第七話 食堂
初めての授業と訓練。それを受けた昼の事。
私は大粒の涙を零して、泣いてしまっていた。
§ § § §
この学校では、座学授業と実技訓練の後に昼休みがあって、昼食はこの昼休みを利用して校内の食堂で食べる事になっている。私が食堂へ向かおうとすると、私の後をついてくる子たちが増えていた。
模擬戦を見て私のファンになったらしい。
食堂までの順路を総勢十五名の女子が、お姉様、お姉様と言ってついてくる。
まるで、大名行列。……食事前からお腹が一杯になっている私がいた。
食堂に着くと夕べの部屋取り合戦と同じように、隣の席争奪戦が始まる。
「静かに食べたいから、一人にして」
こう言って冷たく突き放しても、私の物言いを好意的に解釈して、彼女たちは賛辞の言葉を紡いでいた。
「お姉様、かっこいい!」
「クールだわ……」
「孤高のご令嬢よ、素敵……!」
本当に勘弁して欲しい。
気を取り直して、昼食を注文しにいく。
見たところ、学校の食堂は日本の学食と変わらないシステムで、注文した食事がトレイで配られ、それを自分で席に持っていって食べるようになっている。
違いといえば貴族の生徒が、注文や運搬を召使いにやらせている事くらい。
貴族の子女が通う学校なので、召使いを連れている生徒が沢山いる。
私が驚いていると、生徒の召使いが熱々のステーキを運んでいる。
そんな光景を横目にカウンターに到着すると、壁にメニューが掛けられていて、確かにステーキセットという文字があった。
ステーキセットに、豚ソテーと肉団子のセット、魔物肉セット、スープセットか……。
昼にステーキは重過ぎるし、ソテーと肉団子も肉ばっかりで重い。魔物肉って、確かに魔物の肉はいいお金になったけど、このセットが一体なんの肉か分からないから、選択肢から除外。
「スープセット」
結局、無難そうなスープセットを頼んだ。
すると、奥でシェフらしき格好の男性が、寸胴鍋から深皿へとスープを並々と注いでくれた。
みるみる内に、トレイの上に定食が仕上がっていく。
定食と言ったら庶民的過ぎるから、お洒落に言い直して『ワンプレート』かな。
牛肉と野菜をとろとろに煮込んだスープ。
それとパンに、新鮮なサラダ。目の前で絞られた果実のフレッシュジュース。
完成したトレイを見る。
うん、『ワンプレート』じゃないな……給食だ、これ。
あからさまに学校給食。
牛乳がジュースに変わって、食材がやけに豪華なだけの給食。
という訳で、その給食を自分の席へと運び、食べ始めた。けれど……。
落ち着かない。
三十もの瞳から見つめられている。
皆、自分たちの昼食を食べればいいのに……このままだと、昼休みが終わっちゃうよ、いいの?
テーブルマナー自体は貴族に生まれたおかげで問題ないけれど、これだけ見られていると無駄に緊張する。何だか、食べている気がしない。
――はずだった。
§ § § §
それは、沢山の目に晒されている事すら忘れてしまうものだった。
外側はやや硬めながらも香ばしく、一口噛むと懐かしい柔らかさとふかふかの食感が、私の口の中で踊った。
――白パンだ!
実に十五年ぶりの白パン。
私の瞳からは、とめどなく大粒の涙が零れ落ちていた。
パンが白いだけで、こんなにも感動してしている自分に驚く。
生まれ変わる前に何気なく食べていたものが、こんなにも恋しくなっていたなんて。テーブルマナーは出来ている……はずだったのに、千切らずにそのまま頬ばってしまう。
美味しい!
ただのパンが、こんなにも美味しい!
周囲を確認する余裕なんてなかったから憶測だけど、私を見ている子たちは、お行儀が悪いと幻滅したかも知れない。幻滅されたって構うもんか。
やや小さめのパン、一人前二個を、あっという間に食べ終わってしまった。
そこにわざわざ近付いてきて、私の幸せ気分に水を差す男が現れた――シュナイデンだ。
「フン! 田舎娘は白パンも食べた事がないのか? 必死にがっついて、みっともないったらないな」
シュナイデンはそう毒づくと、わざと大げさに笑ってみせた。
本当に久しぶりの、涙まで流した味の余韻を台無しにされてしまった。
私が流した最後の一滴は、悲しみの涙だったのかもしれない。
シュナイデンの言葉を聞いたファンの子たちは、私を庇おうと口々に異議を申し立てた。
「きっとお姉様には、何か事情があるんですわ!」
「商家である私の家だって、普段は黒パン。白パンは三日に一度なんですけど?」
「美味しいものは美味しいんです!」
「料理人に感謝するのは当然の事ですわ!」
「お姉様は、どんな事にも感動を憶える優しい心の方なんです!」
矢継ぎ早にまくし立てる女の子たち。
庇ってくれるのは嬉しいんだけど、余計惨めになるから、やめよう……ね?
白パンごときで泣いた田舎娘なのは本当だから。
本当に懐かしかった。毎日当たり前に食べていたものが、急に贅沢品になってしまって、食べるどころかずっと見る事すらなかった。それが目の前に現れた時の感動は、きっと私にしか分からないんだろうな。
「ええい煩い、煩い! 白パンも満足に食えない貧乏人どもが!」
シュナイデンが声を張り上げる。
その言葉を皮切りに、今度は無関係の生徒たちまでもが論争に加わった。貴族向けの学校とはいっても、玉石混交で貧乏な貴族もいる。騎士爵を目指す商人や平民もこの学校には多数在籍していた。
当然、『白パンも満足に食えない』生徒が一定数存在する。
白パンを毎日は食べられない『黒パン派』と、毎日食べているお貴族様の『白パン派』で派閥が出来上がり、口論がヒートアップしていく。
曰く、白パンも食えない貧乏人は学校を辞めて親の手伝いでもしていろ、とか。
曰く、こんな贅沢品ばかり食べているからみっともなく太るのだ、とか。
曰く、パンどころかまともな料理すら食べた事もないのだろう、とか。
曰く、白パンなんて軟弱なものを食べているから女にも負けるのだ、とか。
喧々囂々の大騒ぎになった。
議論だけには留まらず、殴り合い、つねり合い、パンの投げ合いにまで発展している。……ああもう、パンが勿体ない。
一方、皆が喧嘩をしている隙に私は白パンのおかわりをしにいった。
何を言われようが、やっぱり白パンは美味しい。
父上、贅沢を我慢出来ない娘でごめんなさい。
§ § § §
「やかましい!! ならば、明日の演習で決着を付けようじゃないか!」
シュナイデンの一声が、この下らない闘争に終止符を打った。
「明日の模擬戦、そこの黒パン女と、このグロセレンフリーデン子爵家次期当主、シュナイデン・ヴィント・グロセレンフリーデンが一騎討ちで試合を行う。いいな!」
六つ目のパンを頬ばっていた私を指差し、高らかに叫んだ。
「今日はたまたま剣で負けてしまったが……明日は必ず魔法でケチョンケチョンにしてやるかなら! 憶えていろ!」
「あの……私、今白パンを食べてるから黒パン女って訳じゃないんだけど……」
私のささやかな抵抗に耳も貸さず、派手に明日の勝利宣言をすると、彼は激昂したままさっさと食堂を出ていってしまった。
何も食べずに出ていったけど、大丈夫かな?
お腹が空いてたら午後の授業に響くよ、と教えてあげようとしたけど、彼の姿はもう見えなくなっていた。
そして、私はというと……牛肉のスープのおかわりをしていた。
とろけるような舌触りで、口の中でほろりと牛肉が崩れる。とろとろのスープに浸したパンは胃袋に次々と収まっていく罠だ。
食べ過ぎて太ってしまいそう。美味しすぎて困ってしまう。
……全生徒で食堂を最後に出たのが、私だという事は言うまでもなかった。