だったか。自領の迷宮攻略なんて、キミもお転婆過ぎる領主様だね……。さあ、着いたよ」
案内されたのは、戦うには十分過ぎる広さをもったホール。
ダンスホールというには豪華さがない、殺風景な石造りの広間だ。
「じゃあ、まずは……キミがボクと戦うに相応しいか。それを見極めさせて貰うね」
アークリッチは、仮面を脱いで私に素顔を見せる。
その容貌は、ジルの言うような《威圧》のある怖ろしいものではなく、十代前半の美少女。カナに負けずとも劣らずな、とても可愛らしい顔だった。
「これは、幻術でボクの生前の姿を投影したものだ。――ボクの本当の姿は、これだ!」
どす黒いオーラが彼女の全身を包み込む。
一瞬で美少女が、腐肉のわずかにこびりついた骸骨へと変わる。
小綺麗だったローブはぼろに、その裾から出ている腕も細い骨に転じた。
まとっていた死者のオーラも、部屋中へと広がる。
本能的な恐怖を感じ、私の体は金縛りにかかってしまう。
不味い……指一本動かせない。
「やっぱり、キミもかい? 残念だな……」
骸骨からでも分かる程に、悲しそうな声になるアークリッチ。
全く動けない人間では相手にならない……という事だろう。
私は動かない唇をむりやり動かし、喉の奥から声を絞り出す。
「……っ、はああぁっ!!!」
裂帛の気合。同時に体も動くようになる。
「お待たせ……」
「ほほぅ……凄いね。気合だけでボクのオーラを跳ねのけるなんて」
アークリッチは、下顎骨をなでながら感心する。
そこにジルが要らぬ説明を入れる。
「当然ですわ。アリサさんは、『脳筋』ですもの!」
「ノウキン……? 雰囲気からいって、『脳みそまで筋肉』って感じかな? 今代の『剣聖』は、脳みそ筋肉の戦士かい。それで剣聖の称号を獲るなんて、余程なんだろうね?」
えっ……ジルが私に言っていた『脳筋』って、『脳みそまで筋肉』って意味だったの? ジル……あとで憶えておきなさい。
「余程……ですわよ」
「それは楽しみだ……。さあ、始めようか! 『剣聖』アリサ卿……!」
アークリッチは両腕を広げ、更に禍々しいオーラを放出した。
その逆風に逆らって、私はその骸骨へと駆け込んでいく――。




