第百九十六話 バンシーⅠ
バンシーと呼ばれたアンデッドは、私たちに話しかけてきた。
「ここに人が来るなんて、五百年ぶりですわね……」
五百年もこんな場所で、一人で待っていたって事?
私ならきっと耐えられない。彼女も忍耐の限界だったらしく、とても嬉しそうな声で私たちを迎えてくれた。
「申し遅れましたわ。私はバンシー。この墓場迷宮一階層を守護する階層ボス。冒険者さんとお逢いするのは、実に五百年振りですのよ」
あれ? でも……。
あの姉妹と言っている年数が違う。
「ナイトメア姉妹は、三百年って言ってたけど……」
「そうですか。ナイトメア姉妹とは、もう逢われたんですのね……」
「ええ」
「三百年前は、あの子たちが勝手に飛び出して……私がおもてなしする前に、館の前で皆殺しにしてしまったんですわ」
確かに今回も、姉妹が飛び出してきた。
それで五百年なのね。納得。
「せっかく姉妹を払いのけて、ここまでいらして戴いたんですもの。お茶の一つもお出ししないといけませんわね」
彼女が小さく手を振ると、厨房の隅からテーブルや椅子が自動的にやって来て、丁度いい位置にセッティングされた。ティーポットやティーカップ、ケーキスタンドまで飛んできて、あっという間にお茶会の準備が完了した。
私が驚いていると、ジルが私にそっと耳打ちをする。
「……ポルターガイスト。食器や家具を動かす『騒霊』ですわ。見えない幽霊、これもアンデッドですのよ……」
「……へー……」
「……ポルターガイストも、バンシーも《死霊祓滅》の効かない、特殊なアンデッドですの。倒すのは苦労しますわ……」
《死霊祓滅》が効かないとなると、もし戦うなら魔法剣と錫杖でごり押しするしかないって事。確かに苦労しそう。
「……でも、敵意はないみたいだけど……」
「……バンシーは『泣き女』。目の前で泣かれたら、呪いで死んでしまうという……厄介な能力の持ち主ですわ……」
「……えっ、泣かれただけで死んじゃうの……?」
「……そうですわ。絶対に彼女を、泣かせてはいけませんわよ……?」
私たちが内緒話をしているのを見て、バンシーが反応した。
懐からハンカチを取り出しながら、私たちに愚痴を零す。
「せっかく五百年振りのお客様ですのに……私を放っておいて、お二人だけでお話ですか? 私だけ仲間はずれですのね……」
バンシーの顔が悲しみに歪んで、ハンカチで目を押さえようとしている。
……これは、泣きそうになっている状態!
私たちは慌てて、バンシーの両手首を左右から押さえつけ、ハンカチを取り上げた。無視したなんて理由で殺されたら、たまったものじゃない。
「「わあああああーっ!!」」
あまりの事に、慌て過ぎて叫び声が出てしまった。
泣かせないために、とにかく言い訳を重ねる。
「ちゃんと、バンシーとも話すから! ね?」
「そ……そうですわ! 自動でお茶が出来上がるのを、アリサさんが驚いてらっしゃったので……その事をご説明していただけですわ!」
「ねえ、ジル……私のせいって事?」
「それ以外、何がありますの?」
私たちの口論を見て、バンシーがぷっ……と笑う。
やった! とりあえず死なずに済んだ!
私たちはほっと胸をなで下ろす。
「バンシー……、沢山お話をしましょう? 二、三十分くらいなら、私たちも付き合えるから」
「えっ……。たったの三十分ですの……?」
また、バンシーが懐からハンカチを取り出す。
ハンカチは取り上げたはずじゃ……?
「わーっ、わーっ! その、ええと、ね? 外で友達を待たせてるから……。だから、あまり長い時間は……ね?」
「五百年も待っておりましたのに……」
辛そうな顔になっている。
もう、今にも泣き出しそうだ。
「その……ね? ……わかった! いくらでも付き合うから! ……だから、ね。泣き止んで……?」
もう一度ハンカチを取り上げて、出来るだけ優しく笑ってみせた。
多少引きつっている私のそれを見て、バンシーも顔を綻ばせる。
安心して一息つく私。ジルも安堵の溜息を吐いた。
「嬉しいですわ。それなら早速、お座りになって。お茶が冷めてしまいますわ」
微笑みながら、着席を促すバンシー。
座らないとやっぱり泣き出すんだろうな……と、怖ろしくなって座った。
ジルも同感らしく、そそくさと座っている。
「五百年振りですもの、沢山お話しましょうね。お茶もお菓子も、いくらでもありますわ!」
彼女は心底楽しそうな顔で、待ちかねたティータイムを喜んでいる。
こんな深夜に、魔物相手にお茶会をする羽目になるとは、私もジルも全く想像していなかった。
今の私たちの戦いは剣でも魔法でもなく、バンシーを泣かせない事。
とにかく、彼女の機嫌を損ねないのが重要だ。私とジルは、いつ、どんな理由で泣き出すのか分からないバンシーに、常に注意を払わなければいけない。
……うん?
普通に退治しちゃえば、泣くとか気にしないでよくない?
私は、ジルを肘で突付いて、小声で確認した。
「……ねえ、ジル……不意を打って一撃で仕留めたら、倒せたりしない……?」
「……無理ですわ。殺したと同時に、痛みで涙が出ますもの……相打ちが関の山ですわ……」
「……うーん……普通にお茶会するしかないんだ……」
「……そうですわね……」
これ以上は、バンシーの機嫌を損ねてしまう。
ひそひそ話は一時中止。
そこにバンシーが、両手を広げてお茶を勧めてきた。
「さあ、味わって。自慢のお茶とお菓子ですのよ!」
私たちは振る舞われたお茶を飲もうと、カップを口に近付ける。
最初に声を上げたのはジル。
「うっ……!」
ジルをして、うっ……と唸らせるお茶。それは――。
ティーカップには、半分粉状になった朽ちた茶葉が沢山浮いていた。香りも明らかにお茶のそれではなかった。カビたような酸っぱいような匂いがする。
お菓子も、よく形を保っていられるなと感心する程で、腐っているか湿気っているか乾燥していて、とても食べられるような状態ではない。五百年ものだから、当然といえば当然か……。
私たちに、これを……飲み食いしろと……?