第百五十三話 海竜
結局、私は三人の水遊びに付き合う事になった。
本来の目的の一つが『水泳の上達』だから、目的達成といえば達成だけど……なんだか釈然としない。
実際に泳いでみて分かった事は、高校生の時はそれなりに泳げていたはずだけど、体が泳ぎ方を忘れてしまっていた事。新しい体なのと、十九年のブランクが災いして、手足が思うように動かない。
ちゃんと泳げるようになるまで、かなり苦戦をした。
カナもアスナもよくぶっつけ本番で、こんなに綺麗に泳げるなあ。アスナにいたっては、尻尾を使って悠然と泳いでいる。そういえばこれって、トカゲやワニの泳ぎ方じゃ……。爬虫類、侮りがたし。
ひょっとしてジルも……と思ってジルを見つめると、ジルは私が交互に見ている視線に気付いて、頬を膨らませて詰め寄ってきた。
「ア・リ・サ・さんー……!」
「ご、ごめん……」
しばらく泳ぎの練習をしていると、私たち以外の誰かがカナ、アスナと会話をしている。いつの間に水の中に入ったんだろう、私たちが来るまで誰もいなかったはずと疑問に思っていると、その誰かが私に近付いてきた。
「こんにちわですのー」
「あ……はい。こんにちは」
親しげな雰囲気の少女。
でも、本当に一体いつの間に湖に来たんだろう。
「こんな冬に、下着で水浴びなんて珍しいですのねー」
「下着じゃないです……。詳しくは、あっちの銀色に聞いて下さい」
私はジルを指差す。
水着のない世界で下着と水着の違いなんて、私には上手く説明出来そうにない。
「自殺でもするのかと思って、助けに来ちゃいましたのー」
「いや、そんな事は……」
でも、冬に湖に入るような理由は、確かに入水自殺くらいしか考えれない。
寒中水泳に来たとしても、ただの変人だ。
「申し遅れましたー。わたし、この湖を縄張りにしている人魚のテラソマって言いますのー」
「人魚!?」
道理で、さっきまでいなかったはず。
だって陸地ではなく、水の中から来た訳だから。
「そうですのよー。ほらー」
彼女は、ばしゃんと水音をあげて、私に魚のような下半身を見せる。
人魚は迷宮でも出逢った事のある友好的な亜人だ。
この世界、特にこの国は魔物と亜人の境目があいまいだ。
いいコボルトなんかが正にいい例で、彼らは亜人同等として扱われている。逆に人魚のような誤解されやすい存在は、魔物のように扱われる事がある。
前の世界でも怪談話でよく聞いた、人魚が漁師を溺れさせたとか、人魚が船乗りを誘惑して船を沈没させたとか、そういった話はこの世界でもお伽話としてよく語られている。
「それで、お姉さんは何しに冬のここに来ましたのー?」
「ええとね……」
「勿論、バカンスですわ!」
ジルが口を挟む。
「へー。バカンスですのー」
「バカンスじゃないから! 泳ぎと魔物退治の修行!」
「魔物退治は初耳ですわね? アリサさん、もしかして私を騙して……」
不味い、私の修行計画がジルにばれた。
これはなんとかして、ごまかさないと。
「違うわよ。お魚食べ放題、ね? 食べ放題に来たんでしょ?」
「そうでしたわ! 水着なんかより、食い放題ですわね!」
「私たちが、夏でもないのに水着で泳がされてた意味って……」
呆然とする私を放って、ジルは水から上がった。
§ § § §
四人でタオルを被り、カナの魔法で火をおこして焚き火をたいた。
すると人魚が、器用にぴょんぴょんと跳びながら私たちの下へ魚を届けてくれた。彼女の仲間らしい、数人の人魚を連れて。
「ソウカリバー名物、魚の食べ放題ですのー」
「「「ですのー」」」
「じゃんじゃん、召し上がってくださいですのー」
人魚たちのもてなしに感動したのもつかの間、ジルが次々と焼けた魚を平らげていく。
「本来でしたら、あっちの街に魚を卸して、街で食べて戴くんですけどー。ご領主さまですから、今回だけ特別ですのー。捕れたては最高に美味しいんですのよー」
「今……私の事、領主って……」
「街に銅像が建ってるんですものー。一目で分かりましたのー」
それを聞いて、再び銅像の事で恥ずかしくなる私。
人魚たちにまで顔が知れ渡ってるなんて。
もう、その事には誰も触れないで欲しい……。無理だと思うけど。
「ご領主さまには、人魚一同感謝してますのー」
「なんで?」
「前はあの街も寂れてしまっててー、魚を捕っても全然売れなくてー」
人魚にもお金が必要なの?
「そこに、ご領主さまの執事を名乗るお爺ちゃんがやって来て、あっという間に街を立て直して、私たちの魚もわんさか売れるようになったんですのー」
ジーヤ、有能過ぎ。
「ですからー、ご領主さまには感謝してますのー」
「感謝するなら、ジーヤ……執事にしてあげてよ。私は何もしてないから」
本当に何もしていない。ジーヤが全部やってくれたのだから。
私がこの領の政治に口を出しても、素人だから悪くするだけだと思うし。
「でしたら、執事さまとご領主さまに感謝ですのー」
それでも感謝をすると言う人魚のリーダー、テラソマ。
とても性格のいい子だ。
「ところで、人魚ってどうやって魚を捕ってるの?」
「はいー。それでしたら、こうやって尻尾を振ると……魚を呼び寄せる事が出来るんですのー。いっつもそうして魚を捕って食べてますのよー」
「えっ……、人魚が魚を食べるの?」
意外過ぎる答え。
魚の体をした彼女たちが、魚を食べているなんて。
……共食いになったりしないのかな?
「サメだって魚を食べますしー、シャチだってクジラを食べますの。それと一緒ですのー」
それって、一緒……なの?
疑問に思った時、湖面から悲鳴が聞こえた。
「きゃあああー!」
慌ててそちらの方を向くと、人魚の一人が巨大な魔物に咥えられている。
長い体、鋭い顎、頭に生えた一対の角、海竜だ。よりによって湖に海の魔物がいるなんて。
「ご領主さまにご馳走するからって、ちょっと気合い入れて呼び過ぎちゃったみたいですのー!」
長い髪と両手を振り乱し、テラソマも激しく慌てている。
早く捕まった人魚を助けなきゃ!
「カナ、ジル……アスナ! 行くよ!」
「はい!」「応!」「了解!」
私の呼びかけに三人が同時に答える。
「ここからは、私たちのヒーロータイムの始まりよ!」
私は二本の剣を無詠唱で創り出し、一本をカナへと投げ渡す。ジルは胸から錫杖を取り出して、アスナは鉤爪を立てて構えを取った。
四人で頷き合うと、私たちは湖面へと駆け出した。