第百六十五話 視察
「はああああっ!!! 《竜化》!!!」
アスナの姿がみるみる竜のそれへと変わっていく。
元より強大な威力だった爪はより鋭くなり、何者をも噛み砕く牙が生え、武器すら通さぬ硬質な鱗と、大空を制する見事な翼が現れる。
その彼女が地面すれすれの超低空飛行で、私へと迫ってくる。
すれ違いざまに、獅子が獲物を仕留めるかのようにして、爪を振りかぶった。
魔物さえも輪切りに引き裂くこの爪を、かろうじて魔法剣で止めるもアスナはそのまま飛び去った。空を舞う速さを突撃へと転じたその速力は、私に反撃を許さない。
さらに……彼女はもう一手、だめ押しの手段を打ってきた。
「いくよ、《加速》っ!!」
「ちょっ……アスナまで《加速》、使えたの!?」
この魔法は《加速》――私の親友、カナが炎系以外で得意とする戦闘支援の魔法で、ジルも使っていた、魔族や知性のある魔物にとって御用達の魔法。数分の間だけ動きを倍の速さに出来る。
まさか、アスナもそれが使えていたなんて。ただでさえ高速の飛行が倍の速度になる。しかも、それを竜亜人の特徴である強大な魔力で、本来必要とする詠唱を破棄して、魔法名の宣誓だけで魔法を発動させた。
これは、非常に厄介な状態だ。
先程と同じ突撃が繰り出される。しかしその速さ、切れは倍……いや、それ以上。鋭い鉤爪を放つと同時に離脱するその戦法は、《加速》によって鋭さを大幅に増していた。
アスナは、その後も間髪を入れずに一撃離脱を繰り返す。
流石は百年以上も騎士を続けている騎士竜――恐ろしい程に手強い。
幾度目かのアスナの突撃で、私は策を講じた。
超低空とはいえ、飛行には限界の高度がある。狙えるのは私の上半身だけ。
アスナの爪が迫るその瞬間に合わせて上体を反らし、ぎりぎりで避ける。そのまま横回転で全身を回して斬りつける……こんな策だ。
サイドフリップ――空中側転。パルクールの花形の一つであるこの技の、練習で使われる『着地を考えずに、側転だけを重視した低空の側転』……これを使う。普通はマットを用意して、わざと転ぶように地に背を叩きつける練習法。
勿論、私の斬撃が外れたら、無様に地面へ寝転んだ状態で、次の一撃に腹を晒す事になってしまう。いわば、賭けだった。
私が上体をそらすと、アスナの爪が私の頬をわずかにかすめる。軽い傷口が出来、同時に小さな血飛沫が上がった。……ぎりぎりで躱せた。そのまま全身を捻り、その回転でアスナの胴を薙ぐ。
次の瞬間、見事アスナの脇腹に私の剣が当たり、滑空の軌道が大きく斜めへとそれる。そして、アスナは地面に引きずられながら墜落した。
「あいてて……私の負けだね……」
えぐるように墜落したため、土と芝まみれになっているアスナ。
いつの間にか竜への変身も解けている。
――今朝は、早くからアスナとの組手。
ドラグニ侯爵を退けた日から一週間が経ち、アスナ、カナ、私の三人は、腕が鈍らないように毎朝組手をするようになった。
「まったく……毎朝、治す方の身にもなって下さいまし。《治癒》もMPを消費するんですのよ……」
私たちのかすり傷や擦り傷を治しながら、ジルがぼやいた。
§ § § §
組手が終わって、ジルの《浄化》の魔法で汗を洗い流して貰い、朝食。
その席で、ジーヤから報告を受けた。
「お嬢様、ドラグニ侯爵……いや、今では元侯爵になりますな。ドラグニ元侯爵の件で、お嬢様にお知らせしたい事がございます」
元侯爵……?
ジーヤにしては、妙に含みのある言い方だ。
「此度の、湖、迷宮に関わる元侯爵の越権行為を報告したところ、ドラグニ元侯爵の爵位は剥奪。領の撤廃も決まりました」
冒険者ギルドには魔法によるネットワークがあり、大陸内のどこへでも一日で情報伝達が出来る。国内の行政関連の通達は、ギルド経由で行われる事で迅速な対応が出来る仕組みになっていた。
まあ、一回につき何時間もの儀式を行って、数十分だけ遠隔で話せるといった、不便な魔法らしいけど。
乗り合い馬車で往復二週間かかるこの領地でも、有事の際は報告一日、その後会議や認可を通して、返答一日。早いものなら二、三日で答えが返ってくる。それを一週間かかったという事は、今回の件は結構揉めた事が予想出来る。
それにしても爵位剥奪、領の撤廃か……厳し過ぎる気がする。
「なんか、可哀想……」
「いえ、国主すらかしづく『剣聖』に、一国の侯爵が牙をむいたのです。妥当な処分と言えましょう」
「ジーヤ、厳しくない……?」
「お嬢様のお手を煩わせたのです。当然の報いでございます……!」
あ……ジーヤ、怒ってる。
「それに伴い、ドラグニ領は剣聖領に合併。元公爵の私兵となっていた騎士は剣聖領に移籍となりました」
つまり、どういうこと?
事態が飲みこめずに首をかしげる私。
それに対してジーヤは、咳払いをしてから言い直した。
「お嬢様の領土が倍になった……という事です。元より、ドラグニ領は剣聖領の倍の広さですから、正確には三倍……となりますな。領の保守、防衛の要となる騎士も増員となりましたぞ」
観光地を奪いにきて、逆に領土を全部取り上げられたとか可哀想過ぎる。
ドラグニ侯爵に同情してしまう。
「王家の皆様は、此度の件を大激怒なさっていたそうで、このような厳しい沙汰になったと聞き及んでおります」
特にワルツ王子とグリューネ王女が怒ってそうなのが、私には容易に想像出来る。怒っている顔まで浮かんできた。
あの二人、何故か私を気に入ってるからなあ……。
「それと、お嬢様が大層気に入られていらっしゃった、かの『剣奴』デルマですが……」
気に入ってたというよりは、強かったねーって話題に出してただけなんだけど。
「彼も剣聖領にて、騎士待遇で召抱える事としました。私の独断ですが、よろしいでしょうか?」
流石はジーヤ。
彼の処遇を聞かれたら、私もそうしろって言のを先回りしてきた。
「デルマ!」
ジーヤが少し大きめの声で呼ぶと、彼が食堂に入ってくる。
そして私の足元まで近付き、無言で膝を折る。
これは……朝の組手に、凄い手練が加わりそう。
この間のような命の奪い合いにだけはならないよう、釘を刺さないといけないけどね。
「デルマさん、幻術を解いて戴けますか? 本当の姿が見たいんですけど……」
私が頼むと、デルマの姿が変わる。
顔立ちや体格はそのままで、肌が魔族独特の褐色になった。そして、奴隷の首輪と刻印が消え、額の中央に一本、頭の左右で二本、合わせて三本の角が現れた。
え……? 角?
魔族奴隷の折れた角じゃなくて、角が丸々無事なまま残っている。
それに奴隷刻印も、首輪や鎖までもが幻術だった。
本当に『奴隷のふりをしていただけ』だったの?
じゃあ、私は魔力を失った全力を出せない魔族じゃなくて、全力全開の三本角魔族と戦ってた……って事?
青ざめて混乱する私に、カナが笑いながら言う。
「ほらな、言ったろ? 三本角だって。だからバケモンだって言ったんだ」
「こういう事は先に言ってよ、カナぁ……。最初に教えてくれてたら……あんな無茶な試合、受けなかったのにー……」
「止めてたら、湖ブン捕られてただろ?」
「そうだけどさあ……」
ふてくされる私にカナが笑い、皆も一緒に笑う。
デルマまで声に出さずに、口に拳をそえて笑っていた。
「もうっ……!」
§ § § §
一週間ぶりにドラグニ侯爵の話が出た事で、私も迷宮の事を思い出した。
迷宮は私にとって、この領に来た目的の一つでもある。
朝食が終わった私は部屋に戻ると、早速身支度を始めた。
この一週間で、ミスリルの剣聖衣装も修繕が終わっていて、準備は万端。
「また、どこかへ『お出かけ』ですかな?」
お茶を部屋へと運んできたジーヤが言う。
私は荷造りをしながら、答える。
「うん。ちょっと迷宮にね……」
「おやおや、せっかくこのジーヤめが回るよう調整した迷宮を、お嬢様が荒らされるのは感心しませんな……」
「ジーヤも行ったの!?」
「はい。最初の部屋にAランクの魔物がおりましたので、撃退しておきました。ある程度間引きをして、初心者からでも入れるよう調整しております」
それでマイナスだった迷宮の収支が上向きになったんだ。
ジーヤ、今でも現役だ。
「ですので、お嬢様が向かわれても、なんの手ごたえもない迷宮となっておりますぞ。これでは、ただの迷宮荒らしになってしまいます」
「えー……。うーん……」
私は腕を組み悩む。……そうだ。
「これは迷宮荒らしじゃなくて……視察! 領主様の視察よ!」
「視察……でございますか?」
「そう、視察! それならいいでしょ? ボスも手合わせだけに留めておくから!」
本当はボスも撃破してお宝も欲しいんだけど、それをやっちゃったら領主として駄目過ぎる。お宝は諦めよう。
そもそも本来の目的は修行だから、そっちだけ満たせればいいかな。
「ボス……と仰いますと、迷宮の守護者ですかな?」
「そう、それ!」
「それでしたら……仕方ありませんな。くれぐれも、お体にお気をつけ下さい」
「やったあ!」
私はすぐにカナ、ジル、アスナ、テラソマ……そしてデルマを誘って出発した。
向かうは、剣聖領迷宮――!