第百九十七話 バンシーⅡ
私たちに突きつけられた選択肢は、二つ。
一つ目、目の前のお茶を飲まないでバンシーを泣かせて、呪い殺される。
二つ目、目の間のお茶を飲んで、食中毒にかかって死ぬ。
どちらにしても、死が待っている二択。
ティーカップを持つ私とジルの手は震えていた。
こそこそと相談タイムが始まる。
「……ねえ、どうすんのジル。これ……」
「……飲むしかないでしょう……」
「……やっぱり、戦闘で倒す方法とかってないの……?」
私の中で、戦うという選択肢が再浮上した。
「……ほら、『聖水』ってあったじゃない。あれで倒せない……?」
「……高位アンデッド相手ですと、ちょっぴりダメージを与える程度ですわ……」
「……えー……」
「……食中毒なら、あとで治して差し上げますわ。ですから、ここは覚悟を決めて飲むしかありませんわ……」
私たちが口をつけずに、相談している間にもバンシーの表情がどんどん曇っていく。これは、非常に不味い。
もう、懐を探り始めている。
そして三枚目のハンカチが半分顔を出す。何枚持ってるのよ……!
「ええい! もう、どうにでもなれっ!」
私は一気にお茶とは呼べない、毒液を飲み干した。
口の中には、ただひたすら形容しがたいえぐみと、酸っぱさが広がる。そして、得体の知れない不快感が押し寄せてきた。
喉が嚥下を拒否するのに逆らって、むりやり胃に押し込める。飲んですぐにお腹が痛くなる飲みものは、生まれて初めて。お腹に激痛が走る。
「「うぐっ……!」」
隣を見ると、ジルも真っ青になってる。
その顔色は青というよりは、むしろ紫に近い。無敵の真竜も毒には弱かった。口の端からは、お茶という名の毒と、ジルの唾液が混じった液体が伝っていた。
「……ううっ……くっ……! ……キュ、《解毒》……!」
走馬灯が見えかけていた状態から、ぎりぎりで救われる。
ジルの奇跡魔法が、あと少し遅かったら二人共あの世行きだった……。
もう一杯勧められたら、呪いによる死を選ぶかもしれない。
そんなお茶だった。
ここで更に、バンシーの追撃がやって来る。
「お菓子も沢山ありますのよ……!」
五百年もののお菓子……。別の意味で『色とりどり』だ。
見た目からして多分、お茶以上の劇薬。
「……ねえ、ジル。私……もう、女神様の下に旅立っていいかな……」
「……駄目に決まってますわ。今、私がなんとかして、解決策を考えますから……なんとか、会話で時間稼ぎをして戴けません事……?」
「……了解……」
「……頼みましたわ……!」
ここは責任重大。どうにかして、話題をそらさないと。
悲しませないようにお菓子に手を伸ばすだけ伸ばして、バンシーに話しかけた。
「ねえ…ところで、バンシー」
「どうしましたの?」
絶対に、この『レープ』だったものは口には入れない。
レープというのは、この世界でのクッキーの名前。子供たちが大好きなお菓子だ。高価な砂糖が使えない替わりに、ジンジャーや果物で味付けされている。
正式名称は『レープクーヘン』
名前が長いので、人々からはレープと呼ばれ、親しまれている。
私は胸元でレープを止め、何か話題はないかと知恵を絞った。
「あの……ええと……五百年も冒険者を待ってたんでしょ? それだけ長く待ってたら、色々あったんじゃない?」
「色々……うーん。ありませんでしたわ。ずっとずっと……ここで待っていだけですわ」
「ないの? 何も? ほら、ここに来る子供たちとか……」
「うーん……」
バンシーは、顎に手をそえるというジルと同じ仕草で、考え始めた。
よし、時間稼ぎは完璧。
「そういえば……何十年かに一度、村人か子供が来てたのですけど……。迷宮の決まりで、姿を現してはいけなくて……」
「いけなくて……?」
「話しかけたかったのに……。とても……辛かった事を、思い出しましたわ……」
余程、辛い想い出だったんだろう。
三枚目のハンカチが、彼女の目に当てられて……。
不味い、地雷を踏んだ!
「わーっ! わーっ! ごめんなさいっ……! ほら、今は私たちがいるじゃない! ね?」
三枚目のハンカチを奪い取って、バンシーをなだめる。
私が片目を閉じておどけてみせると、バンシーも笑顔に戻った。
「そうですわね……」
「じゃあ、楽しかった思い出とかない……? アンデッドなんでしょ、生前の面白かった事とか、嬉しかった事とか」
「生前……」
もう一度考え始めるバンシー。
ジル……お願いだから、早く対処方法を見つけて!
「アンデッドになる前の私は妖精でしたわ……。人の死を告げるお役目から、根暗妖精、迷惑妖精、人殺し妖精と呼ばれ忌み嫌われて……ずっと、ずっと後ろ指差されて、虐められてましたわ……」
うん……? なんだか、凄く重たい話なんだけど。
四枚目のハンカチが引っぱり出されて、また目元へ。
私は大慌てでそれを強奪して、バンシーの回想を止める。
「ちょっ……ちょっと、待って! そこまで!!」
このバンシー、迷宮のボスになってからも、生前もろくな想い出がない。
彼女には何を聞いても泣かれてしまう。おそらく、彼女の過去全てが地雷だ。
……それなら、私の話をすればいい。
「そ……そうだ! 私に聞きたい事ってない? なんでも答えてあげる!」
「そうですわね……でしたら、貴女の初めての冒険の想い出を……」
私は、最初の依頼……王子の護衛の話を始めた。
「――ギルドの規則で、み……三日間も、お仕事がなかったんですの……?」
懐から五枚目のハンカチが登場。
この程度で泣きそうになるなんて……勿論、ハンカチをすぐさま奪い取る。
「大丈夫、大丈夫だから! それで、見かねた王子が私を助けてくれたの!」
「あら……まあ! 素敵な王子様ですわね!」
白い馬車に乗った王子様が助けてくれた、というくだりでバンシーの機嫌が戻り、どうにか一難は去った。そして、護衛として暗殺者から王子を護り抜いた話で……。
「酷い……! 王子様の目的が貴女の戦いぶりを見たいからで、わざと暗殺者のいる場所を通ったなんて……!」
六枚目――。当然、奪取してごまかし、話の続きをする。
「王子様の本当の目的が、貴女を自由にするためだったなんて……。なんて素敵なお話なんでしょう……」
ふう……やっと、話し終わった。
そう思って、額の汗を拭った瞬間、バンシーが七枚目を取りだす。
「……なんで! 今の部分に、泣く要素なんてなかったでしょ……?」
「感動的で……」
しまった、感動の涙!
私はハンカチをぶん捕って、もう一つの初めての冒険……ナックゴン到着後の話を始める。
「そうだ、ナックゴンに着いてからの話をしてあげる!」
これで、もう少しは時間稼ぎが出来る。
そう考えたところで、やっとジルが私の脇腹を突付いた。
冴えた対処法を思いついたという合図だ。
「……お待たせしましたわ。毒消しの魔法……《毒消去》を思い出しましたわ……この魔法で、どんな食物からも毒だけ取り除く事が出来ますの……!」
「……それがあれば、あのお菓子で中毒にならなくて済むの……?」
「……勿論ですわ……参りますわよ……!」
ジルは立ち上がり、錫杖を振って魔法名を唱えた。
「ええーい! 《毒消去》!」
途端にケーキスタンドの上のお菓子が光り出す。
これで、やっとまともに食べれるようになる――。
私とジルが思った瞬間。
……お菓子が消え去ってしまった。
そう、その食べものの構成が全て毒なら、消え去るのは自明の理。
なにしろ、五百年もの……だから。
「ジ……ジルぅー……」
せっかく用意したお菓子が跡形もなく消えてしまうなんて、絶対にバンシーが泣いてしまう!
なんとかして、ごまかさないと……。