第百八十七話 万丹丸
「その通り。ここにある草こそが、熊草でありライオン草でありコンドル草。獣性を抑える秘薬、劫温草ぞ。さあ……持ち帰るがよい!」
マンティコアはにやりと笑みを浮かべ、顎で私たちに採取を促した。
必要な草が、たったの一種類だった事に驚く私。
ジルは納得したかのように、顎に手を添えうんうんと頷いている。
「どういう事なの……ジル?」
「つまり、本当はたった一つの材料で済むものを、三つという伝説にこだわったせいで誰も作れなかった……という事ですわ」
「そんな単純な話なの?」
「そんな単純な話ですわ」
つまり万丹丸という薬は、この劫温草だけで作れるって事かな。一刻も早くと考えている私には都合がいいけど。
……それと都合がいいといえば、気になる事がある。
「ところで、ジル。人狼病にかかった患者のすぐ近くに、その薬の元があるなんて……ちょっと、都合良過ぎない?」
「異界の英雄譚あるあるですわ。そうでもしないと、お話が続きませんもの」
「えー……。ラノベならそうかもだけど、これって現実でしょ?」
「まあ、女神が創ったこういう世界ですもの。ご都合主義でもなんでも、薬が見つかるのはいい事ですわ」
うーん……、なんだか釈然としない。
「それとも、あの子が助からなくてもいい……とアリサさんは仰いますの?」
「そうは言わないけどさ……」
必要な草がこんなに都合よく生えているのは、きっと何か裏とか、理由があると思うんだけど……。
なんとなく合点がいかない中、マンティコアの好意で劫温草を摘ませて貰った。
近付いてみると癖のある匂いがする草で、試しに少し噛むと凄く苦い。
「うわっ……苦っ!」
「伝説によると、そのままでは食べれませんわよ」
「先に言ってよ」
とにかく、必要な分を三人で集めた。
二、三百本程採集したあたりでジルが、こんなものですわねと止める。
一人の子供を治すだけなのに、結構な本数が必要で驚く。
「これをすり潰して、煮詰めて丸薬にしたものが万丹丸ですわ」
一人仕事終えたという仕草で、汗を拭うジル。
そこに、私たちの採取を最後まで見届けたマンティコアが告げる。
「それでは行くがよい、人の子らよ。必要になったら、いつでも訪れよ」
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、マンティコアは翼を広げて飛び去っていった。
熊も、いつの間にかいなくなっている。
魔物だからと無益な争いをしなくて済んだ事に、私は安堵した。
「話が分かる魔物でよかったね」
「そうですわね。これも劫温草の持つ、獣性を抑える効果のおかげかも知れませんわね?」
言われてみれば、そうかも知れない。
いつもこの草を食べているから、熊もマンティコアも穏やかだったんだ。
§ § § §
目的の草を手に入れて、村まで戻ってきた私たち。
しかし、ジルは腕を組んで、頭を悩ませていた。
「うーん……ええと……」
「どうしたの、ジル」
「手に入れたはいいんですけど、この草……凄く苦くて臭いんですの」
「そうね」
集めている最中に味見をしたけど、かなりきつい味だった。
苦いというか、えぐいというか……もう一度味わえと言われたら、お断りしたくなるような酷い味。
「薬にするのに煮詰めると、もっと臭く、苦くなりますわ」
「苦いと困るの?」
「飲ませるのは子供……ですわよ?」
「あっ……!」
そうだ、飲むのは少女。
苦くて臭いものなんか、飲みたがらないだろう。
「ですから、悩んでますの。せめて甘ければ……」
「甘ければ……?」
私はひらめく。そうだ、あれを使おう。
「ねえ、ジル。私の背嚢出してくれない?」
「構いませんけど、はい」
ジルは胸の《次元収納》から、するりと私の背嚢を取り出した。
「でも……なんに使いますの?」
「ええと……、あった!」
私は、とても小さな瓶を取り出した。
蜂蜜だ。
「なんですの?」
「蜂蜜。ほら、ちょっと前に私の領の迷宮に行ったでしょ?」
「行きましたわね」
「その時、コボルトから買っておいたの。……これなら、なんとかならない?」
金貨一枚、日本円にして一万円分。
50ミリリットルにも満たない量で、そのお値段である。
でもこれで少女が助かるなら、安い買い物だったと本気で言える。
私は迷わず、ジルにその小瓶を差し出した。
「確かに……これなら、いけますわね!」
これで少女が助かるという嬉しさに、二人で手をつなぎ飛び跳ねてしまった。
§ § § §
劫温草は臭いので、ジルが外で煮詰めて成分を抽出し、それを魔法で丸薬に固めた。そして、その丸薬に蜂蜜を何度も塗り、それも魔法で固める。
煮るのと固めるので、あわせて三日三晩もかかっている。
何日も徹夜で煮詰めて、数百本の草花がわずか数ミリの丸薬に凝縮された。
「ふう……、忘れてなくてよかったですわ。《凝結》の魔法」
ジルがそう独りごちると、万丹丸が完成。
さっそく少女に飲ませてあげた。
苦しそうに呻いていた声が嘘のように静かになり、荒かった息も少しずつ安定していく。数十分後には、熱で真っ赤だった肌も元の色に戻っていた。
「凄い効き目ね」
「それはもう、『伝説の』秘薬ですもの。効いて貰わなければ困りますわ」
ジルは少女の額をなでながら言った。
その表情は、まさしく慈愛に満ちあふれた聖女のそれだった。
「治るといいね」
「ええ」
少女の安らかな寝顔を見て、私たちも休みを取った。
§ § § §
それから、数日。
少女は普通に歩けるようになり、牙や犬のような鼻先は縮み、獣の耳も小さくなっていた。体の所々を覆っていた剛毛も少しずつ減っている。
「治ってきたね」
「それでも安心は出来ませんわ。経過を見る必要がありますもの」
「どれくらい?」
「そうですわね。完全に獣の部分が消えるまで……二週間程でしょうか」
前にジルが助けた盲目の少女、アミちゃんの時のように経過観察が必要らしい。
私たちは、少女が完全に治るまで、この村に滞在する事になった。