第百五十一話 湖
それから数日……私たちは完全にだらけてしまっていた。
ジーヤたちのもてなしや官邸での生活が快適過ぎたためだ。カナもアスナも、お貴族様の生活に大満足。ジルに至ってはお姫様気分の飽食三昧で、聖女とは一体……と思わせる堕落ぶり。
私自身も、冒険者である事をすっかり忘れていた。
そんなある日、私は庭園に置かれたロングチェアでお昼寝をしている時、はっと大事な事を思い出した。
「……私、この領に遊びに来たんじゃない!」
飛び起きて、館の中に大急ぎで戻る。
「ジル、カナ、アスナっ! このままじゃ駄目だと思うの!」
私は食堂へ駆け込むなり、悠長におやつを食べている三人に大声で怒鳴った。
面食らった三人は、きょとんした表情で私を見つめていた。
「……何が、ですの?」
「どうしたんだ、一体?」
「……ほへ?」
完全にだらけきっている……だめだ、なんとかしないと。
まあ……かくいう私も、さっきまで同じ状態だったんだけど。
深くため息をついて、私は三人に向かって問いかける。
「私たちがなんのために、ここに来たと思ってるの?」
「こうやってー、のんべんだらりと過ごす事ではなくてー?」
「違うでしょ」
声まで間延びしているジルの回答に、私は強く否定の意を示した。
「ここに来たのは、私たちをもっと鍛えるためよ!」
「あー……はいはい。そうでしたわねー」
「とにかく、次の目的地を決めるから! 私たちは冒険者なのよ!」
メイドのコトゥハにお菓子を下げさせ、話し合いが出来るようにして貰った。
下げられていくお菓子を、口惜しそうに見つめるジル。
「……勿体ない」
「はい、そこ! 話が終わったら食べさせてあげるから、ちゃんとしなさい!」
「えー……。食べながらでもお話は出来ると思いますわー……」
「駄目、しゃんとしなさい! でないと、お菓子抜きにするから!」
「ええー……」
不満そうに文句を言うジルに、伝家の宝刀『おやつ抜き』を振りかざして言う事を聞かせ、次の目的地の相談を始める。
§ § § §
迷宮、湖、森林地帯――。
私がこの領に来る事に決めた理由、その三つの全てが中央都市から馬車で一日圏内にあった。
つまり、私たちを鍛える修練場はよりどりみどりだ。
迷宮には、最低でもAランクの魔物が現れる事が分かっており、森林地帯には大抵、俊敏な魔物たちがいる。森林の治安を守る『狩猟者』が減っている今、結構な修行になると思う。
そして、湖。
ソウカリバーの湖と呼ばれる大きな湖は、ジルには黙っていたけど、水棲の魔物が出るという話で……魔物退治と泳ぎの練習という、二つの事が同時に出来る。
賊や魔物に襲われる事が少ないために、城壁や柵で囲われた街がほとんどなく、街道で出くわすのも山賊コボルト程度……という平和なこの領では、今挙げた三つの場所は『領内三大危険地帯』といえる場所だ。
「で、どこに行くかだけど――」
「えー……もう少しのんびりしてからでも、よろしくなくて?」
「のんびりするのが、よろしくないわ」
「ええー……そんなの横暴ですわ!」
ぶうたれるジル。
口を尖らせて、本当にぶーぶーと言っている。今の彼女の姿からは、聖女らしさが微塵も感じられない。それだけお姫様生活で、気が弛んでいるんだろう。
ひとしきり文句を言って気が済んだジルは、腕を組んで真面目に考え始める。
少し思案した後、手をぽんと叩いて出した案はこれだった。
「……それでは、湖! 湖にしましょう!」
私が最初にした説明では、迷宮と森がきついのは分かりきっている。消去法で残った選択肢は湖。それに、湖には魚が沢山いると聞いている。
つまり、ジルの考えている事は……。
「ジル、ひょっとして『お魚食べ放題』で選んでない?」
「そ……そんな事ありませんわ!」
鳴らない口笛を必死に吹いて、ごまかそうとするジル。
本当にお魚食べ放題が目的らしい。
そこで、私は他の二人にも意見を聞く事にした。
「カナは?」
「そーだなー。そろそろ体も鈍ってきた事だし、森で勘を取り戻してえな」
やっぱり『狩猟者』だけあって、カナは森を選んだ。
私も久しぶりに、カナと森を駆け回りたいなと思う。
では、アスナはどんな意見なんだろう?
「アスナは?」
「うーん……私はアリサに付いていくよ。ほら、私はアリサの騎士だから」
そういえば、彼女はこの領地付きの騎士だった。
私の命令で動く……という事だろう。
「じゃあ、この三つで行った事がある場所ってどこ?」
「湖はお魚食べ放題っていうのは本当だよ。他は噂程度でしか知らないかな……」
そこにジルが割り込む。
彼女は目を輝かせて、涎まで垂らしている。
最初に逢った頃の、厳かで上品な聖女はどこに行ったのよ……。
「『お魚食べ放題』! やっぱり、湖で決定ですわ!」
「いや、だからね……目的は体を鍛える事で……」
「決定と言ったら、決定ですわ!!!」
「もう、わかったから……じゃあ、湖ね」
なんだか、この街に来てからは皆バカンス気分だったけど、バカンスが延長された感じになってしまった。
「万歳ですわー!」
ジルは本気でバカンス延長のつもりだ。
大事な布教すら忘れてしまっている怠惰な聖女。それが、今のジルの姿だ。
とりあえず今日は旅支度をして、明日の朝に湖へ出発する事になった。
§ § § §
全員の支度が完了して、玄関前。
「それじゃあ、行ってくるね。ジーヤ」
「いってらっしゃいませ、お嬢様。道中、お気をつけて」
「大丈夫、この領って平和だから」
私は、ジーヤに軽く手を振った。
「じゃあ、まずは馬車の停留所かな……」
下調べはしてあって、中央都市から湖までは一日一便の乗り合い馬車が出ている。今官邸を出れば、発車時刻のちょっと前に停留所に着く予定だ。
しかし、私の言葉を聞いて、ジーヤが引き止めてきた。
「お待ち下さい、お嬢様。馬車でしたら、官邸内に領主専用の馬車が御座います」
「そんなのあるの!?」
領主専用の馬車なんて、寝耳に水。
私、いつからそんなに偉くなったの?
「お忘れかも知れませんが、現在お嬢様は、この領のご領主でいらっしゃいます。領主専用の馬車がなくて、どのようにして領主が移動しようと言うのです」
「ごめん、本当に忘れてた……」
頭を抱えるジーヤ。
ジル、カナ、アスナ、そして見送りのメイドたちも呆れた顔をしている。
§ § § §
領主専用の馬車で一日。
道中はいたって平和。『馬車だから襲われる』というジンクスは、今回は運良く起こらなかった。
やがて、ソウカリバーの湖に到着。
海と見紛うばかりの広大な湖が目の前に広がっている。
水平線が見える程の大きさで、どこまでも続いているかのよう。水は清らかに透き通っており、朝の光を浴びてきらきらと水面が輝いている。
湖に面した街もあって、結構な数の観光客も訪れ、そこそこ賑わっている。
「結構、素敵な所ね」
「そうだな」
この絶景をぼんやりと眺める私の言葉に、カナが答えた。
アスナは無邪気に駆け出して、もう水遊びを始めている。
――そしてジルが一言、声を張り上げて叫んだ。
「さあ、水着回ですわよー!」