第十話 復学
包帯も取れ、私はようやく授業に戻れるようになった。
傷痕、火傷痕が体中に残ってしまったけど、浅かった顔の傷だけは綺麗に消えた。あれだけの怪我を負って、この程度で済んだのは奇跡だったかも知れない。
「五百九十八! 五百九十九! ……六百!!」
やっと日課の素振りが出来る。
好きなだけ体が動かせる喜びを噛みしめながら、私は練習用の剣を振る。
《剣創世》の魔法で、通常より重い大剣を創り出して千本素振り。病み上がりの体にこの重さは少々堪えるけれど、全身がきしみを上げる事にすら、私は喜びを感じていた。
「アリサお姉さまぁー! 朝からご熱心ですねーっ!」
女子寮の中庭で素振りをする私に、三階の窓から大きな声が聞こえてきた。
リカだ。私は素振りを中断し、止めた手を軽く振って彼女に返す。
「ずっと素振りをなさってますけどー! 一体今、何本目なんですかー?」
「んー……。六百かな」
答えながら素振りを再開すると、リカが目を丸くする。
信じられないものを見るような目で、私を見つめてきた。
「あと、四百やるよ」
「千本!? 授業の百本だって、あんなに大変なのに……」
「慣れれば、すぐ出来るようになるよ」
「無理ですっ! そんなの出来るの、お姉さまだけです!」
「えー……」
信じられないものを見る目から、得体の知れない化けものを見る目に変わったリカを見て、リカまで私を化けもの扱いするんだ、と私は少し不満顔になった。
あれから三ヶ月。ようやく私は学校に復帰した。
§ § § §
その日の午後、実技訓練。
「九十八……九十九……百!」
腕立て百回、腹筋百回、それに素振りが百本。訓練前の準備運動だ。
私には軽いウォーミングアップだけど、令息令嬢である同級生たちには、かなり大変らしい。準備運動だっていうのに全員が肩で息をして、くたびれ果ていた。
「お前たち、だらしないぞ! アリサ君を見習え!」
教官が私を指差すと、同級生が一斉に私の方を向く。
息一つ乱さない私を見て、化けものと一緒にするなとか、あんなのは例外だとか、人の皮を被った魔物の真似なんか出来ませんとか、口々に言ってくる。
乙女に対して、化けものとか魔物とか失礼な。
「百本は確かに多いかもしれないが、彼女のように百本程度ではへこたれない体を作らないと、立派な騎士にはなれないぞ!」
「「「無理ですーっ!!!」」」
生徒全員が口をそろえて叫んだ。
それから皆が息を整えるまでの結構長い休憩時間をはさんで、訓練開始。
生徒たちが順番に石造りの舞台で模擬戦を行い、それ以外の生徒は見学をしている。
自主的に木偶を叩いて打ち込み練習をする者もいた。
皆、入学から三ヶ月も経つと、最初の頃のような『農耕作業』ではなくなっている。振りも運足もまだまだ遅いものの、それなりに剣を振っている姿に見えるようになった。
「《破斬撃》!」
「《武器払い》!」
「《三連撃》!!」
何より、私が驚いたのは『スキル』だ。
私が休学している間に『スキル』の講習があったらしく、一つずつしか使えなかったスキルが皆、二つないし三つずつ使えるようになっていた。
大上段から振りかぶり、勢いを乗せて重さで斬る《破斬撃》
剣道の巻き上げと同じ要領で、対戦相手の武器を絡めて弾き飛ばす《武器払い》
それまで《二連撃》だった生徒は、《三連撃》という強化版スキルを憶えた。
三ヶ月も休学していた私には、スキルを習得するチャンスはなかった……とは言っても、私の場合は他の人がスキル宣言をしている間に三回以上は攻撃を繰り出せるから、スキルは必要ないんだけど。
なんて考えている間に、私の順番が回ってきた。
「始め!」
「三蓮げ……ヒイッ!!」
《三連撃》の宣言をする間に踏み込み、小手面胴の三連撃を打ち込んだ。
最後の胴で、悲鳴を上げて吹き飛ぶ演習相手。
怪我をしないように手加減したはずなんだけど……。
「勝者、アリサ・レッドヴァルト!」
まあ、今の所『スキル』は、いらないかな……。
§ § § §
ある程度訓練に区切りがついたところで、集合の号令がかかる。
整列して待つ生徒の前に教官が立ち、その後ろに見慣れない三人の男性が並んでいた。
「諸君! 彼らは、王室近衛騎士団の正騎士だ。だが、騎士団内での成績があまりよくないという事で、再び我が校で鍛え直す事となった。正騎士ではあるが、今は諸君と同じ生徒だ。かしこまらずに同じ仲間として、仲良くしてやってくれ!」
教官が高らかに宣言した後、三人を前に出させる。
「三人共、自己紹介を頼む」
「スプリンゲン・フリューゲルです! 王室近衛騎士団から来ました。よろしく願いします! 着ている服は違いますが、教官の仰る通り、対等な仲間として扱って戴けると幸いです!」
まずは、真面目そうな男が一歩前へ出て、そう宣言して敬礼した。
彼らの服は、私達のような見習い学生の制服とは違う正騎士の正装。一目見て、仕立ての良さが違う。神々しく輝いてすら見えた。
後の二人も前へ出て挨拶をする。
「ハインゼル・キンヤーです。特技は水泳です。どうぞよろしく」
「レオパルト・モルゲンマンです。騎士の仕事サボって飯食ってたら、学校で一からやり直して来いって言われちゃいました」
レオパルトと名乗った正騎士がひょうきんな笑顔を浮かべると、先に自己紹介したハインゼルが小突く。「いてっ」と声を上げたレオパルトは舌を出して、叩かれた場所をこすりながら再び笑顔を見せた。
そんなレオパルトさんの様子に、生徒の一部がくすくすと笑う。そこを教官が咳払いで一喝すると、再び厳格な雰囲気に戻った。
「成績が少々悪かったとはいえ、彼らは正騎士だ。今日はその実力を見せて貰うとしよう!」
教官がそう言って合図をすると、スプリンゲンさんとハインゼルさんが舞台に上がった。
始めの合図を受けると、二人は同時に動き出す。
互いに無駄の少ない動きで的確に急所を狙い、繰り出された攻撃を受け、受けた刃で反撃をする。
学生のそれとはまるで次元が違う、本物の試合。
生徒たちはそれを見て、さまざまな反応を示した。
固唾を飲んでただ見つめる事しか出来ない者、凄い凄いと感嘆の言葉を何度も繰り返す者、大声で声援を贈る者。
かくいう私も、ここに隙があるなとか、あと一歩踏み込めば勝てるのにとか、もし私が戦ったら……なんて想像しながら試合を見守っていた。
しかし、そんな中でシュナイデンたちだけは、私たちとは反応が違っていた。
「ちょっと動きが早いだけだろ? あれなら俺でも出来る」
「所詮は学校に戻された落第者ですよね、大した剣技ではないですよ!」
「あれなら、シュナイデン様の方が遥かに上です」
なんて、毒づいている。
シュナイデンが正騎士を貶すと、取巻きが賛同してシュナイデンを持ち上げる。見学の生徒だけに聞こえて、試合中の二人や教官には聞こえないぎりぎりの声で中傷しているのも、いかにもあの三人らしい。
彼らの周囲の生徒は、折角の試合に水を差す汚い野次に顔をしかめていた。
――数分後、スプリンゲンさんの方が相手の剣を弾き飛ばして決着。
「どうだ、これが本物の騎士だ。お前たちにも三年後には、このレベルになって貰うからな」
教官がそう言って今日の訓練を締め、解散の号令をかける。
生徒達がそれぞれ散って行く中、シュナイデンたちは正騎士の三人を呼び止めていた。
「新入りが……あんな試合でちょっと目立ったからって、俺たちをなめるなよ?」
「騎士団の落第者共が、身の程をわきまえろ!」
「正騎士だかなんだか知らんが、調子に乗るな。学校じゃ俺達の方が先輩なんだからな」
返答に困っている三人に対し、シュナイデンたちはさらに続ける。
「新入り、先輩である俺たちの剣を全部片付けとけよ!」
「ここでは子爵家嫡男であるシュナイデン様が一番上なんだよ。黙って従え!」
「学年全員分だ。一キロ先の武器倉庫まで持っていけ!」
言うに事かいて、普段は誰も片付けない武器を片付けろと命令している。
完全に新人いびりだ。
たまらず私は彼等に近寄って、文句を言った。
「ちょっと! 黙って聞いてれば、一体何!?」
三人同士の間に割って入り、手で正騎士を庇う仕草をする。
「剣を片付けろ? 一本八キロもあるのよ。それを四十本以上全部? 完全に虐めじゃない!」
大量の大剣を指差し、抗議する私。
対して悪びれず、言い訳をするシュナイデン。
「それがどうした、これは貴様が口出ししていい問題じゃない。落第者の新入りと、我々高貴なる貴族家の上下関係をはっきりさせているだけだ」
「貴族家? 爵位に関係なく平等、上下関係は無しって入学式で言われたの、もう忘れたの? それに、先輩だって言うなら、この人たちの方が私たちよりよっぽど先輩じゃない! 正騎士なんだから、三年以上も先輩でしょ?」
「煩い、煩い、煩い! この平民黒パン女が!!」
「黒パンは関係ないでしょ! でも、どうしてもって言うなら……」
魔法剣を創り出し、シュナイデンの眼前に突きつける。
「私が相手してあげるけど? 負けた方が片付けるって事で、どう?」
声を低くして鋭く睨みつけ、一歩、また一歩と歩み寄ると、今までにやにやといやらしい笑みを浮かべていた顔が一気に青ざめ、後ずさる。
更に詰めよると、踵を返して脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「う……ぐ……」
「畜生!」
「憶えてろよ!」
捨て台詞を吐きながら、あっという間に見えなくなるシュナイデンたち。
練習に使われた沢山の大剣は置きっぱなしのままだ。
私は、やれやれと溜息をつくと、魔法剣を消し去り、正騎士たちに振り向いて手を差し伸べた。
「まったく、逃げ足だけは早いんだから。……大丈夫ですか? 手伝いますね」
「ありがとうございます。まあ、俺が在籍していた数年前も似たような事はありましたから……」
私の問いかけに、スプリンゲンさんが剣を拾いながら答える。
「こういうのは毎年恒例なんだと思いますよ。あれが、例の……いや、今年の問題児ですね?」
……例の?
まるでシュナイデンたちを前から知っているような口ぶりだけど……。
私がとりあえず、ええまあ……と返事をすると、気をつけておきますと彼は苦笑いした。
それから四人で剣を片付ける事になった。
全ての大剣を鞘に納めて重ね、数本ずつ持っていく。到着したら、倉庫の掛け台に一本一本かけていく。
「これじゃ、埒があかないわね……」
私は倉庫にあったがらくた箱から、空箱を一つ取った。
何に使うんですかと聞かれるも、すぐに分かりますと答えて演習場に持っていく。
がらくた箱に詰められるだけ大剣を詰め、気合の声を発して持ち上げた。
ぎょっとして目を点にする正騎士たち。
早く終わらせましょうと私が声をかけると、スプリンゲンさんが尋ねてくる。
「一体何本入ってるんですか、それ……」
「んー……十二、三本かな? 普通、普通」
「普通じゃないですよ……」
「えー……」
彼らの眼差しは明らかに、同級生たちが私を見るそれになっている。
新人さんが入って来た初日に、その新人さんにまで化けもの扱いされるなんて……。
私がふてくされた顔になったのは、言うまでもなかった。