第百七十四話 魔族
そこで待っていたのは、黒い礼服の紳士。
彼は、ボウ・アンド・スクレープ――紳士の挨拶の姿勢で、私たちを歓迎するかのようにお辞儀をしている。
頭を上げて指を鳴らすと、床に巨大な魔法陣が出現し、薄ぼんやりと光を帯びる。部屋の奥から手前まで、左右の壁にかかった大量のロウソクが順々に灯っていく。
この大がかりな明かりに照らされたのは、紛う事なき魔族の姿。
執事のような礼服と、それに映える真紅のスカーフ。黒い髪に緑の肌、白と黒が反転した邪悪な瞳、そして四本の角。カナと同等の上級魔族だ。その身に凄まじい気迫をまとい、全身から禍々しいオーラが漂って見えるようだ。
間違いなく強敵、この迷宮最後の敵だ。
私は、思わず生唾を飲み込んだ。
「ようこそお越し下さいました。この地下に足を踏み入れた冒険者は、貴女方が初めてですよ。改めましてようこそ、私の地下階層へ」
彼の最初の言葉は挨拶だった。
「申し遅れました、私の名はヴィルギス。この迷宮にて、『管理者』をやらせて戴いております。以後、お見知りおきを。……もっとも、お見知りおきと申しましても、すぐに永遠の別れとなりますがね……」
そして、慇懃無礼な態度で話を続ける。顔には不敵な笑みも浮かべている。
「この八百年、ずっとお待ちしておりました。存分に楽しませて戴きま……」
唐突に彼の言葉が途切れた。
「ぬぬっ……! ぬぬぬ……! な……なんですか、そのパーティは!」
驚愕の表情で、後ずさりをする『管理者』ヴィルギス。
「魔族にドラゴンに……人間が一人もいないじゃないですか! 卑怯ですよっ!!」
「失礼な! 少なくとも私は人間だから!」
私は間髪入れずに抗議をした。
確かに中級以上の魔族二人、真竜に竜亜人、それに人魚だけど。私一人だけは、紛う事なく正真正銘の人間だ。十把一絡げに人外扱いしないで。
「ふざけないで下さい! 貴女、巷で噂の『剣聖の姫君』じゃないですか! 『剣聖』なんて化け物、人間にはカウントしませんよっ!」
酷い……こんなか弱い女の子を捕まえて、なんて酷い言い草。
それに私の顔って、魔族にまで知れ渡っているの?
私の『なんで知っている』という表情を読んで、彼が言う。
「有名ですよ。上級魔族のカナリア様に付き従う、人間最強の剣士の話は!」
「まー……どっちかっつーと、付き従ってるのはアタシの方なんだけどな」
カナが突っ込みを入れる。
それを聞いた彼の頬に、一筋の冷や汗が伝った。
「じょ……上級魔族を従える人間!? 本当に化け物じゃないですか!!」
「化け物なんて、失礼な!」
私は本気で怒った。
いつも周りから化け物扱いされるけど、初対面の魔族にまで化け物呼ばわりされる筋合いはない。
「八百年ですよ、八百年! 八百年も待たされて、やっ……と冒険者が来たかと思えば、こんな化け物パーティの相手をさせられる私の身にもなって下さいよ! どう見たってこんなの、ただの集団リンチじゃないですかっ!!」
両手を広げて力説する、上級魔族ヴィルギス。
「せめて……一対一、一対一での戦いを!」
往生際が悪過ぎる。
というよりは、仮にも四本角の上級魔族なんだから、私たち全員より強いはずなんだけど。私、アスナはいわずもがなで、同格のカナは角がないし、デルマは格下、部屋が狭過ぎてジルは真竜に戻れない。確実にヴィルギス有利だ。
何を怖れる必要があるのだろうか。
念のため、誰との一騎打ちをご所望なのかを確認する。
「……で、誰と戦うの?」
「その人間に化けた人魚と……」
あまりの情けなさに、思わず飛び蹴りを叩き込んでしまった。
よりによって、パーティの中で一番戦闘に向かないテラソマに挑もうだなんて。
「いっ……痛いっ! 何をするんですか、『剣聖の姫君』っ!!」
「この子は、うちの非戦闘員なの! そっちこそ卑怯じゃない!」
「だって、一番弱そうだったものですから……」
地上階からずっとテラソマばかり狙われているけど、この迷宮はテラソマを狙う決まりでもあるんだろうか。
「……もういい。私が相手になるから」
「魔族を従える『剣聖』とか、完全に私の負け確定じゃないですかっ!」
「戦ってみなきゃ、分かんないでしょ」
「いいえ、分かります! 分かりますとも。一分後には、私のバラバラ死体がここに転がっているんですっ! その未来がありありと見えますよ!」
そこまで酷い目に合わせるつもりは、ないんだけど……。
「……あ、あの……そうだ、試合! 試合形式という事でいかがでしょう? ぜひとも、寸止めの試合という事でお願い致しますっ!!」
試合形式。最初から私が申し込むつもりだったものだ。
渡りに船のはずなんだけど、これは本当に渡りに船と言ってしまっていいのだろうか……。
「じゃあ、それで」
「あっ……ありがとうございますっ! ありがとうございますっ! お優しい『剣聖の姫君』様に感謝致しますっ!!」
土下座をして、泣いて喜ぶヴィルギス。
最初の威厳やら、気迫はどこに消えてしまったのだろう。
そして私とヴィルギス、一対一の戦いが始まる。




