第百八十五話 獣化
「……今回もハズレでしたわね……」
ジルが小さな声で呟く。
でも、今はそれどころじゃない。
「……ゾディアック探し的にはね。でも、これはなんとかしてあげないと……」
目の前には、幼い少女。
熱にうなされ、苦しそうに呻いている……。
§ § § §
馬の二倍の速度で走れる魔犬、アイシーで一週間。
バンキ村のあるガイアク領は、私の故郷レッドヴァルト領から東へ一つ、北へ二つ隣。レッドヴァルトが最果ても最果て、王国の一番南西に位置しているので、やや東寄りのパトレン領からはかなり遠かった。
バンキ村に到着してすぐにギルドへ向かい、情報を聞いた。
獣人がいる事件はまだ解決していないらしいけど、話を聞けば聞く程ゾディアックとは違う事件だと分かった。
ギルドマスター――この村のギルドはレッドヴァルトと同じで、酒場を改装して店主がギルドマスターを務めている。冒険者が少ない地域では、この業態のギルドが多いらしい。
ただ、レッドヴァルトとの違いは禿頭ではなく、髪も髭もふさふさだって事。いわゆるダンディなおじさまである。そんなギルドマスターに案内されて、獣人がいるという家に到着。
「ここです」
通された先には、母親に看病されている少女がいた。
ギルドマスターがお願いすると、母親がシーツを取って見せてくれる。
そこにいたのは、獣と人を半端に混ぜたような怖ろしい姿の怪物だった。
頭には獣の耳、少しだけ長くなっている鼻先、牙が不揃いに見え隠れしている。右腕、左脛がオオカミのそれとなり、胸の一部や腰も剛毛に包まれていた。あるはずのない尻尾まで生えてしまっている。
所々残っている人の部分は赤くなっており、相当な熱を発しているのが分かる。息も荒く、汗だくだ。
「ママ……ママ……」
と、虚ろな目でうわ言を呟いている。
小さなその身には、とても辛そうだ。
「……今回もハズレでしたわね……」
「……ゾディアック探し的にはね。でも、これはなんとかしてあげないと……」
なんとかしてあげたいけど、私には知識がない。
戸惑っていると、ジルがすたすたと歩み寄って少女の脈を取り、医者のように色々と調べ始めた。
一、二分程調べた後、ジルは診断結果を告げた。
「これは……人狼病ですわ」
「「「人狼病?」」」
私もカナも、ギルドマスターも母親も、全員が首をかしげてジルに聞く。
前の人生も含めて、生まれて初めて聞く単語だ。
「そうですわ。人狼病……これは、人狼などに傷をつけられると、稀に起こる病ですの」
ジルは、この病気についての詳細を教えてくれた。
人狼から傷を受けると、低確率で発症。高熱を出しながら、患者も人狼になってしまうという病気。姿が完全に変わる頃には理性もなくなってしまうという。
小さな子供がかかると、発熱や変化に耐えきれず、命を落とす。
なんて、おぞましい病気なんだろう。
「人狼ってそんなに危ない魔物だったの?」
「勿論ですわ。症例が少ないので、あまり知られてはいないのですけど。……お母様、最近この子が、怪我をして帰った事はありませんの?」
ジルに聞かれて、はっとする母親。
真っ青な顔で、ジルに話してくれた。
「二週間前に友達と森に行って、怪我をして帰ってきた事が……」
「潜伏期間、情報が入った時期を考えますと……やはり、という事になりますわね」
深刻な顔をするジル。
でも、最高位聖職者であるジルなら、奇跡魔法で簡単に治せるはず。
「ジルの《病巣治癒》で治せないの?」
「無理……ですわね。この病は、病気というより呪いに近いものですの。上級魔法、《解呪》でなら治せますけど、今の私の残りMPでは……」
「じゃあ、どうしたら……」
普通の病気ではないから医者も駄目、ジルの魔法でも駄目となったら、もう手立てはないんだろうか。
治せないからって、このまま放っておくなんて絶対に嫌だ。
私が何も出来ない悔しさに歯を食いしばっている時、ジルはぼそり……と助ける方法を呟いた。
「一つだけ……治す方法がありますわ」
「あるの?」
「伝説の秘薬ですわ。それを飲ませれば、たちどろこに治りますわ」
伝説の秘薬。
そんな都合のいい薬があるなんて。
「なんて薬なの?」
「万丹丸ですわ」
前の世界にも、万金丹という漢方薬があったような。
確か……万能薬だっけ?
「コンドル、ライオン、熊――。三種の獣がよく食べるという草を、すり潰して作りますの」
「えっ……? ライオンって草食べるの?」
「食べますわ……。猫草ですけど。ネコ科の動物は皆、消化のために猫草を食べますのよ」
「へー……」
初めて知った。ライオンも猫草を食べるんだ。
ジルは本当に物知りだな、と感心した。
「コンドルは?」
「……」
ジルはあからさまに顔をそらした。
心なしか、冷や汗が垂れているようにも見える。
「ねえ、コンドルは?」
「……さ、さあ! 三つの草を探しに参りましょう!」
それで、『伝説』なのね。
腐肉すら食べてしまう、純肉食のコンドルが食べる草って一体……?
こうして私たちの、先行き不安な素材探しが始まった。




