第百十八話 暴走熊
暴走熊は大抵、山岳地帯や森で出現する。今回の依頼で出現したという場所は、中央都市ガンマ・アイから歩いて半日のファミュ大森林だった。
ウサギやイノシシなんかを狩っている狩人が、あまりに大きすぎる熊に襲われた……という事で、暴走熊の生息が発覚した。以降、何組かの狩人や冒険者が襲われて、討伐依頼が出たとの事。
最も多い冒険者のランクはCからD。Bランクの魔物に対抗し得る冒険者が中々現れず、森林を立入禁止とする事で対処していたとか。
私たちはすぐに出発して、夜には森林の入り口に到着。
突入は明朝という話になり、そこから少し離れた場所で野宿をする事になった。
夕食は、私とカナが入り口付近で狩った、鹿の肉を焚き火で焼いたもの。やっぱり、カナと一緒に狩りをするのは楽しい。額に角付きの鹿ではないから楽に狩れたけれど、子供の頃を思い出して、二人ではしゃいでしまった。
その焼いた肉に、香りや辛味を付けてくれる香草。まあ、どこにでも雑草のように生えているんだけど……は、この国では手放せない調味料だ。塩はそこそこ高価なので、しっかりと味が付き、いい感じに仕上がるのはとても便利。
それと、保存用の黒パン、チーズに、ギルドで昼食と一緒に購入しておいたスープを温めたもの。
道中、スープをつまみ食いをしようとするジルから、スープを守るのに少し苦労をしたけど。……聖女がつまみ食いとかしないで欲しい。最近、わりと本気でそう思う。
今回は獲物が鹿なので、ジルも量が食べれて喜んでいた。私たちの分を除いた丸々一頭をぺろりと平らげたのを見て、ルゥさんが驚いていたけど。
夕食の後は、作戦会議。
論点はこの広い大森林をどう探索するかと、遭遇した際の隊列。
……それと、こんな話だった。
「やはり、狩猟者の減少が問題ですのね」
「うん。ゾディアック帝国が狩猟者を狩ってるみたいだからね……」
「許せませんわね」
ルゥさんの眉がぴくりと動く。
この件は、初耳なのかな……?
「帝国の……ですか」
「はい。この国の森を守っている、狩猟者って呼ばれる魔族が皆狩られてて……。そのせいで、どの森でも魔物が氾濫しているんです」
「ほう……」
「カナも元狩猟者で……こんな姿になっているのも、帝国のせいなんです」
カナが折れた角の跡と、奴隷刻印を見せる。
彼は痛ましそうな表情で、カナの角の跡を見つめた。
口元だけが憐れむように歪んでいたけど、目は無表情だった。
ひょっとしたら、目で表情を作るのが苦手な人なのかも知れない。
「ま、アリサに助けて貰ったおかげで、売り飛ばされなくて済んだけどな!」
酷い目に遭い続けていたのに、屈託のない笑顔で笑うカナ。
カナはもっと帝国を恨んでもいいんだよ?
少々話がそれたから、私が話を本題に戻す。
「……多分、暴走熊が出たのも、そのせいだと思います」
「そうですか……」
そうして作戦会議をした後、早めに眠りに就いた。
回復役であるジルにはしっかりと寝て貰って、私とカナとルゥさんの三交替で見張りをする事になった。
……夜に現れたのは、ウサギやリスといった石を投げれば逃げていく小動物ばかりで、特に何事もなく夜は過ぎたのだけど。
§ § § §
翌朝、早くから森へと入る。パンとチーズをかじりながら、捜索開始。
お行儀よりも、効率優先で熊を探す。
途中、いくつかの野生動物をやり過ごして、森の奥へと入っていく。
出ても小動物か、強敵と呼べるかどうかも怪しいイノシシ程度。そのイノシシすら、こちらから手を出さなければ、襲っては来ない。
オオカミ一匹現れない、平和な森だった。
しかし、それはある程度までの深さの話で、陽の光が陰る鬱蒼とした奥地まで来ると、話は変わった。
「いるな……動く気配を感じる……」
カナがまだ視界に入らない熊の気配を察知して、私たちの歩みを制する。
それから程なくして木々の隙間を縫うように、熊――暴走熊が姿を現した。
大きさは四メートル。初めて戦った熊と同じ大きさだ。
あの頃は、私たちの四倍近い大きさで、とても恐ろしかった事を憶えている。今見ると、私の倍ちょっと程度。飛龍や巨鬼、真竜と戦ってきた今では、拍子抜けする程小さく見えた。
ジルは平気そう。いざという時は、竜の力を開放すればいい。
ルゥさんも余裕の顔をしている。Aランク冒険者という話に嘘偽りはなさそう。
問題はカナだった。肩が少し震えている。
「……カナ、大丈夫……?」
小声でカナに聞いてみる。
カナは恐怖を振り払うように、顔を左右に振ると弱々しく答えた。
「……へ……平気だぜ……?」
全然平気じゃななさそう。今の私たちにとっては、楽勝なはずだけど……。
心的外傷――トラウマというもので、幼少期に感じた強い痛みや恐怖は、大人になっても拭えないと聞く。カナにとっては、『熊』がその心的外傷だった。
以前、梟熊と戦った時も、真っ先に手伝ってくれと言っていた。思い返すと、あれはあれで強がっていたんだと理解出来た。
そこで、声を少し大きくして私は言う。
「私に、まかせて……!」
驚く三人。昨晩立てた作戦では、なるべく気配を消して奇襲で仕留めよう……という話だったのに、わざわざ居場所を知らせてしまったのだから。
「行ってくるね」
そう一言告げると、私は熊へと駆け出した。
気付いた熊も、私に向かって駆け寄ってくる。交差する瞬間、私は横にある木へと跳んだ。
急な方向転換に驚いて、一瞬躊躇する熊。
私は木を壁に見立てて壁キック――パルクールのテクニック。一対の壁があれば、右斜め上へ、左斜め上へと何度も蹴る事で、相当な高さまで忍者のように跳べる――を繰り返し、熊よりも高いポジションを確保。熊の真上から落下する。
「『剣創世』!」
重力に任せて落ちながら、魔法剣を創り出し、その剣を横へと一薙ぎ。
私が着地した時には、熊の頭と胴は離れて別々の方向へと倒れた。
「ほお……!」
驚愕の表情を見せるルゥさん。
「討伐完了!」
私が剣を消してカナの方を向くと、カナの顔色は悪いままだった。
肩はまだ震えていて、大きな声を上げる。
「アリサ! まだ終わってねえ! う……後ろだ……っ!」
振り向いた私の視界には、二匹、三匹、四匹……十、十一、十二……!
次々に遠くから近付いてくる熊。
その全てが四メートル以上。一匹だけなら余裕だけど、流石にこの数は……。
依頼には『暴走熊の討伐』としか書いていなかった。一匹だけなんて一言もなかったし、森を閉鎖してしばらく経っているから……発見時は一匹だったとしても、増えている可能性があった。
一太刀で終わったはずのこの依頼、一転して私たちは窮地に陥った。




