第百二十七話 嵐Ⅳ
巨大剣に刺されながらも、尚ももがくジルの巨体。
気を失わせない限り、人間状態に戻す事も、暴走を止める事も出来ない。
「どうしよう……カナ」
「よく見ろ、アリサ」
カナが、立てた親指でジルを指して言う。
「聖女サマはもう、弱リきってる。……あと一発、急所にブチ込みゃ倒せるぜ!」
確かに動きも弱っているし、暴れているというよりは足掻いているだけ……という感じだった。
「でも、急所なんて……どうやって」
「大抵の動物の急所は、鼻面だ。ここをブッ飛ばしゃ、バッチリだ!」
確かに鼻の頭付近は、人中といって人間でも急所だ。
でも、百メートル以上もあるジルの頭を、人間である私が攻撃するのは無理。巨鬼のような数メートルの魔物と違って、体を登るのは至難の技だ。
「いや、無理でしょ」
「大丈夫だ。アタシに任せな!」
そう言うと、カナはおもむろにブラを脱ぐ。
彼女のブラは近代的な下着ではなく、ただの布切れを後ろで縛っただけのもの。背中に手を回して、結び目を解くと恥ずかしげもなくそれを脱ぎ去った。
「ちょっと、カナ! いきなり何してんのよ!」
私には、カナが急におかしくなったようにしか見えなかった。
これじゃ、痴女だよ……カナ。
カナは何も答えずに、その布切れを使って大斬刀を私の背中にくくり付けた。その後、大斬刀に《武装付与》の魔法もかけている。
「え……? えっ……?」
「アリサ、手え出しな」
その奇行に困惑する私に、カナは言った。
素直に両手を差し出すと、彼女はおもむろに私の両手首を握り……。
私の体をぶんぶんと振り回し始めた。
何周も私を振り回して、最後は魔族の腕力で思いきり放り投げる。
はるか上方へと吹き飛んでいく私。
「アリサー! それでガツンとやっちまえー!」
「何、無茶言ってのよー!!」
口では無茶と言っても、やるしかない。私は諦めて、背中に結ばれた大斬刀を取り出して構えると、体を反転させてジルの鼻先を狙う。
「カナー! あとで憶えておきなさいよー!」
「さっきの蹴りとで、おあいこだろー!」
すごい速度で近付いてくるジルの顔。間近で見ると大迫力だ。
その大迫力の竜の顔に魔法がかかって高威力になった大斬刀を、大きく振りかぶって叩きつけた。
もの凄い手応え。投げ飛ばされた加速と、刀の重さ、支援魔法が全て加えられた衝撃が、私の両腕にも伝わってきた。
ジルは白目をむき、その首が重力に負けて地面へと突っ伏す。四肢や尻尾も弛緩して、とてつもない轟音と地響き、砂煙も巻き上げて、完全に倒れた。
それと同時に、私の体も落下する。このままでは地面に叩き付けられると覚悟した時、カナが走り込んできて私を受け止めた。
§ § § §
気を失った事で、次第にしぼんでいくジルの体。
大きさの変化に合わせて、指に刺さった大斬刀も自然と抜ける。巨大剣は、このまま抜けてしまったら被害が甚大だから、魔法を解除して倒れる前に消し去った。
やがて人間と同じ大きさになると、その姿も人間に。
ジルもこうして眠っているだけなら、ただの美人なのにね……。
――しばらくすると彼女は目を醒まし、大声で喚き出した。
手足もじたばたと振って、転げ回っている。
「なっ……なっ……なんですの、これは!!! 痛いっ! 痛い痛い痛い痛いーっ!!」
全身所々が火傷だらけ、指は針のようなものが刺さった跡、背中にいたっては、お腹まで貫通して穴が開いて、血が流れ続けている。その形の整った鼻も、打撲痕で腫れていた。
「もうっ、なんですの? 《治癒》! 《治癒》……《治癒》! 《治癒》ううううっ!!」
何度魔法を唱えようとしても、痛みで精神集中が出来なくて中々発動しない。
更に転げ回って、泣き叫ぶジル。
「落ち着いて、ジル……」
「これが落ち着いていられますか! 痛いっ! 《治癒》! 痛いっ! 《治癒》うーっ!!」
何度も痛いと連呼し、《治癒》を試みるジル。やっと魔法が成功して怪我が治ると、涙に汗に涎……流せるものは全て流して、ぜえぜえと息を荒げながら、錫杖を支えにして立ち上がった。
「本当に……何がありましたの……?」
「憶えてないの? 『嵐』……じゃなくて、スタンピードで真竜に戻って暴れまわってたのに」
「はい……? 大暴走……? あっ……そうでしたわ。私、説明の途中で興奮して、それからの記憶が……」
涙でめちゃくちゃになっている顔を拭いてあげた後、暴走したジルを止めるために、《炎の世界》で焼いたり、巨大剣で突き刺したりした事を説明した。
「私とした事が……大暴走で理性を失うなんて……。ひとまず、お礼を申しあげますわ。ありがとうございます……で・す・が……!」
私たちを睨みつけるジル。
「燃やしたり、剣で貫いたりは酷いですわよ! もうっ!」
拳を振り上げて、私たちを追い立てるジル。その拳で叩かれたくはないから、逃げる私たち。しばらく追いかけっこをしていると……。
「あら……雪、ですわ……」
空から、一粒、また一粒と舞い降りる白い結晶。
寒暖差の少ないこの大陸では珍しい雪が降り始めた。春に王都を出て、再び王都に戻ってきた今、季節は冬になっていた。