第百五十二話 水着
「さあ、水着回ですわよー!」
「「『ミズギカイ』!?」」
私とカナは同時に驚く。
カナだけでなく、私もジルが何を言っているのか全く分からない。
ミズギカイ……湖に出る、魔物か何かの名前?
「カナさんはともかく、アリサさんがご存知ないのは嘆かわしい事ですわ」
「えー……日本語なの? それ……」
頭を押さえて、呆れ果てるジル。
ため息まで吐いている。
その言葉、日本人が知らないと不味い言葉なの?
「水着回というのは、異界の英雄譚でヒロインたちがきゃっきゃうふふと水着ではしゃぐお話を指しますわ」
「……ラノベには、そんな話があるの?」
「大抵の異界の英雄譚には、ほとんどと言っていい程ありますわよ」
「えー……」
本当に意味不明だ。
「それって、男の人向けの話じゃない? 女同士で水着とか見て楽しい?」
「それはアリサさんの偏見というものですわ。可愛いヒロインたちがきゃっきゃうふふする姿は、女性読者が見ても楽しいものですわよ」
「そもそも、私たち小説のヒロインじゃないでしょ……」
確かに、まるでおとぎ話か小説のお話かと思えるような異世界だけど。
間違いなく私にとって、ここは現実。
それに……。
「大体、この世界に水着なんてないでしょ」
そう。この世界には水着は存在しない。
ナイロンやポリエステルは、文明水準が低いこの世界にないからだ。
今私が穿いているストッキングも、結構厚手の天然素材だ。
泳ぐ必要があるのは船から落ちたり、迷宮内の地底湖だったり、そういう時に溺れないようにするためだから、服を着たまま泳ぐ。
漁師たちが泳いで魚を捕る場合は、裸が普通だ。
反論する私に、ジルは意地悪な笑顔を見せて答えた。
「そんな事もあろうかと、じゃじゃーん! ご用意してありますわ!」
胸の《次元収納》からジルが、化学繊維百パーセントの水着を取り出す。
「あるの……!?」
「ええ。いつかこんな日が来るかと、準備しておりましたわ!」
「えー……」
結局ジルの熱意に負けて、私たちは全員水着を着せられる事になった。
§ § § §
真冬だというのに水遊びをしているアスナを呼び戻し、馬車に乗って別邸へと向かう。
観光地であるこの湖には領主用の別邸がある。
貴族って贅沢なご身分なんだと、改めて思わされる。
湖のほとり、見晴らしのいい地点に別邸はあった。
貴族の屋敷にしては小さめで、コテージのような外観。避暑地の別荘といったらこれみたいな小洒落た雰囲気の建物だった。
出発前にジーヤから聞いていたけど、思っていた以上に内装も綺麗だ。湖周辺に住んでいる人を雇って定期的に掃除をしているのだとか。ジーヤの用意のよさには、ただ感服するばかり。
別邸に入り、適当な部屋で着替え始める。
「なんだこれ、凄ー伸びるな!」
化繊の伸縮に驚くカナ。水着を引っぱったり、戻したりして遊んでいる。この世界の人が初めて見たら、それは驚くよね……。
でも、普段から着ている服がビキニみたいなカナやアスナに、水着って必要だったのかな?
「あ……、カナさんはこれに着替えて下さいな」
ジルが胸から、別の水着を取り出す。一体、何着持ってるのよ?
カナに手渡される、白い水着。
あ……これ、スクール水着だ。しかも、『戦隊』が始まった時代の古いデザインの奴。スクール水着なんて普通紺色なのに、よく白なんてあったなあ……。
どうしてジルがそんなものを持っているのかは、詮索しないでおこう。
きっと、怖い答えが帰ってくる気がするから。
カナには白のスクール水着、アスナにはブルーの競泳水着が手渡された。……これって、普段より露出減ってない? ジルの言う『水着回』って、男性読者のために露出の高い水着にするんじゃないの……?
私には、ジルの考えている事がさっぱり分からなかった。
――そして、私とジルはいたって普通のビキニ。少し大胆なデザインだけど、普段のカナたちを見ていると慣れてしまって、恥ずかしいと感じなくなっている。
ほとんど素っ裸のマイクロビキニとか出されなくて安心した。
もし、そんなものを出されたら、間違いなく私はジルをグーで殴っていた。
§ § § §
水着をつけて別邸から湖へと戻ると、早速アスナとカナが泳ぎ始めた。
今、暦の上では冬なんだけど……。
このシュトルムラント王国は季節の寒暖差が少なく、三月も近いとなると凍えるような寒さはない。今日も、鳥肌が立たない程度には涼しい……といった程度の気温になっている。
だからこの国では、夏であっても海や湖は鑑賞するものであって、泳いで楽しむものではない。カナとアスナは例外だけどね。
なんで二人共、あんな冷たい水に入って平気なんだろう?
「私たちは、きちんと準備運動をしてから入りましょう?」
「えっ……、入るの?」
「勿論ですわ。なんのための『水着回』だと思ってますの?」
「いや、誰のために『水着になる必要』があるのよ。冬場に水着なんて、ほとんど拷問じゃない」
私が言い返すと、ジルは一理あるといった表情になった。
しばらく腕を組んで思案した後、私に言う。
「勿論、私のためですわ! 『水着回』の再現は、異世界ならではですもの」
「そんな、『ならでは』なんて要らないから!」
ジルは、頭の中が本当に残念な聖女だった。
彼女がラノベを好きなのは、十分理解出来るんだけどね……。
私だけは水際から離れた場所に座り、カナたちが遊んでいるのを眺めた。
ジルは準備運動をしっかりした後、二人と合流して泳いだり、水をかけ合ったり、追いかけっこをして遊んでいる。
皆とても楽しそうで、もし今が冬じゃなかったら、微笑ましい光景だと思う。
三人をぼんやりと見つめながら私は思った。
……あれ?
泳ぐ練習をしようって思ってたのは、私のはずじゃ……?