第百六十一話 力試し
「ですから、そちらの領に派兵をですな……」
また派兵の話に戻された。でも……。
Aランク程度の魔物に派兵が必要だと思っているんだろうか。
この、シュヴェルト・グロスマイスター……『剣聖』の名が冠された土地で。
「ご心配には及びません。近々、私が退治する予定ですから」
そう言い返すと、ドラグニ侯爵は心の中で驚いた。
(退治だと? こんな、小娘がAランクを……? ありえん!)
「退治ですと? りょ……領主、自らがですか?」
「はい。私、Sランク冒険者でもありますから」
むしろ、そっちの方が本業なんだけど。
こんな人たちはさっさと追い返して、早く元の冒険者に戻りたい。
(S……今、Sと言ったか? Sといえば、冒険者最強のランク。何百年も現れた事のない、伝説のランクだぞ? こんな細腕の、新参伯爵の小娘ごときが……? 今度こそ『嘘』に違いあるまい!)
「そっ……そんな馬鹿な話があってたまるか! Sランク? いくら、無法が許される冒険者の話とはいえ、ランクの詐称は重罪ですぞ!」
私は首にかけた冒険者プレートを外して、侯爵に見せた。
偽造する事が不可能な複雑さで彫り込まれた『S』の文字が輝く。
「こ……これは!」
「私の冒険者プレートです。偽物かどうか鑑定して戴いてもいいですけど」
「な……な……なななな、なんだと……? ば……馬鹿な……!」
侯爵は席から立ち上がり、後ろへとよろめいた。
しかし、侯爵もここで引き下がるような相手ではない。
引き下がるくらいなら、最初から馬車で乗り込んで来ないだろう。
彼は私を指差し、言い返した。
「で……でしたら、そのAランク討伐が終わった迷宮を、ワタクシに任せて戴けませんかな? そのAランクさえいなくなれば、何も問題はありませんからな!」
……しまった。
そう言われてみれば、そうだった……。
どうしよう……悩む私に、ジーヤが心の声で助け舟をよこした。
(お嬢様、ここは『侯爵様は、私の武勲を横からかすめ取るおつもりですか?』ですぞ!)
「侯爵様は、私の武勲を……横からかすめ取るおつもりですか、ですぞ?」
「な……なんだと……?」
(『そうでしょう? 討伐後の迷宮を管理するという事は、討伐の武勲をも己のものにするという事です』……です!)
「そうでしょう? 討伐後の迷宮を管理するという事は……ええと、討伐の武勲をも己のものにするという事です、です!」
(『それをかすめ取ろうとは、貴族としての誇りはないのですか!』です!)
「それをかすめ取ろうとは、貴族としての誇りはないのですか、です!」
この言葉と同時に、私は応接テーブルを強く叩いてみせた。
圧倒されて、腰を抜かす侯爵。
(ありえん……この俺が、こんな小娘相手に気圧された……だと? ……もう許さんぞ、こうなったら最後の手段だ。爵位で脅してやる! 格の違いを思い知れ!!)
「で……ですが、貴族としてはワタクシの方が格が上。伯爵は侯爵に従うべき、そうは思いませんかな?」
「あ……確かに……」
――失言。
思わず、口をついて出てしまった。
慌てて両手で口を押さえても、もう遅い。
「でしょうとも、でしょうとも! なら、湖と迷宮。このドラグニ・デラ・ゴーシュにお譲り戴けますな?」
にやりと笑う侯爵。
「これは、『お願い』ではありません。上位貴族としての『命令』ですぞ」
「命令……」
「あーっはっはっは! そうです、『命令』です! 汝、アリサ・レッドヴァルト・シュヴェルト・グロスマイスター『伯爵』は、我、ドラグニ・デラ・ゴーシュ『侯爵』に湖と迷宮を献上せよ!」
立ち上がって高笑いしながら、侯爵が私に『命令』をする。
この世界は、王侯貴族を中心とした封建社会。
伯爵である私は、より上位である侯爵に従わないといけない。
ここまでがんばって抵抗したのに、爵位一つで覆ってしまうなんて……あまりにも、理不尽過ぎる。
(アリサさん! アリサさん!)
私を呼ぶ心の声が聞こえる。ジルの声だ。
(ここは、アリサさんが『剣聖』である事をアピールするんですわ!)
何を言っているの、ジル。
剣聖をアピールして、なんの役に立つの?
(いいから、アピールなさい!)
「ええと……あの、私……『剣聖』なんですけど……?」
それを聞いた侯爵が、青ざめて大きく後ずさった。
彼の思考の乱れようから、激しく混乱しているのが分かる。
(この娘、今……今なんと言った? 剣聖……『剣聖』だと? 『私、剣聖なんですけど』と言ったのか? いいや、聞き間違いだ……)
更に一歩退いて、必死に考えを巡らせようとしている。
(『剣聖』といえば、武の象徴。武力においては、国王をも凌ぐ権限を持つという……。こんな小娘が、『剣聖』? そんな馬鹿げた話があってたまるか。確か『剣聖』は、マスター・シャープとかいう爺さんのはずだぞ……)
たじろぎながら、もう一歩退く。
(いや……しかし、竜亜人の話も、Sランクの話も全て真実だったぞ……。もし、この話まで本当だったとしたら? 俺はとんでもない格上の相手から、土地を奪い取ろうとしていた……という事になってしまうぞ?)
もう一歩。
(しっかりしろ……しっかりしろ、ドラグニ・デラ・ゴーシュ! 貴様は数多の下級貴族から、数えきれない程の土地を強奪してきた達人ではないか! まずは、その『剣聖』という話が本当かどうか、揺さぶりをかけてやる!)
考えがまとまると、彼の顔色も元へと戻っていった。
そして、壁に背がついてしまう寸前で足をふんばり、私に向けて言い放つ。
「いやいや、『剣聖』などと……ご冗談を……。『剣聖』は、この世にただ一人。それを騙るは、かの『剣聖』マスター・シャープ殿に失礼ですぞ……!」
侯爵の声を聞いて、彼の護衛である騎士たちが一斉に同じ事を考えた。
(((まさか侯爵様、『剣聖』が代替わりしたのを知らないのか? まったく……いつも金勘定ばっかりしてるから、世情に疎くなるんだ……)))
五人の騎士、全員から同時にため息が漏れた。
こんな場面で、家来がため息なんて吐いたら普通は打首ものだけど、侯爵はそれどころではないご様子。
それなら、だめ押し。
「領の名前が『剣聖』なのも、私が剣聖だから……なんですけど?」
「そ、そ、そそそそ……そんな馬鹿な! 新参だから、格好がよいだけの家名を自称しただけだろう! そうだろう……なあ、そうなんだろう!?」
侯爵は私に駆け寄り、両肩を揺さぶりながら問い正してきた。
完全に素を晒してしまい、語調まで荒くなっている。
騎士たちも心の中で呆れていた。
(((あーあ、言っちゃったよ。もう、この交渉は決裂だな……)))
五人は次々と頭を押さえて、うつむいてしまった。
「いいえ。本当に私が『剣聖』ですよ。国王様と女神様に誓ってもいいです」
「う、う、う……うううう、嘘だ……嘘だ……。よもや、そんな事がありえようか……」
よろよろと力なく後退する侯爵。
心の中まで、嘘だを繰り返している。
(嘘だ……嘘だ……)
それでもまだ諦めようとはしない彼は、とうとう開き直った。
(――そうだ、きっと『嘘』なんだ! この小娘めが……俺をたばかりおって! その化けの皮、剥がしてくれようぞ!)
「ならば……ならば、だ! その『剣聖』の力、本当かどうか見せて貰おうではないか! 我が精鋭の五人、見事打ち倒してみせるがいい!!」
「「「ええええっ!? お……俺たちですか?」」」
(((とんでもない、とばっちりだ!!!)))
可哀想な騎士たちの心が聞こえる。
ご愁傷さま。怪我しない程度には加減してあげるから。
「試合だ! これに勝ったら、貴様を『剣聖』と認め、この領から退いてやる!」




