第百七十八話 帰路
――わずか十秒。
それが、恐竜との決着までにかかった時間。
私はジルの武器を強く握り、それを狂ったように振り回した。
光槍を振るうたびに、手応えすらなく次々と切断されいくティラノ。
「うわああああぁぁーっ!!!」
私の喉が枯れた頃、そこにはティラノだった肉塊が転がっていた。
光の刃も魔力を出し切ったのか、いつのまにか消えていた。
§ § § §
本能なのか、毎日の素振りのおかげか――あの長大な槍先を、仲間には一度も当てずに済んだ。壁や床はめちゃくちゃに斬り裂かれていたけど。
戦いが終わった私は、錫杖を投げて捨ててジルの下へ駆けつけた。
「ジル! ジルっ!」
重傷者には声はかけても、動かしてはいけない。
応急処置の最低限の知識だ。
この状況で触ってはいけないのがもどかしい。
「――ジル!!」
目を醒まさない、どころか足先から体が消え始めている。
魔力を使いすぎたから――真竜であるジルは、体を維持するのに魔力を必要とする。維持する魔力すら使い切ってしまったからだ。
このままじゃ……本当にジルが死んじゃう!
「どうしましたのー?」
悲しむ私の背後から、間延びした呑気な声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはテラソマがいた。
「テラソマっ! 魔力が……魔力が必要なの! ジルが……っ、死んじゃう!」
「これは大変ですのー。ちょっと待っててくださいのー」
焦る私とは対照に、ゆっくりした口調でテラソマは言った。
「変身解除ー!」
光に包まれると、人魚の姿へと戻るテラソマ。
「ご領主さまは、人魚の肉を食らうと不死になるってお話はご存知ですのー?」
「うん……一応、知ってるけど」
「それは、こういう事ですのよー」
尾でぴょんぴょんと跳びながら、ジルの近くへと回り込むテラソマ。ジルの真上に左腕を掲げると、右手に持った剣でその手首をかき切った。
「なっ……何をしてるのよ! テラソマ!」
「まあまあ。少しお待ちをー」
流れ出るテラソマの血をその身に浴びるジル。
すると、ジルの体が光り輝く。
ぴくりと動き、息を吹き返す。
消えかかっていた足も、元に戻っていく。
それを見て安心したテラソマは、自らの手首を押さえて止血をした。
「人魚の血には治療効果があるんですのー。ぜーんぶ回復しますのー。それを勘違いして、『不死になるー』なんて言われてますのー」
「ありがとう、テラソマ……!」
これでジルが助かる。
私は感極まって、テラソマに抱きついた。
「待ってくださいですのー。まだ、わたしの血が止まってませんのー」
「あ、ごめん」
抱きついた勢いで、止血をしていた手が外れて血が吹き出した。
私は、慌ててテラソマから体を離す。
そして、数分後……怪我も消え去って、同時に魔力も回復したジルが意識を取り戻し、私よりも慌ててテラソマの手首を治した。
§ § § §
「テラソマさんのおかげで、助かりましたわ」
お礼を言うジル。
「ですけど、よくこのような短時間で戻ってこれましたわね」
「わたし、大部屋に行ってみたんですのー。そうしたらとっくに、補修係の魔族さんたちが天井を直してましたのー。ですから、急いでこっちに来たんですのー」
補修係……そういえば、その補修係の後をつけて、この迷宮を攻略したんだっけ。今回も、補修係のお手柄。
おかげでジルは助かった。
「ところで、ヴィルギス……」
「ひいいっ! また、お仕置きですか!?」
「そうじゃなくて、地上のボス強過ぎ。もうちょっと弱いのに出来ない? あれじゃ、誰も倒せないでしょ?」
「ふむ……それも、そうですね……」
私とヴィルギスでこの迷宮のボスを再考し、適度な難易度にする事になった。新たに配置されるボスは、クリスタル・角暴走熊が一体。それなら、Bランク冒険者がパーティを組んで、丁度いい強さになる。
これで、この迷宮も更に人気が出ると思う。
「それと、『剣聖の姫君』……」
「何?」
「この迷宮を全制覇されたのですから、地下の宝を持ち帰られては? よろしければ、宝物庫までご案内致しますが……?」
ヴィルギスが勧める。
宝……そうだった。迷宮全制覇の報酬、宝物庫のお宝。
おそらく結構な金額になると思うけど、でも。
「ごめん、今回は『視察』って名目で来てるから……。領主になったから、領主としての視察。そう言わないと、ジーヤ……執事が許してくれなかったの」
「金貨にして一万枚ですよ?」
「う……うーん……」
それを聞いて本気で悩む。金貨一万枚、日本円なら一億円。
これで悩まない人がいたら、ちょっと見てみたい。
考えた挙げ句、私は宝を受け取らない事にした。
「次、ここを制覇した人がいたら……その人に渡して」
「承知しました」
一億円は凄く魅力だけど、仕方がない。
あくまで名目は視察、目的は修行なんだから。
§ § § §
ヴィルギスに案内されて、抜け道を通って迷宮の外へ。
彼とはここでお別れ。
「遅れましたが、領主就任おめでとうございます。貴女様のご活躍と領の繁栄を、心よりお祈り申し上げます」
見惚れる程に華麗なボウ・アンド・スクレープで見送ってくれた。
彼に手を振って迷宮から遠ざかる。
それから寄り道をして、竜亜人の村にも挨拶をしに行く。
村に寄るよと言ったら、アスナも喜んでくれた。ちょっとだけのつもりが結局、村で一泊。アスナは村の人たちに、今回の冒険譚を語った。
村人は全員、アスナの語る迷宮の話を歓喜しながら聞いていた。
翌朝、竜亜人の村を出発。
帰りの馬車で、私はふと疑問に感じた事をジルに聞いてみた。
「ねえ、ジル。あの魔法――《伝承光撃槍》だっけ? なんで、最初から使わなかったの?」
「あれは、全MPと引き換えに、十秒間だけ光の刃を作る魔法……。使った途端に倒れるのが分かっている付与魔法……それも持続時間はたったの十秒だなんて……。あんな状態でもない限り、使いどころは〇ですわ」
「あー……」
確かに、今回のジルは存在ごと消えそうになっていた。
切り札どころか、命の危険さえある魔法。そんな魔法を使ってまで、彼女は私に全てを託してくれたという事。
「でも、私が勝つの信じてくれたんだ? ありがとう、ジル」
「ふん……! あのままでは全滅でしたもの。仕方のない事ですわ!」
顔を赤くして、頬杖をつくジル。
照れて可愛らしく見えるジルと、信じて貰えたのが嬉しくて緩んだ顔の私を乗せて、馬車は中央都市へと向かった。