第百八十六話 熊草
「まずは熊草を探しますわよ」
「猫草の熊版ね」
ライオン草やコンドル草は当てがなさ過ぎるから、現実的な選択といえる。
「でも、どこで探すの?」
「大抵の熊は森林地帯か、山岳地帯ですわね」
森なら、すぐ近くにある。
少女が遊びに出かけて、人狼病にかかってしまった場所だ。普通に考えたら、人狼がいると想像出来る。
「じゃあ、ついでだから人狼も退治しよう」
私たちは、熊と人狼を探す事になった。
§ § § §
実際に森に到着すると、たいした規模ではなくすぐに捜索が終ってしまう。
赤の森や、剣聖領の樹海を想像していたら、森というには規模が小さな、ごく普通の雑木林。人狼どころか、普通のオオカミすら出そうにない場所だった。
いるのはトカゲや蛙、野鳥程度。
可愛らしい野鳥のさえずりを聞きながら、森中を探したけれど収穫はなかった。
どうして少女は、人狼のいない森で人狼病にかかったんだろう……?
「ねえ、なんであの子は人狼病にかかったのかな?」
「そうですわね。この森で、人狼に襲われるなんてありえませんものね。不思議ですわね……」
「ここ、どー見ても人狼が住むよーな広さはねえぜ?」
三人で考えるも、答えは出なかった。
「……人狼は置いといて、熊探しですわ。山に向かいましょう」
考える事を諦めたジルが、森を抜けた先の山を指差す。
そこそこの高さの山で、頂上まで登って二、三時間といった大きさだろうか。ぽつりぽつりと木々が繁る山林も見える。
「まずは、あれを目指しますわよ」
ジルの先導で山に向かった。
森から見たその山は近くに見えていたけれど、実際は結構な距離があり、麓に着いた頃には夕方になっていた。
とりあえず麓で一晩キャンプをして、翌朝ジルの《浄化》で服と体を洗った後、登山を開始した。
§ § § §
この山は人が踏み入るような場所ではなく、道はどれも獣道。中腹より上に登るなら、岩や崖をよじ登る必要があり、スカートではちょっと無理な山だった。
「歩いて登れる場所まで、行ってみましょう」
ジルがそう言って、足場を確認しながら歩を進めた。
中腹までまばらに繁っている山林を二つ抜けて、三つ目でようやく見つける。
熊だ。ようやく熊のお出ましとなった。
大きさは二メートル。小さいヒグマのサイズ。
暴走熊でも角熊でもなく、普通の熊だと遠目からでも分かる。
熊は私たちを見つけても、ぷいっと首をそむけて無視をした。そのまま、山林の奥へとゆっくり歩いていく。私たちの目的は、熊が食べるという熊草。つかず離れずで、熊の後についていった。
山林を抜けると、ちょっとした野原になっていて沢山の草花が生えていた。熊はのどかなこの場所で休憩をし始めた。
「あっ……!」
熊の取った意外な行動に、思わず私は声を上げる。
ジルに口を押さえられ、注意される。
「……しっ! ……声が大きいですわ……」
「……ごめん……。……でも、あれって……熊草じゃない……?」
熊がもしゃもしゃと草花を食べている姿が見えた。あれこそ熊草なのでは。
草というより、蜜目当で花を食べているようにも見えるけど。
「……あれで、間違いありませんわね……」
やっぱり、熊草でいいんだ。
「……熊が立ち去った後にでも、摘みにいきましょう……」
「……そうね……」
熊を襲って倒し、それから熊草を摘んでも問題はないんだけど、無益な殺生をしても仕方がない。ここは、熊の食事が終わるまで待つ事にした。
しばらくすると、異変が起きる。
一瞬だけ空が暗くなったと思うと、何かが私たちの頭上を通り過ぎた。
その影を落とした本体は、空中を優雅に舞った後、大きな音を立てて野原に着地した。巨大な魔物、それは――。
§ § § §
「「「マンティコア!!!」」」
三人で口を揃えて叫んだ。
今まで、ずっと声を出さずに潜んでいたカナまで大声を出している。
人気のない山岳だから、何がいてもおかしくはない。
でも、よりによって、こんな強大な魔物が出てくるなんて。
マンティコア――『人喰い』の名を冠する魔物。
ライオンの体にサソリの尾、コウモリの翼と、人の顔を持った狡猾で凶悪な怪物だ。
気がつくと、私は無意識に魔法剣を創り出していた。
ジルもいつの間にか錫杖を取り出し、カナも短剣を抜いて構えている。
声に気付いたマンティコアと、そして熊は私たちの方に振り返ると……。
ぷいっとそっぽを向いて、草を食べ出した。
「……えっ?」
戦闘になるかと思って身構えた私たちには、思わぬ肩透かしだった。
呆然とする私たちに、マンティコアが首を向けて話しかけてきた。
「……人の子らよ」
「「「えっ! 喋れるの?」」」
三人で同時に驚嘆の声を上げた。
人喰いの魔物が話しかけてくるなんて、驚きでしかない。
「人の頭が付いておるのだ。人の言葉が話せぬ道理もあるまい。人の子らよ、この地に何の用だ? このまま立ち去るのであれば、我も汝らに危害を与えはせぬが」
「あのー、そこの草が欲しくて……」
私は正直答えた。
「草とな? 何ゆえ、草など欲する」
「病気の女の子がいて、治すのにその草が必要なんです」
「ふむ……」
マンティコアは顎に前脚を当てて、考える仕草をした。
「この草が必要か。……であれば、『病気』とは、人狼病か?」
「そうです!」
凄い。魔物なのに、必要な草だけで病気を言い当てた。
魔物だからといって馬鹿には出来ない知識を持っている。
「娘一人だけの量なら、よかろう。……それに、ライオン草も必要であろう? 我が食んでおるのが、ライオン草ぞ。これも、持ってゆくがよい」
話が分かる魔物だ!
世の中の魔物、全部がこういう話が分かる相手だったら、世界は平和なのに。
……でも、マンティコアの食べてる草って、本当にライオン草なの?
体はライオンだけど、なんだか違う気がするんだけど。
私が首をかしげるのを見て、マンティコアが教えてくれた。
「安心せよ。我も獅子と同じものを食す者なり」
ほっとした。
これで探す必要がある草は、コンドル草だけになる。
そこに、ジルが歩み出た。
「ええと……、マンティコアさん?」
少し震え気味で、おそるおそるジルがマンティコアに尋ねる。
いや、あなたマンティコアよりも恐ろしい真竜でしょ。何、格下相手にへりくだってんの。
「もしかしたら、コンドル草もご存知ではなくて?」
あ……、それが目的で下手に出てたんだ。流石は、ジル。
ここでコンドル草の所在が分かったら、一石三鳥だ。
「我に問答を求めるか、人の子よ」
「ええ」
ジルは真剣な面持ちで、マンティコアを見据える。
マンティコアも射抜くような目で、ジルを見つめた。
そして、ゆっくりとマンティコアが口を開く。
「コンドル草……。何故、かの薬が伝説と言われるか……考えた事はあるか?」
「ありませんわね……」
「手に入らぬからこその伝説よ。汝は、真にコンドルが草を食むと思っておるか?」
「それは……ありえませんわね」
それって、コンドル草が実在しないって事?
それならどうやって万丹丸を作ればいいの?
悩む私の上を、何かの影が横切った。
「ふむ……よき所に鷹が来た。鷹もコンドルもかわりはあるまい。よく見ておくのだ、人の子らよ」
鷹は、熊草を何本かついばむと、それを口にくわえたまま飛び去った。
おそらく巣材にするために持っていったんだろう。
私には、これがコンドル草と何か関係あるとは思えない。
「分かるか?」
「あっ……!」
ジルが感嘆の声を上げた。
「そういう事ですのね」
「その通り。ここにある草こそが、熊草でありライオン草でありコンドル草。獣性を抑える秘薬、劫温草ぞ。さあ……持ち帰るがよい!」