第百十九話 干渉
ぞろぞろと現れる、熊、熊、熊。
最後には二十匹以上の暴走熊が、私たちの前にやって来た。
のそのそと近付いてくる四メートル以上の怪物たち。
「これはちょっと……軽いピンチね……。一、二匹程度ならなんとかなるんだけど……」
「ですわね……」
大量の熊に怯えてしまっているカナの肩を抱きしめて、後ろでジルが頷く。
元からジルは回復役という話になっているから、これでいいんだけど……この状況でカナに頼れないのは、かなり不利だ。
「カナ、戦えそう……?」
「む……無理……」
恐怖で今にも崩れ落ちそうな足、全身が震えて、瞳には一杯の涙を湛えている。何かの拍子で泣き出しそうな、そんな表情だ。
子供の頃のあの出来事を、軽く見ていた私の失敗だった。カナがこんなにも怖い思いを隠していたなんて、それに全然気付いてあげられなかったなんて……私は、親友失格だ。
戦えるのは、私と……あと、実力が未知数なルゥさんだけ。
「ルゥさん、お願い出来ますか……?」
私がお願いを言い終わる前に、ルゥさんは既に前へと出ていた。
「……ふん……『剣聖』とはいっても、所詮はこの程度……」
何か小さく独り言を呟いている。途中までしか聞き取れなかったけど、私に失望したようだった。
でも、Fランクプレートを提出した私を、どうして彼は『剣聖』だと知っていたんだろう……。小さな疑問が頭をよぎったけれど、今は戦闘中。余計な事を考えている暇はない。
私が考え事をしている間にも、彼の戦闘は始まる。
「ふんっ……!」
裂帛の気合を込めた掌底を、一番手前にいる熊の下腹へと叩き込む。
すると、たったの一撃であの巨体が吹き飛び、後ろにいた二匹を巻き込んで、はるか向こうの大木に叩き付けられた。三匹はまとめて伸びてしまっている。
熊というのは百五十センチ程度の小さな熊でさえ、分厚い毛皮や皮下脂肪、強靭な筋肉に守られており、ちょっと叩き付けられた程度では気絶はしない。つまり、彼の掌底がそれだけ途方もない威力だった……という事。
凄まじい実力だった。
Aランク……どころか、それ以上だと言われても疑問には思わない。
しかも、着込んでいるのが金属の全身甲冑にもかかわらず、素早く華麗に動いていた。まるで鎧など着けていないかのよう。
「はっ……!」
目にも止まらぬ速さで次の熊へと向かい、飛び上がって後ろ回し蹴り。
熊の首があらぬ方向に曲がり、それだけは留まらず、激しく回転をしながら横へと吹っ飛んで行く。飛んでいった先の木が何本もへし折れ、ようやく止まった時には、熊の死骸はずたずたになっていた。
蹴り飛ばした後も隙を見せる事なく、次の熊へ。
マントに隠されていた暗器――大量のナイフを熊へと投げつける。通常、ナイフ程度で熊は傷つかないはずが、淡く光るそのナイフはその一本一本が魔法の武器。全てが深々と突き刺さり、熊に深い傷を刻む。
その内の一本が目に刺さって、熊は咆哮を上げて怯んだ。
出来た隙を見逃さず、彼は飛び蹴りを放つ。
真に鍛え上げた者だけが持つ常識外の身体能力は、遠くにあったその熊の体へと届く。幅跳びの選手でもここまでは飛べないといった距離を一足で飛ぶ。
彼の脚撃が当たると、熊の頭が胴体から吹き飛んだ。
首から上が跡形もなくなっている。
その後も掌底連打、鋭い回し蹴り、マントに仕込んだ大量の暗器で、みるみる熊を打ち倒していく。それはまるで、中国武術の達人が演舞を見せるかのようだった。
達人の演舞はそれだけで凶器となり得る。あの踊るような一連の動きには全てに意味があり、どれもが一撃必殺の威力を兼ね備えている。
……剣道を習い始めの頃、空手や中国拳法といった『無手』を軽く見てはいけないと教わった時に聞いた言葉だ。
四、五歳の頃の私には難し過ぎて分からなかったその言葉の意味が、目の前で繰り広げられている演舞……いや、激しい猛攻でやっと分かった。
それは、私がやっている『格好よく見せるための剣術』とは、次元が違っていた。
これでも、試行錯誤をして実戦に耐える技にまで昇華させたつもりだったけど、何もかも根底から違っている。華麗に見えるようにするのではなく、究極まで技を突き詰めた結果、無駄なく華麗になっていたというものだった。
息を呑むような動きに心奪われ、戦うのを一時忘れてしまっていた私も、少し遅れて加勢をする。私が五匹を倒したところで、彼が他の熊を全滅させていた。
気絶だけで済んでいる個体も、それぞれ丁寧に、そして無情にとどめを刺していく。そう、これは討伐依頼。試験でも試合でも、力を見せつけるためのデモンストレーションでもない。
「ルゥさーん!」
私は彼に駆け寄って、彼の技の冴えを讃えようとしていた。
「凄いですね! あんなに沢山の熊を一瞬で――」
その時、私は頬に強い痛みと衝撃を感じ、向こうの木へと叩き付けられていた。……彼の手の形、握った拳を横へと突き出したその姿で、私はようやく把握した。
目にもとまらぬ速さの裏拳を頬に叩きこまれて、吹き飛んだのだ。達人の拳は、剣よりも速いと言われている。私も反応しきれない程の、動いた気配すら感じ取れない拳、それがこの痛みの正体。
――私、ルゥさんに殴られた? なんで?
一体何が起きたのか、何をして私が彼の怒りを買ったのか、全く把握出来ない。
そこにゆっくりと歩いて近付いてきて、今度は倒れたまま頬を抑えている私に、熊の頭を吹き飛ばした蹴りを入れる。
歩いてきた動作と、蹴る動作の緩急の違いに、これも反応しきれない。
もう一度吹き飛び、脇腹に激痛が走る。肋骨が何本か折れた……ミスリルの衣装が衝撃を緩和しても、はるかに超える威力の蹴りがその防御力を無効化していた。
「か……はっ……!」
知らず知らずに私の口から、呻き声が漏れる。すぐには立ち上がれない痛みが、私の体を支配している。
「ルゥさん……。なんで……どうして……」
私が疑問を口にすると、今まで無言で私を虐げていた彼の口がようやく開く。
「ふん……。『剣聖』が代替わりしたというから、わざわざ見に来てやったのだ」
それって、一体……どういう事?
打ちどころが悪く、激しい痛みで喋る事もままならない私は、目で彼に尋ねる。
「長い時間をかけて探した『剣聖』が、この程度の実力とは……。もう少しましならば、我が帝国に引き入れようと思っていたのだがな……」
彼が何を言っているのか、全く分からない。私の頭は混乱するばかり。
「ル……ルゥ、さん……」
「ルゥなどではない!」
「えっ……?」
ルゥさんは、ルゥさんですよね?
どうしてこんな……。
「まだ、分からぬのか? 察しの悪い娘だ……」
彼は口元を歪ませ、にやりと笑った。
口だけでなく、その瞳までもが私を嘲笑っている。
今までの笑顔も、哀れみの表情も……全ては、ただの演技。
そして、この邪悪な笑みこそが彼の本性……!
「……我こそ、ゾディアック帝国皇帝」
そして彼は、一際高らかに宣言した。
「世界を制する者、我が名は暗黒獅子皇帝ルーヴ……!」