第百六十九話 一部屋目
――どれだけ歩いただろう。
私たちはいくつも分岐のある、曲がりくねった通路を進んでいる。
途中のスライム……は放置して、オオカミや山賊コボルトを退け、いくつかの罠をカナの力技で解除した。
私とジルはもう慣れたけど、アスナたちはカナの罠解除を見て腰を抜かしていた。デルマに至っては、感心して真似をしようとする始末。
発見までは非常に繊細かつ慎重なのに、解除は魔族の特性でごり押し。魔法の武器しか効かない体で、むりやり作動させるか破壊するかの二択解除。それを見て、驚くなと言う方が無理というもの。
「ねえ、カナ。なんのために罠探してるの?」
アスナの問いに、カナは笑いながら答える。
回答は至って単純だった。
「ああ、対魔族用罠……なんてねえと思うけどよ、念のためそれ探してんだ。そー言うのはマジメに探して、マジメに解除しねーとな。それと広範囲の罠とかは、壊さねーとオマエラが食らっちまうだろ」
「ふーん」
対魔族用罠。カナはこう言っているけど、普通は設置しないと思う。
魔族が迷宮攻略に来るとは思えないし、管理者が引っかかったら大変だから。
そういう所々に設置された罠や、曲がり角で待ち伏せする敵を警戒しながらの道程が、私たちの足を極端に遅らせていた。
朝一番で入って、今はもう昼。かなりの時間を費やしているけど、大して進めていないと思う。最奥までの直線距離はたったの一キロ。……にもかかわらず、まだ一部屋目にすらたどり着けないのは、罠の多さや迷路の複雑さが原因だと思う。
一階層しかないはずのこの迷宮、もしかしたら数日を要する規模なのかも知れない。
§ § § §
ようやく最初の部屋に到着。
これが噂の『Aランク』部屋。
そのAランクの魔物は、ジーヤが既に退治したと言っていた。でも、ここで出る魔物のランクは、私の予想が当たっているなら、どのランクが出るかは運次第。
どうして、最初の部屋でAランクが出る事態になっているのか。それを私が気付いてしまったからだ。
この迷宮は、上から全貌が見える。
だから壁が動いて、最初に見た時から変化する『しかけ』が施されていた。
これが最大の問題。ようは迷路が変わるから、最初の部屋が毎回違うって事。
めぐり合わせが悪いと、かなり奥に行くまで部屋には到達出来ず、やっと見つけた部屋が高ランク部屋……そういう事が起こる仕組みになっていた。
何事も凝り過ぎはあまりよくない。その最たる例だと思う。
どうしてこの迷宮の製作者は、作った時に気付かなかったんだろう?
この事は、通路を歩きながら仲間全員に告げた。
部屋の手前には、重たい鉄の扉。緊張しながら手をかける。
「じゃあ、開けるね……」
「お……応……」
隣にいるカナも緊張している。
力を込めて扉を開け放つと、そこには――。
§ § § §
コボルト。
しかも、たった一匹。
これなら全員で総攻撃をしなくても、私とカナだけでなんとかなる。
「コボルト一匹かよ! これなら余裕だな!」
「いくよ、カナ!」
極限の緊張状態からの、コボルトという落差。
士気だけは下げずに飛びかかろうとすると、ジルが止めた。
「お待ちなさい!」
「えっ……なんで、止めるの?」
ジルは前に出ると、片腕を水平に上げて私を制していた。
そして、コボルトを指差す。
「よく見なさい。あれは善良なコボルト……商人コボルトですわ!」
言われてみれば、顔つきが穏やかで可愛らしい。
いいコボルトの証である首輪も着けている。
ござのようなものを敷いて、沢山の品物を並べている。確かに言われた通り、商人のコボルトだ。
ジルが犬の遠吠えのような声を上げると、コボルトも呼応する。
コボルトの使う魔族語。ジルはあらゆる魔族の言葉が堪能で、大抵の魔物、魔族との会話が出来る。しばらくわんわんと吠え合って、話がついたのか私に報告した。
「やはり、私たちが先日助けた商人コボルトでしたわ」
ええーっ、そんな偶然ってあるの?
私たちは……まだテラソマも仲間になっていなかった頃、四人でコボルトの商隊を助けた事がある。その商隊の一人だという。確かに、あの毛皮の模様には見憶えがある……かも?
攻撃しなくてよかった。
「ありがとう、ジル」
「どうしたしまして。アリサさんみたいに入ってすぐに斬りつける、野蛮な冒険者が多くて困っていたそうですわ」
ちょっとジル、アリサさんみたいに……は余計じゃない?
一応とりあえず納得をして、私は持っていた魔法剣を解除した。
剣を消しながら、私は疑問に思った事を口にする。
「もし攻撃されたら、どうしてるの?」
「逃げ回りながら首輪を見せて、剣を収めて貰うそうですわ」
……商人も大変だ。
私たちは襲いかかろうとした罪滅ぼしも含めて、彼の商品を買う事にした。
ござの上には、長剣、盾といった武具から始まって、黒麦のビスケットや燻製肉などの保存食まで、冒険や探索に必要そうな品物が取り揃えられていた。火打ち石や、戦利品を詰めるための袋なんかもある。
「武器などは、迷宮の長丁場で壊れてしまう冒険者もいるそうですわ。結構よく売れていると仰ってますわ」
武器といっても、私たちの武器は全部特殊。
私は《剣創世》で創り出した即席の魔法剣だし、大抵の武器はカナが魔法で作れてしまう。
今、テラソマが持っている小剣も、デルマの両手剣もカナが作ったもので、壊れてもカナに頼めば新しいのを作ってくれる。
ジルはいつもの錫杖だし、アスナはそもそも武器を持てないから素手。
私たちには予備の武器は不要……となると、買うなら日用品か食料。
火打ち石はカナの魔法があるから、悪人を縛るためのロープの予備を買って、あとは保存食。多分、あえてそういう構成にしてるんだと思うけど、結構高価な食料が多い。
皆、ダンジョン内で困ったなら割高でも買うけど、ただ高いだけなら斬られかねない。だから、元から高めの商品を売る。黒麦のビスケットは、粉をまとめるのに小麦粉が必要で高め、燻製肉は燻してあるので干し肉より高め。上手い商売だ。
ビスケットと燻製肉、それと塊のチーズを買うと、コボルトが手のひらサイズの小さな壺を勧めてきた。彼が犬のような指で器用に蓋を開けると、甘い香りが漂ってくる。
……蜂蜜だ。
黒麦はすっぱいから甘味があると助かるし、何より蜂蜜には疲労回復の効果がある。これは是非とも買わないと。お値段を聞くと、金貨一枚と書かれた値札を見せてくる。商人コボルト、商売が上手過ぎる。
迷宮は一回入って適度な所で引き返したとしても、最低金貨一枚以上は稼げる場所。そこで金貨一枚は絶妙な値段設定だった。
日本円にしたら、一万円だけど……。
ここは蜂蜜も購入して、その壺をジルの胸――《次元収納》に収める。
これで買い物も終了。次の部屋へ向かおう。
「ところで、ジル」
「なんですの?」
「『私たちが先日助けた』って言ってたけど、あの時のジル……手伝わないで、お茶をすすってたよね?」
「そういう細かい事を言わないのが、いい女の嗜みですわ」
……ジルはいつでも、都合がいい女だった。