第百五十八話 利権
結局、五日間も楽しんだ後、私たちは中央都市へと帰ってきた。最初は遊ぶ事にあまり乗り気ではなかった私も、途中から本来の用事も忘れて楽しんでいた。
領主専用の豪華な馬車に、お土産の海竜の肉を乗せて帰路に就く。
それと、人魚の長テラソマも楽しそうだからと一緒についてきた。
彼女はすっかり人間の足に慣れ、跳んだり走ったり出来るようになっていた。私がパルクールを教えると、あっという間に技を憶えて建物や木々を跳んで渡れるまでになった。
そんなテラソマが、華やかな街並を身を乗り出して眺めている。中央都市の賑わいは、人魚には珍しく映るのだろう。
感激している彼女を乗せて、馬車は大通りを抜け、領主官邸へと到着する。
すると、ジーヤとメイドの二人が、私達の帰りを待ちかねたように出迎えた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「ただいま、ジーヤ!」
慣れ親しんだジーヤの笑顔を見ると安心する。
しかし、彼の微笑みはすぐに怪訝な表情へと変わった。
「何かあったの?」
「お見通しとは、流石はお嬢様ですな。長旅でお疲れの所、申し訳ございませんが来客がお越しです」
私に来客なんて、一体誰だろう?
王族関係者や騎士関連は、私が放浪の冒険者だって知っているから、領に訪ねて来るはずがない。両親や妹が……という事も少し考えにくい。
冒険者ギルドも、中央都市のギルドには顔を出していない。比較的平和なこの領で、私を指名依頼するような事件も起きそうにない。
「来客?」
「はい。ご旅行中ですと申しましても、帰るまで待つ、お嬢様に合わせろの一点張りでして」
「ひょっとして、あまりいい来客じゃなかったりする?」
「左様で。お隣のゴーシュ領の領主、ドラグニ・デラ・ゴーシュ侯爵様です」
初めて聞く名前だし、その領主とは一度も逢った事がない。どころか、隣が侯爵領だった事も今知ったばかり。
しかも、領主である侯爵自ら隣領まで馬車を走らせるなんて、どう考えてもただ事じゃない。あちらも私の事なんて知らないだろうから、領をまたいで冒険者の指名依頼という事もなさそう。
「……で、そのドラグニ領主がどうしたの?」
「端的に申しますと、お嬢様が治める領の湖か迷宮、いずれかをよこせと……」
「よこせ? 売ってくれじゃなくて?」
「はい。最初は私が丁重にお断り申し上げたのですが、交渉の旗色が悪くなると見るや、官邸に居座り……お嬢様がいらっしゃるまで待つ、それまではテコでも動かないと」
これってつまり、私が舐められているって考えて間違いない。小娘からであれば、騙して観光地を強奪出来る……と考えた訳ね。
私が来たからって、どうせジーヤを同席させるんだから一緒なのに。
「つまり、私から直接分捕りたいと?」
「左様にございます」
「いい度胸じゃない。……じゃあ、まずは作戦を立てないとね」
実は私、そんなに頭は良くない。
今回の件はジーヤに丸投げするつもりだ。でも、おそらく侯爵もなんとかして私との交渉に持ち込もうとするはず。
ジーヤだけでなく仲間にも手伝って貰って、それを阻止する作戦を考える。
「ジーヤは私と一緒に。コトゥハは侯爵を応接間に案内して……そうね、『領主は女だから、着替えに時間をかけている』とでも言い訳をしておいて。マコットはお茶の用意を」
私の指示を聞き、メイドたちは即座に動いた。
私たちも、私の部屋で作戦会議だ。
§ § § §
「……で、ジーヤの話をまとめると……つまり、ぽっと出の小娘が伯爵位を手に入れたのも、領主に就いた途端、赤字だった湖や迷宮の経営が上向きになったのも気に食わないと?」
「左様にございます」
「それで、湖か迷宮のどちらかをよこせ……って言ってきてる訳ね」
「左様にございます」
この功績って、全部ジーヤのものなんだけどね。
出る杭は打たれる……なんていうけど、優秀過ぎる執事も困りもの、という事になるのかな。私には頼もし過ぎるけど。
自分よりも爵位の低い新入り貴族が、隣で派手に稼いでいるのは面白くないって気持ちは分からなくもない。あまり、共感はしたくないけれど。
ようは嫉妬心から、爵位が低い私に儲けをよこせと命令しているって事。
「どうせジーヤの手腕によるものなんだから、吸い上げる事しか考えてない人が手にしたって、すぐに儲けなんて枯渇するのに……」
ソウカリバーの湖や、ほとりの街ソウメイルをあそこまで運営出来る人なんて、他にそうはいない。仮に今の状態のこれらを譲り受けたとしても、保守が大変。放っておけば、あっという間にまた赤字に転落する。
私の言葉を聞いて、テラソマが不安そうな瞳で私を見つめて言った。
「えー……いやですのー。せっかく棲みやすくなったのに、あんな寂れた湖に逆戻りなんてー」
「大丈夫、湖は絶対に渡さないから。……テラソマさんも力を貸して」
「はいー。ご領主さまー」
私たちは手を握り合って、決意を誓った。
テラソマの大事な湖を、侯爵になんかに渡したりするもんか。
「……でも、実際問題……どうするかよね?」
「そうですな」
「そうですわね……」
私のぼやきに、ジーヤとジルが賛同を唱える。
ふとそこに、テラソマが提案をした。
「お役に立てるかどうかわかりませんけどー。わたしたち人魚は精神系魔法が得意なんですのー」
「精神系魔法?」
そこに、横からジルの説明が入る。
ジルは奇跡魔法を駆使する聖女でありながら、あらゆる魔法に精通した老齢な真竜でもある。この世界の『魔素』が少ないせいで、知っていても使えないけど。
それでも、こういう時はジルの知識量は役に立つ。
「そうですわ! 人魚は海に来る男を惑わすもの。精神系魔法に長けているのであれば、その伝承も納得がいきますわ! では早速、侯爵に領地を諦めさせる《心変わり》の魔法を……」
「そういう都合のいい魔法は持ってませんのー。出来るのは、歌声で魅了したりとかー、あとは心を読む魔法とかですのー」
「心を読む魔法……《思考感知》ですわね!」
「そうー。それですのー」
「しかし、心を読むだけではどうにもなりませんわ……」
ジルはああ言っているけど、《思考感知》というのは一体、どんな魔法なんだろう。話だけ聞くと、なんだか便利そうな魔法に感じるけど。
私は、テラソマにその魔法を頼んでみる事にした。
「ねえ、テラソマさん。試しにそれ、私にかけてくれる?」
「わかりましたのー」
テラソマは一分程の詠唱の後、両手から魔力の光をシャワーのように出して、私に浴びせた。
「《思考感知》……ですのー!」
魔法はかかったけれど、別段変わったところはない。
何も起こらない事に驚いて、私がきょろきょろと見回すと……。
(ご領主さまー。聞こえますのー?)
テラソマの声が聞こえる。
(これが《思考感知》ですのー。近くにいる人の心が読めますのー)
口は動いていないのに、はっきりと声が聞こえる。
一番近いのは、女神様からの『直接心に語りかける声』――あれの感覚。
テラソマだけでなく、ジーヤやカナ、ジルたちの声も聞こえてくる。
(《思考感知》ですか……。興味深いですが、果たして役に立ちますやら……)
(アリサ、キョロキョロして何やってんだ?)
(お腹が空きましたわ……)
ちょっと待って。……これって、凄くない?
相手の心が読めるって、つまりは本音が丸聞こえって事。相手の喋ろうとする内容も先回りして分かって、先手を打てる。
ひょっとして、交渉に便利過ぎでは?
「やった、これで勝てる! ありがとう、テラソマさん」
私は改めてテラソマの手を握った。
――待っていなさい、ドラグニ侯爵。必ず手ぶらで追い返してやるんだから!
「ここからは、私のヒーロータイムの始まりよ!」