第百三十六話 決断
宿に戻ってきた私たち。
帰ってからずっと、なんだかカナの顔色が冴えない。
本当は魔法学校の帰り道……もっと前から、カナは落ち込んでいたけれど、私がそれに気付いたのは夕食の時だった。
「カナ……顔色悪いけど、どうかしたの?」
ジルへの皿が次々に運ばれる中、カナは一皿目にすら手をつけていない状態だった。そんなに『刻印を消す儀式』が不安なのかな……と、私は考えた。
大がかりな魔法だから、もし失敗したらと怖れている?
カナのためにあれだけの人が動いている、という事に緊張している?
……それとも、ジルの魔法で本当に記憶が戻るか不安になってる?
「記憶の事なら、ほら……ジルが直してくれるって言うし」
少しでもカナの不安を取り除こう。
「緊張するのは分かるけど、ね? 少しでも食べよう?」
「いや……いい。先に寝てる……」
カナは二階の部屋へと一人で戻ってしまった。
私は、寂しそうに……そして、辛そうに去っていくカナの背中を見つめた。
§ § § §
「ねえ……カナ、起きてる?」
真夜中、隣のベッドで寝ているカナに話しかける。
背中がぴくっと動いて、起きているのが分かる。
「……なんだよ?」
「カナ、さっきからずっと塞ぎ込んでる……」
私は近付くと、カナの肩にそっと触れた。
「やっぱり、記憶が消えるのが不安……? それなら、ジルが戻してくれるから……」
この手を通して、カナの震えが伝わる。
「それとも……儀式が失敗した時の事考えてる? 失敗しても、またお願いすれば……」
「そうじゃねーよ!」
カナが私の手を振り払って、起き上がった。
「そうじゃ……ねえんだよ……」
震えながら、涙を一筋零すカナ。
窓から差し込む月の光に照らされて、それは小さく輝いた。
そうじゃない……何が?
私には、カナが何を言っているのか、何故泣いているのか全く分からなかった。
「カナ……どうしちゃったの?」
私が尋ねる。
しかし、返ってきたのは意外な言葉。
「……アリサ。ちょっと表へ出ろよ……」
「こんな夜中に?」
「ああ……」
私は、カナに言われるまま部屋を出た。
§ § § §
寝間着のままで外に出て、カナに連れてこられたのは王都の外。
こんな場所まで来るなら、ちゃんと身支度をしてから出ればよかった。
真っ黒な空に、数多の星々。女郎花の色に淡く光る大きな月が、今の私たちを見守っている。
「よし……ここらへんなら、いーだろ」
「カナ……」
「じゃ、やろうぜ。……『組手』だ」
いつ持ち出したのか、カナの手には二振りの短剣が握られていた。
その二刀を体の前で構え、鋭い目で私を睨みつける。
「……なんで?」
「問答無用だ……来ねえなら、こっちから行くぜ!」
不意にカナが消える。
その次の瞬間、私の目に前にカナが現れ、胸に短剣を突き立ててきた。それを、咄嗟に創り出した魔法剣で受け止める。
魔族の機敏性を活かして、予想外の動きでその姿を見失わせる。カナの得意な戦法だ。……でも、動きに切れがない。普段なら本当に消えて見えるカナが、簡単に目で追えてしまった。
受けた短剣からも震えが伝わる。
戸惑いとも怒りとも不安ともつかない感情を、その一太刀から感じ取れた。
「カナ……どうして!」
「煩え! いーから、戦え!」
数合、打ち合いをして体を離す。
カナの太刀筋に、さっきまでの表情と同じ……迷いがあった。普段なら、互いの手の内が分かっていて傷一つ付かない打ち合い。カナの頬に腕に、うっすらと赤い線が走っている。
「やるしかないみたいね……《剣創世・刃引き》!」
これなら本気で叩き込んでも、魔族であるカナは軽い打撲で済む。
先に出した剣を投げ捨て、新たな剣に持ち替えて……今度は私の方から切り込んでいく。
数度、鍔迫り合いを交わすと、カナも自身の剣が鈍っている事に気付く。
体を離したと同時に、呟いた。
「《加速》……!」
迷いを魔法で補って、攻め込むカナ。
ここからは、私も本気。カナの動きを目ではなく、予測と勘で追う。
カナの動きは円運動。その円周上に刃が通る。
角を失って足りなくなった魔力を補う、カナの新しい戦法だ。つまり、この後……魔族だからこその、大火力魔法が来る。
「《火球》」
カナが最も得意とする魔法。
先程も演習場で見せて、生徒たちを驚かせていた直径二メートルの《火球》だ。足で描いた魔法陣から巨大な球が出現し、カナの指先の方向へ、つまり私へと射出される。
「はああぁぁっ!」
私は気合を込めて、剣を振り下ろす。
それと同時に真っ二つに裂け、私の体の左右へと通過する《火球》
一発目を対処している間に、もう一発の準備が終わっているカナ。
新たな《火球》が少しの間を置いて飛んでくる。
斬り裂くのでは間に合わない。
一か八か。返す刃を火球へと突き込んで、そのまま切っ先を捻る。
斬れないのなら、絡め取る!
炎を巻き付けるようにして切っ先を回すと、回転に合わせて《火球》は少しずつ霧散して、小さくなっていく。最後にはわずかな……というには、やや多めの炎が剣に残った。
「なんだよ、それ……。初めて見んぞ」
「……新しい戦法よ」
ただの偶然だけど、虚勢を張ってカナに言葉を叩きつけた。
今の剣は、まるで炎の魔法を付与した剣のよう。残り火が刀身に渦巻く。
私はその剣の切っ先を、カナへと向ける。
それを見たカナは、姿勢を低くして突進の体勢に入る。
「面白え……。行くぜ!」
そう言うと、私の下へと飛び込んできた。
その後も激しい打ち合いを続けると、いつの間にか《加速》の効果が切れて、カナの迷った短剣捌きがあらわになった。
加えて、普段通りの見切りで躱すカナに容赦なく炎が触れ、肌を焦がした。普段ならこれだけの傷……火傷を負ったなら、組手はここで終わりのはず。
……それでも戦う事をやめず、がむしゃらに向かってくるカナ。
「なんで……なんで、こんな無茶な事してるの? 何が不安なの? どうして!」
そして、次の一言が勝負を終わらせた。
「そんなに記憶を失うのが怖いの!?」
「違う……つってんだろ!」
途端にカナの短剣が、迷いが消えたようにまっすぐに加速する。そして、十字に重ねた二刀で私の剣を弾き飛ばした。
私は瞬時にもう一本剣を創ってそれを振るうも、それすらカナの短剣に弾かれてしまう。王子や先代『剣聖』にも勝利した技を、カナは難なく打ち破ってみせた。
そして二振りの短剣を投げ捨て、体ごと飛び込んで……私を強く抱きしめた。
「アリサ……」
途端に零れ落ちる、沢山の涙。
私の胸で、カナは泣き始めた。
「だから、違ーんだよ……。消えて無くなるのは記憶じゃねえ……」
「え……?」
「代償は……アリサ……オマエなんだよ……。一番大事なのは、記憶なんかじゃねえ……オマエだ……!」
その言葉に驚き、思わず目を見開いてしまう。
代償が……私?
心配していたのは記憶じゃなくて、私だった……?
「……アタシが自由になったトコロで、オマエがいなくなったら意味ねーだろ……!」
カナが私の胸を叩く。
「だから……アタシは、ずっと奴隷で構わねーって言ったんだ……!」
もう一度叩く。
「アリサと引き換えの自由なんかいらねえ! ……だからよ、今まで通り一緒に旅、しよーぜ……な?」
何度も、何度も叩いた。
「アタシは、アリサがいないと嫌なんだよ……。だから……だから、アリサ……アリサぁぁっ! うわあああああっ!!」
悲鳴のような声をあげて泣き叫ぶカナ。
私にしがみつき、顔を胸にこすりつけて、止めどない涙を溢れさせている。
いつも強気で、いつも明るかったカナ。
そんなカナが、今はこんなに辛そうな顔を見せている。
「ごめん……ごめんね、カナ」
私はカナに謝った。
「……わかったよ、また一緒に旅……しよ?」
そしてカナに、私自身にも言い諭すように語りかけた。
「ね?」
私はカナに笑顔を見せて、指で涙を拭ってあげる。
それでも、涙は零れ落ちている。
「ずっと……一緒か?」
「ずっと一緒だよ」
私は首飾りを取り出して見せた。二人の変わらぬ友情の証だ。
カナも取り出して、私に見せる。
そして、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、やっと微笑んでくれた。
私もカナに笑顔を返す。
「……学校やホーカちゃんには悪いけど……明日、断りに行こ?」
「ああ……!」
少しだけ欠けた大きな月の下、私たちはずっと抱き締め合っていた。