第百七十一話 三部屋目
その魔族は、この部屋を出ようと背を向けていた。
私たちの気配に気がつくと振り向いて、手に持っていたものを全て落とす。
そして、私たちに向けて絶叫のような声を上げた。両手を前に出し、首と両手を激しく横に振る。魔法の詠唱だろうか? 私は一足飛びで魔族のいる部屋の奥まで跳び込み、剣を上段に振りかぶる。
「ちょっと待った!」
後ろからカナの声が聞こえた。
私は魔族の手前に着地、その脳天を縦一文字に叩き斬る寸前で、動きをぴたりと止めた。魔族の額まであと一センチ。本当にぎりぎりの寸止めだ。
「……なんで止めるのよ?」
「ソイツ、『敵意はない、攻撃しないでくれ』って言ってるぜ?」
「……え?」
とりあえず剣を消して、カナの到着を待つ。
待っていると、仲間全員が走ってきた。
カナとデルマがその魔族と、魔族語で交渉なのか喧嘩なのか分からない、叫び合いのような会話を始める。
「どうやら、コイツは迷宮の補修係らしいぜ」
「補修係?」
「ほら、そこに落っこちてるもん見りゃ分かんだろ」
カナが親指で、魔族の落としたものを指した。
角材に板……それに金槌とのこぎり。確かに大工さんみたいな装備だ。この木材と工具が実は得物で、これで冒険者と戦うと言うなら話は別だけど。
「迷宮内の壊れたトコを補修して回ってんだとよ。非戦闘員だから、攻撃しないでくれってさ」
「へー……」
「今は、ガラの悪い冒険者がブッ壊しちまった扉を補修してたんだとよ」
よく見ると、この魔族が出ようとしていた扉は新品だ。
今作ったばかりという綺麗さで、真新しい木の匂いまでしている。
カナの通訳によると、彼ら魔族は『管理者』に雇われて、冒険者に壊されたり、老朽化した迷宮を直して回っているらしい。一キロ四方の大きな施設だから、常にニ十人体制で、修理や罠の再設置を行っているのだとか。
給料は日給制で、魔族貨幣二十枚。魔族貨幣は銀貨と同じ価値との事で、日本円にするなら日給二万円。人間の職業、例えば関所の衛兵が一日銀貨八枚……八千円だから、結構いいお給料だといえる。
「……で、普段は冒険者と遭わないように作業してたけど、今回はたまたま私たちと遭遇しちゃった……って訳ね?」
「そーなるな」
「戦う気はないから、見逃してくれ……って言うのね」
はっきり言ってしまうと、たとえ本人がそう言っていても魔族は非常に強力だ。むしろ、見逃して貰っているのは私たちの方だといえる。
「じゃあさ、こうしない? 私たちは彼の補修作業を手伝うって事で。そうすれば、戦わないで済むし、お互いの作業もはかどる……ね? いい案でしょ?」
これなら、どちらも『見逃して貰った』という借りを感じなくて済む。それに私たちの目的は、迷宮制覇ではなく『視察』……補修は、領主である私がやるべき作業でもある。
もう一つ……実は、上から見下ろした時に気付いたんだけど、罠設置係の魔族は、全部の罠を設置し終わると『ボス部屋に帰っていた』
つまり、彼についていけば、迷わずにボス部屋まで行けるって事。
一石二鳥どころか、何鳥にもなる素晴らしい考えだと思う。私、頭いい。
ジルも私の思惑に気付いたみたいで、私にしたり顔で笑みを向けた。
私も笑みを返し、互いに親指を立てた。
§ § § §
今回の名目が『視察』である事は皆知っていたので、満場一致で補修のお手伝いをする事に決定。誰一人、異を唱える事はなかった。
真新しい扉をくぐって、次の補修地点へ向かう。
行き止まりに当たる事も、罠にかかる事もなく、簡単に部屋についてしまった。
そこには大蛇の魔物がいて、私たちに今にも襲いかからんとしている。
魔族はごそごそと自分の毛皮の中を漁ると、玉のようなものを取り出し、それを放り投げた。
大蛇は口でそれを器用にキャッチすると、ぺろぺろと舐め始めた。
これは大蛇用の餌なのだろう。
「ここの魔物は、エサ食ってる間だけおとなしいらしーぜ」
魔族がしてくれた説明を、カナが通訳する。
「じゃあ、食ってる間に作業やっちまおーぜ」
まずは、魔族が壊れかけの石壁を直す。
彼が魔族語で長い呪文を唱えると、冒険者や大蛇が暴れた後らしき壁が、みるみる修復されていく。
私が感心して見ていると、カナが魔法の説明をしてくれた。
「あれは、《石創造》の魔法だな。土の下級魔法だから、アリサも出来るはずだぜ」
土属性の魔法なんだ。それなら私も使えそう。
よし、試してみよう。
「《石創造》――!」
まだ修復が必要な面に手をかざして魔法名を叫ぶと、小石がいくつか生成され、床に落ちてころころと転がった。
これは掃除しないと……あれ? なんか私、作業の邪魔になってない?
小石をどけて、もう一つの作業である床掃除をする。
前の冒険者たちが射った矢を回収し、落ちている剣や鎧を拾って隅に片付ける。
「ねえ……カナ、これって」
「ああ、ここで死んだ冒険者の遺品だな。本体はスライムに溶かされちまって、武器や防具、あと金なんかが残る」
「やっぱり」
「こーいった遺品は回収されて、金や魔法の武器ならお宝部屋、それ以外は行商人にでも売って、迷宮運営の足しにすんだよ」
結構、えぐい話だった。
宝物庫の宝って、そうやって補充されてたんだ。
何故、商人コボルトが迷宮内にいたのかも納得出来た。
全部を集め終わった後、私はこっそり遺品たちに両手を合わせた。
そして……その遺品を前に、魔族がまた何かの魔法を唱え始める。
「《邪像創造》だな。魔族だけに伝わる秘術だ」
「そんなの、私たちの前で使っちゃっていいの?」
「ああ、問題ねーよ。人間の魔力じゃ普通は作れねーからな。だから魔族だけに伝わってんだよ。……まてよ、アリサの魔力なら作れんじゃねーか?」
確かに私は、魔力だけは結構ある。
ひょっとして《剣創世》に続いて、二つ目の実用魔法を憶えられるかも知れないって事?
期待に胸が高鳴り、私はカナに尋ねる。
「本当?」
「これが終わったら、呪文教えてやるよ」
――魔族の詠唱が完了した。
二メートル程の大きな石が生成され、それが彫刻のように削れていく。
だんだんとその形がはっきりとしていき、最後は悪魔像になった。
前の世界でも、ヨーロッパのお城に飾られていた悪魔像。ガーゴイルだ。
完成したガーゴイルは、命を吹き込まれたように目が輝くと、生き物のように動き出した。魔族の命令を受けて遺品を抱えて飛んでいく。行き先はおそらく、ボス部屋の奥……宝物庫だろう。
「かっこいい……」
私は思わず呟いた。
もし、これの巨大版が作れるなら、私の手で戦隊ロボが実現するかも。
夢が広がる。
「よし! アリサ、呪文教えるぞ」
えっ……『これが終わったら』って、迷宮を踏破したらじゃなくて、部屋の掃除が終わったら、だったの?
§ § § §
カナに教わった呪文を唱える。
間違えないように丁寧に唱えたので、かかった時間は三分。
気力もごっそり持っていかれた。体感で半分くらい。
「いくよ。《邪像創造》――!」
私が叫ぶと、石の塊が現れて、それが凄い勢いで削れていく。
やがて形になって、ガーゴイルが完成。
最後に私が魔力……まあ、気力だけどを注ぎ込むと、ガーゴイルの目が光って、動き出す。
「やったあ! え……?」
私は、目が点になった。
出来上がったガーゴイルは、わずか三十センチ弱。
可愛らしい見た目で低空を羽ばたいて、近くを行ったり来たりしている。
「もうちょっと高く飛べないの?」
聞くと、ガーゴイルは首を横に振った。
どんなに必死に羽ばたいても、地上から五十センチが限界。
その速度も、歩く程度の速さ。
うん、私の実用魔法は《剣創世》だけだったよ……。




