第百二十話 大敗
「世界を制する者、我が名は暗黒獅子皇帝ルーヴ……!」
……この人が、あのゾディアック帝国の皇帝……?
ジルの愛する国サジェスや、私たちシュトルムラント王国の敵。
そういえば、私……いや、『剣聖』を探していたと言っていた。
すると、エーゴスの街で出逢ったキャサリンに、魔導具を渡したのも彼?
痛みで回らない頭で、私は必死に考える。
『まるで麻薬だな……』
『お母さんが……お母さんが、死んじゃう!!』
『麻薬の売り方と全く一緒、ですわね』
『その女は、我がゾディアック帝国の奴隷となったのだ』
『……さあ! 本日最後の、目玉商品ですよぉー!』
頭の中でゾディアック帝国の非情な行いが、次々とフラッシュバックする。
ルゥ……いや、ルーヴ。
彼こそ、私が戦うべき……悪!
私は、剣を支えによろけながら立ち上がる。
しかし、ようやく立ち上がった私に、もう一度蹴りが入る。
逆方向へ飛ばされ、何度も地面で私の体が跳ねた。
受け身を取る余裕すらない。
逆のあばらも折れた。こんな痛みはジルと戦った時以来。ジルといい、ルーヴといい、つくづく私は仲間だと思っていた相手に裏切られるみたいだ。
「ア……アリサっ! 畜生……《加速……っ!」
私を助けるために、カナが魔法を撃とうとしてくれた。しかし、ルーヴは一瞬でカナの位置まで間合いを詰め、その口を塞いで宣誓を止め、空いた手でカナの腹部に掌底を打ち込んだ。
「あっ……が……っ!」
暴走熊すら果てまで飛ばした掌底だ。それをあんな小さな体で受けて平気なはずがない。魔法武器以外は効かない体といっても、痛みだけはある。その衝撃の強さに、カナは打たれた場所を押さえて、膝から崩れ落ちた。
「カナさんっ! ……そんな……許しませんわ!」
ジルが叫んで、錫杖を取り出そうとする。その取り出すほんの少しの時間で、ジルの後ろに回り込み、背中へ肘を叩き付けた。ジルの体が逆くの字に曲がり、地面へと激突する。
それぞれがたった一撃で、動けなくなる程の痛みを与えられていた。
「ア……アリサさん……。アリサさんだけでも、逃げ……」
「煩い」
錫杖を持つ腕が踏みつけられ、鈍い音がした。
骨が粉々に砕ける音。ジルの腕があらぬ方向に曲がり、宙に浮く。
「きゃぁぁあああぁぁーっ……!!」
ジルの悲鳴が上がる。
最強の真竜だったジルは、その巨体と頑丈な鱗に守られて、痛みらしい痛みを受けてこなかった。だから、私の一撃で悶絶して敗北を認めた。
そんなジルが、背と腕の骨を折られる。きっと、想像を絶する痛みを感じているんだろう。宙に浮いた腕が、体と同じように地面に伏すと全身が痙攣し、ジルの口からは弱々しい呻きだけが上げられていた。
「やめて! それ以上、私の友達を傷つけないで!」
よろけながらも立ち上がり、切っ先をルーヴに向ける。痛みで手に力が入らず、先端はみっともなく震えていた。
「まだ……戦う、というのか?」
「当然よ!」
「なら、最大級の絶望を与えてやろう」
ルーヴがマントを翻す。その裏地には大量の『魔導具』が隠されていた。
彼はその中の一つを取り出し、上部を捻る。
まばゆく魔導具が光り、その衝撃波で私は弾き飛ばされる。
「きゃああぁぁっ……!」
そして、魔導具から声が聞こえてくる。
「《加速》」
更に彼は、その《加速》をかけた魔導具を投げ捨て、別の魔導具を取り出す。
そして、これもまた捻った。
「《力》」
更にもう一つ。
「《生命力上昇》」
彼は魔導具を次々と捻っては、投げ捨てる。
やがて、十を超える支援魔法が彼の体にかかった。最後に特別製と思われる、穴の空いた一回り大きな立方体。その魔導具を正面に構えると、彼は懐から見覚えのあるコインを取り出した。
あれは、ゾディアック・ギア……!
「それは……ステイシアの……!」
「ほう、ステイシアを知っているか。ならば、あの女の捜索を邪魔していたというのは、貴様だったか」
「亡命して……もう、ないはずじゃ……」
そう。ステイシアを帝国から逃した事で、あの恐ろしい兵器――ゾディアック・ギアの製造法も失われたはずだった。
「父親だよ。父親を拷問して作らせたのだ。……では、征くぞ。絶望するがいい……」
魔導具にギアを装着するルーヴ。それまでの魔導具と違い、黒い光……そんな光はありえないはず……しかし、そうとしか形容出来ない光がルーヴの周り包み込む。そして獣の咆哮のような轟音を放ち、彼の姿が変容した。
「獣王……鎧装……!」
それまでの獣人たちとは全く異なる姿。人間の姿のままで、漆黒のボディスーツのような鎧が彼の体に装着されている。胸、前腕、脛といった重要な部分だけは厚く、その胸には獅子の文様が施されており、そこだけが金に輝いていた。
今までの甲冑よりも、硬く……そして動きやすい事はその見た目から分かる。
万全になった彼に対し、私は左右の肋骨が何本も折れ、酷い痛みで意識を失いそうになっている。それでも、彼を許せないという気持ちで、勝てないと理解しつつも、地を蹴って間合いを詰めた。
「うおおおおっ!」
力の限り叫び、剣を振り下ろす。
しかし、いとも簡単に受けきられ、剣は止まる。痛みで全力は出せないとしても、この剣は魔法宣誓をした切れ味も鋭く、耐久力もある剣。
それが片腕で簡単に止められてしまった。
「ふんっ……!」
ルーヴが一喝し、刃を殴ると魔法剣が砕けた。
獣王鎧装――本人の能力や魔法の助力があるといっても、それは信じられない程の防御力と破壊力を持っていた。
「《剣創世・忍刀》――隠れ丸、疾風丸!」
普通の魔法剣は効かなかった。今は大斬刀を振り回す力はない。だからこその忍刀。私の切り札。空中に魔法陣が現れ、それが二本の小太刀へと変わる。
こんな魔法宣誓を待たなくても、一撃……いや、何発でも攻撃を入れる事が出来るはずなのに、それをわざわざ待っている。
彼はこの『戦い』を、『遊んで』いるんだ。こみ上げる悔しさを飲み込んで、私は二刀を構える。しかし、交互に繰り出す斬撃は全て受け、躱されてしまう。
私の連撃を軽くいなした彼は、まずは左……疾風丸を蹴り飛ばす。私の左手に痺れが走った。
そして右。ひるまず繰り出した隠れ丸を、わずか二本の指で挟んで止めた。
「くっ……!」
右へも左へも、私がどんなに力を込めても、びくともしない。そこから軽くルーヴが捻っただけで隠れ丸が奪われる。その勢いで蹴りを叩き込まれ、私の体が激しく回転しながら吹き飛んだ。
地面へと激突した私に向かって、隠れ丸を投げ捨てるルーヴ。
最初の蹴りの時のようにゆっくりと歩いてきて、私の襟首を掴んだ。
そして私は、そのまま持ち上げられてしまう。あがけばあがく程、首が締まる。
「弱い……。教えてやろう、『剣聖』……。この世で最悪の悪、それは弱いという事だ」
更に頭よりも上の高さまで持ち上げられ、私の足が宙に浮く。
今、がら空きの腹を蹴る事が出来れば、逆転の目も見えるけれど、もう足に力が入らない。
「……そうだな。貴様は使えなくとも、『剣聖』の名だけは使えるな」
彼は私に向かって言い放った。
「俺の妾になれ。そうすれば、命だけは助けてやろう……!」




