表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
198/290

第百五十七話 選択

 ミスリルの服の重さと、足の痛み。焦ってもがく程沈む体。


 上を見ると白く煌めく水面、下は群青から黒へと変わっていく深い闇。

 時間と共に煌めきが遠ざかっていく。痛む足が闇に掴まれて、引きずり込まれるような錯覚さえも感じる。


 私の口から、大小の泡が浮き上がった。……あれは、私の息。

 急激に肺から空気が失われて、その激しい苦しみは、やがて酸欠による不思議な高揚感へと変わる。この感覚は本当に不味い……死の感覚だ。


 私の体も意識も、湖の底へと落ちていく――。


 もう、お終いと思った瞬間……何者かに首の後ろを掴まれた。

 凄い勢いでぐんぐんと引き上げられていく。


 あっという間に水の上へと連れて行かれ、私は助かった。

 助けてくれたのは、誰?

 朦朧とした意識の中……考える私の耳元で、聞き覚えのある美しい声が響いた。



    §  §  §  §



 私を助けてくれたのは、女神様。

 猫のように私の首をつまんで語りかけた。


「あなた方が落としたのは、この戦隊、戦隊とやかましく、しょっちゅうドジをするポンコツ剣士のアリサさんですか?」


 右手に何故か『もう一人の私』を掴んで、更に尋ねる。


「……それとも、この銅像のように聡明でリーダーとして頼もしい、隙のない剣聖のアリサさんですか?」


 ええーっ!?

 これって、もしかして……。


 窒息の前後不覚から醒めて、しっかりと前が見えるようになると、ジルが顎に手を添えて悩んでいる姿が見えた。


 本物はどう見ても私でしょ? 悩まないでよ。


「うーん……。凛々しくて聡明なアリサさんもいいですわね」


 いいですわね、じゃないでしょ!

 迷わず本物を選んで!


「それでは、こちらの……」


 女神様は右手の私を湖に投げ捨てると、また別の私を引っぱり上げた。


「おしとやかで作法も完璧な、麗しき貴族令嬢のアリサさんですか?」


 隣の私を見ると、ふわりとしたパーティードレスを身にまとい、孔雀のような扇子を口に添え、おほほほと笑っている。五割増しで美人だけど……。


 これって、どこをどう見ても偽物だよね?


 同じ人間をもう一人創り上げるなんて、流石は『創世の女神』様――。

 なんて、感心をしている場合ではない。

 だからドジ扱いされるんだ、私。


 これはあの有名なお話と同じ状態。もしも、今悩んでいるジルが間違えたら、私は偽物もろとも泉……いや、湖へと没収されてしまう。お願いだから、ジル……正解して!


「……おしとやかで綺麗なアリサさんも……捨てがたいですわね」


 捨てがたい、じゃないでしょ!

 そこに、カナが横入りした。


「ガキの頃から大親友やってるアタシは、騙されねーぜ! 本物のアリサは、こっちのドジでポンコツな方だ!」


 ド……ドジでポンコツ。親友にまでそう思われていたなんて……。

 女神様の手の中で、がっくりとうなだれる私。


 それでもありがとう、カナ。これで私も助かるよ。


「正直者のカナリアさんには、この本物でポンコツのアリサさんを差し上げましょう……」


 また女神様にポンコツって言われた。

 それはともかく、なんとか私はボートへと戻る事が出来た。


「――もう二度と、湖に大切な仲間を落とさないようにして下さいね。……それと私、『泉の女神』って一度やってみたかったんです……」


 そう告げると女神様は、微笑みながら湖の底へと消えていった。

 やってみたかっただけなんだ……。 



    §  §  §  §



「ありがとう、とにかく助かったよ。カナ」


「いいってコトよ!」


 笑いながら、私の背中を叩くカナ。

 ふと、何かが気になったという表情をして、私に聞いてきた。


「ところで、あのやたら格好いいアリサとか、いけ好かねー感じのアリサとか選んでたら、どうなってたんだ?」


「多分、私は永久に湖の底に没収……結局、溺れ死んでたかも……」


「ゾッとしねー話だな……」


 カナが両手で自分の肩を押さえて、ぶるっと身震いする。

 水に濡れた冷たさと、このまま助からなかったかも知れない恐怖から、私も一緒に震えた。


「そうでしょうとも、そうでしょうとも! 悩んだふりをして、カナさんに答えさせる……(わたくし)の作戦勝ちですわね!」


「いや、ジルのお手柄じゃないから。大体ジル、本気で悩んでたじゃない」


「そ……そんな事は、ありませんわよ」


「もうっ、ジルの裏切り者ー!」


 私はジルに軽く抱き付き、お仕置きにくすぐった。

 痛みに弱いジルは、くすぐりにも弱かったようで、激しく船上で暴れると……。


 そのまま湖へ、ぼちゃんと落ちた。


 ――しばらくして、湖面へと上がってくる女神様とジル。

 右手には偽物のジルも添えられていた。


「あなた方が落としたのは、この金の聖女ですか? それとも、この銀の聖女ですか?」


 それに、女神様は一言付け加える。


「ちなみに……金の方は、何事にも完璧で頼りになる品行方正な、文字通りの聖女で、銀の方はいつも魔力不足で大食らい、粗忽者の自称聖女です」


 結構酷い事言うなあ、女神様。

 ……私たちは指差し、迷わずに答えた。


「「「右の金色の方です!」」」


「ひ……酷いですわー!」



    §  §  §  §



 勿論、冗談だからとすぐに訂正して、本物のジルを返して貰う。

 私の死にざまが滑稽だと笑っていた女神様は、お笑い好きで冗談が通じる神様だから、快く返してくれた。


「聖女ジルヴァーナ……あなた、本当に人望がないんですね……」


 憐れんだ目で、べそをかくジルを見つめる女神様。

 肩が震えているけど、これは間違いなく笑いをこらえている仕草だ。

 その証拠に、唇が小刻みに揺れて口角も微妙に上がっている。


「余……余計なお世話ですわ!」


 顔を真っ赤にして怒るジル。

 その表情を見た女神様は、限界がきて大笑いを始めた。


 そして、ひとしきり爆笑した後、笑い涙を拭って湖の中へと消えていった。


「――もう二度と、湖に大切な仲間を落とさないようにして下さいね」



    §  §  §  §



「まったく、酷いですわ! ぷんぷん!」


 ジルはまだ怒っていた。泣きながら怒っていた。

 そういえば二人旅の頃、『昔、人間に裏切られて絶望していた時期があった』と言っていたっけ。冗談でも裏切ってしまったのは悪かったかな……。


「ほんと、ごめん! お願い、なんでもするから許して!」


 私が頭を下げると、ジルの涙がぴたりと止まる。

 そして、にやりと顔を歪めて……。


「その言葉を待っていましたわ! さあ、今日はアリサさんの奢りで贅沢三昧ですわよー!」


 ジルは途中から嘘泣きで、この瞬間を待っていた。

 一万年前に受けたという裏切りの傷は、すっかり癒えているようだった。


 それなら、そのお祝いに奢りくらい……と思ったけれど、よく考えたらジルの食欲は腹八分目でも金貨十枚分。満腹までとなったら、いくら食べるか想像もつかない。それを私が全額負担って……ちょっと待ってよ。


「カナもアスナもテラソマさんも同罪じゃない? 皆も少しは払ってよ……」


 偽物の金ジルを指差したのは、私だけではない。

 一緒になってふざけた、三人だって悪い。


「いーや、聖女サマがアリサの奢りと言ったら、アリサの奢りだ」


「そんなあ……カナ、酷いよー。裏切り者ー!」


 結局、その日のご飯は全額私の奢りに。何故かカナたち三人の分まで支払わされていた。当然ジルは、ここぞとばかりに食べまくって、合わせて金貨ニ十五枚。


 もう二度と、なんでもするなんて言わない。


 こうして、ハプニングがありながらも楽しいバカンスは過ぎていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ