第百六十七話 布教
アスナの故郷、竜亜人の村。
その名の通りに、竜の姿を持つ人種だけが住む村だ。
百人にも満たない小さな村だけれど、村民の誰もが活気にあふれていた。広い道をアスナが言っていた竜車が走る。
彼女の説明通り、地竜の背に鞍が乗せられ、その上に竜亜人が乗る。鞍から伸びるようにして大八車が取りつけられて、力強く貨物を引いている。ややゆっくりとした速度ながら、小さな村には十分な運搬力を備えている。
何より、この村にはあの銅像がないのが嬉しい。
竜亜人だけの隠れ里だから当然だけど、それだけで心の底からほっとする。
あれは本当に恥ずかしいから……!
村の竜亜人は全員がアスナと同じ、下着のような服装で生活をしている。石造りの民家の軒下では、皮のパンツ一枚の男性竜亜人たちが狩りの成果を捌いている。
道行く村民の一人が馬車から降りた私たちに、手を振って話しかけてきた。
「おう、アスナでねえか!」
「兄ちゃん、久しぶり!」
アスナもまた、手を振って答えた。
兄ちゃんと呼ばれた男性が、こちらへと走ってくる。
「アスナ、百年以上ぶりだへな! 騎士にはなれたんか?」
「なれた、なれた! この人が、『剣聖の姫君』アリサさま。新しい領主さまだよ!」
「どっひゃあ! ご領主さまだへ? アスナがお世話になっとります」
私にぺこりとお辞儀をする彼。
竜亜人の挨拶は、魔族式――つまり日本様式らしい。
「アリサ、メルティオだよ。近所に住んでた兄ちゃん」
「へえ……。アリサ・レッドヴァルトです。こちらこそ、アスナさんにはお世話になってます。よろしくお願いします」
思わず、私もお辞儀をした。
この世界で十九年生きたとはいっても、元は日本人。その頃の感覚が蘇って、自然と頭を下げていた。
それから、メルティオさんの案内で村を歩く。
まずは自警団の戦士に挨拶をして、私たちが客人だと説明する事になった。
誰も踏み入らないはずの隠れ里に、何の挨拶もなしに人間が入り込んできたら……ただの侵入者だからね。
アスナは、広場というか井戸端で休憩している、体格のいい男性竜亜人に話しかける。彼が自警団の戦士らしい。
近寄って立ち上がった彼を見ると、その身長は二メートル半。体格がいいというよりは巨人だ。デルマも大きいけど、魔族の巨体をも凌駕している。
「おう、アスナでねえか! 二百年近くも村放っぽって、どこさ行ってたんだっぺよ」
「騎士になったんだ! ほら、領主さまだよ!」
「そら、アスナがお世話になっとります」
またお辞儀をされて、お辞儀で返す。
こんなに大きい人に頭を下げられると、つい私も下げてしまう。
こうやって村を案内され、一緒に歩く人たちがぞろぞろと増えた。
「ええと……これって、どういう状況?」
「うーん。人間の来客なんて、この村では珍しいからね」
「外では竜亜人の方が珍しいはずなのに、ここでは人間が珍しいんだ……」
「百年に一度、冒険者や行商人が迷い込むかどうかだよ」
最後は村中央の井戸端まで戻ってきて、村人たちのもてなしを受ける事になった。焚き火をおこして、狩ったばかりのワイルド・オクス――野生ウシを焼いてくれた。
竜の眷属である竜亜人らしく、切り方は豪快でほぼ塊の肉。その肉にたっぷりの塩がかかっている。塩は高価な調味料のはずだけど、聞いてみると翼で飛んで岩塩坑に採掘にいくのだとか。翼があるって、凄く便利。
お塩たっぷりの料理なんて、実に十九年ぶり。
刺激的な味に、私の頬も落ちそうになった。
その日は『領主様歓迎の宴』という事になり、飲めや歌えの大騒ぎに。
夜更けまで歓迎会が催された。
§ § § §
翌日、少々遅めに目を醒ますと、アスナとジルは先に出かけていた。
アスナはともかく、あのジルが私より早く起きるなんて珍しい。
私が日課の千本素振りを始めた頃、村中央の井戸端から声が聞こえてきた。
あれは、アスナの声だ。
素振りを中断して、ちょっと見にいってみよう。
「いや、ほんと凄いんだよ! 『竜神教』に入れば、凄い《竜化》が出来るんだよ! こーんな、大っきい奴!」
「アスナ、それ本当だっぺか?」
「ええ、凄い《竜化》が出来るかどうかは保証出来ませんけど、修行と信心次第では正真正銘の真竜になる魔法を教えて差し上げる事が出来ますわ」
「真竜にもなれんのかあ! そら、すんげえなあ!」
いつものジルの布教活動だ。
でも、今日はちょっとだけ雰囲気が違っていて、いつもならジルが《治癒》の奇跡で信者を集めるのだけど、アスナが《竜化》の話題で教えを広めている。
身振り手振りで、いかに凄いのかを力説。
いわく、ジルの《竜化》は本物の竜の大きさだったとか、海竜を一撃で屠ったとか、結構興奮気味に話している。
「ジル……じゃなかった、聖女さま! 見せてみてよ!」
とうとうアスナが、無茶振りをし始めた。
ジルの使っていたあの技は《竜化》などではなく、真竜であるジルが現在《人化》で人間に化けていて、一部だけ変身を解いたもの。
実は、竜の体を維持するのには莫大な魔力が必要で、変身を解くとごっそり魔力が失われるとか。なので、ジルは極力あの技を使わないようにしている。それを、見せるためだけにやってくれ、というのは無茶が過ぎるかも。
ここで私が助け舟。ジルにそっと耳打ちをする。
「……ねえ、ジル。信仰心が増えたら、魔力が増えるんでしょ……?」
「……ですわね……」
「……だったら、ここでちょっとだけあれを見せて、ここにいる人たち全員が入信したら……ね、十分取り戻せない……? ……先行投資って奴よ……」
「……なるほど……」
ジルは納得すると、声を張り上げて皆の注目を集める。
「今からお見せ致しますわ! とくと、ご照覧あれい!」
瞬時に片腕が盛り上がり、たちまち鱗に覆われる。
完全に竜のそれとなった腕は、巨大な畏怖と力の塊となって中央通りに叩きつけられた。大地がえぐれ、四本の亀裂が出来上がる。
それを見た村人たちは、一斉に腰を抜かした。
変身を解いた時間、わずか十秒。
たったそれだけで、この場にいる全員の心を震え上がらせた。
「……ま、こんなものですわ」
決して《竜化》じゃないけどね。
それでも、皆がジルの下に駆け寄って、我もわれもと入信を決める。
「……ね、うまくいったでしょ……?」
「……ですわね……」
結果、この村のほとんどが『竜神教』の信者となった。
《竜化》については、あとでジルが説明するのに苦労しそうだけど……。
§ § § §
それから教義や作法を入信者に教えて……とはいっても、教義は竜神様を崇めるくらいで、作法も毎朝お祈りする事だけ。非常にシンプルな宗教だ。女神教との多重入信も許している。もっとも女神教がそれを許すかは、別の話だけど。
この毎朝のお祈りが、ジルの魔力になるらしい。
沢山の人々の信仰心を少しずつ集めて魔力に変え、奇跡魔法を行使したり、真竜に戻るのだとか。一人の祈りから与えられる量は、《治癒》を一として、ほんの〇.〇〇〇一らしく、信者一万人分でやっと《治癒》が一回使える程度らしい。
気の遠くなるような話だ。
……とにかく教義、作法を教えて村人たちがはけた後、すぐにジルが困る時がやってきた。
「ねえ、ジル。そろそろ大っきい《竜化》の仕方、教えてよ」
アスナ、二度目の無茶振り。
領主の私には遠慮するのに、ジルには遠慮の欠片もない。
「構いませんけど……《竜化》ではなく、存在そのものを真竜に変える《転化》の魔法ですわよ」
「何が違うの?」
「一度使ってしまったら、二度と竜亜人には戻れませんわ。一応、セットで《人化》の魔法も教えますけど、竜の力を行使する時以外はただの人間ですから、怖ろしくひ弱になってしまいますわ」
そう、ジルは『真竜』が人間に化けているだけの存在。
人間状態は、まあまあ強いんだけど……戦闘能力は本当に人間レベルに落ちている。
アスナは自分の両腕、竜の姿をもつ腕を見つめて、尋ねた。
「えー……戻れなくなるの? じゃあ、ジルは?」
「私……正真正銘、真竜ですわよ。この姿は《人化》で化けてますの」
「えっ……本当?」
「本当ですわ。それでもよろしければ《転化》の魔法、教えて差し上げますわ」
ジルは素直に、嘘一つなくアスナに答えた。
「……それと《転化》ですけど、百メートルにおよぶ巨大な魔法陣を描いた上で、三日三晩、不眠不休の詠唱が必要ですの。失敗すると、死んでしまいますわ。……それでも、よろしくて?」
「ええええー……」
それって、難易度とリスクがやたら高過ぎないない?
アスナだけでなく私まで、ええーと言いたくなる。
「うーん……本物の真竜かあ。憧れるけど、今は無理かな……。その内、勇気が出たらいつか挑戦するよ!」
まあ、そういう答えになるよね。
ただアスナの場合は、社交辞令ではなく『勇気が出たらいつか』と本気で思っている。彼女のまっすぐな瞳には、その強い決意が表れていた。
「その時は、教えてくれるよね?」
「勿論ですわ。バッチリ、サポートもさせて戴きますわ!」
……いつか来る、この世界で二体目の竜の誕生。
私も楽しみだと思った。