第百十二話 祝福
「ほ……本当に噛みつきませんの?」
「大丈夫だって。ホラ、な?」
怖がるジル。それに対し、アイシーの背に乗って安全を示すカナ。
あれからもう二匹のアイシーが呼ばれ、合わせて三匹になっている。私も、二番目に呼ばれたアイシーに乗った。
「あとは、ジルだけよ?」
「……で……でも。こんなに大きいんですのよ?」
「ジルの方が大きいじゃない」
ジルの本当の姿は真竜。あれと比べたら、ヒグマと子犬くらいサイズが違う。勿論、ジルがヒグマの方だ。
「でも……私、人間の姿の時は、人間と同じ耐久力しかありませんのよ」
「大丈夫だから。舐められても、噛まれたり食べられたりしないから……ね?」
私も一緒に説得してやっと、ジルがアイシーの背にまたがった。
乗ってみたら意外と気に入ったらしく、上でぽんぽんと跳ねている。
「あら……結構、ふかふかで快適ですわね」
「でしょ。……でも、しっかり掴まっててね。振り落とされるから」
いくらアイシーが友好的な魔物といっても、走っているアイシーから落ちたら怪我だけでは済まない。馬ですら落馬したら死んでしまう事が多いのに、その倍の速度から落ちる訳だから、その危険度は容易に想像がつく。
くれぐれも落ちないようにと、もう一度ジルに注意を促すと、飛び跳ねていたジルは、生唾を飲んでふさふさなアイシーの毛を握りしめた。
そうして、私たちは魔犬の背に乗って東へ――王都へと向けて出発した。
§ § § §
それから半日。
コバック村の東隣、フォアカードの街へと到着する。
馬車なら、まず南東へ一日。もう一つの村を中継して、そこから馬車を乗り換え、北東へ一日の計二日はかかる行程のはずが、直線距離と驚異の速度で半日で到着してしまった。午前中に出発して、今はまだ夕方。
街の人々を驚かせる訳にはいかないから、街の少し手前で止まるようにお願いすると、街から近過ぎず遠過ぎもしない、丁度いい場所で私たちを降ろしてくれた。
本当に便利過ぎるワンコだ。
走っている最中は、ジルも楽しそうな叫び声をあげていた。最初はあれ程怖がっていたのに。
謝礼として、彼らにたっぷりの干し肉を与えて、帰って貰う。
「ありがとね。明日もよろしく」
彼らは遠吠えで返事をして、いずこかへと走って消えていった。
そして私たちはフォアカードへと入り、宿を取った。
§ § § §
「たああああぁぁっ!」
「させるかよっ!」
私の本気の魔法剣がうなり、カナの魔法が火を吹く。
フォアカードに到着した翌朝、私とカナは久しぶりの『組手』をしていた。
やっている事は迷宮最後の戦いと同じ。互いに命がけで本気の闘争。勝ちが決まった方が、多少の無理をしてでも寸止めをする。
「カナ……やっぱりそれ、危ないよ……」
「なぁに、アリサなら平気だろ?」
彼我の距離は五メートル。確かにこの世界で鍛えた私なら、まるで縮地――剣術の極意。目にもとまらぬ早さで、長大な間合いを一瞬で詰める運足。大地が縮んだかのように見える事から、そう呼ばれる技。
その縮地のように、一足で間合いを詰める事も不可能ではないけど……カナの《火球》の射出の方がわずかに早く、その巨大さから、私でも避けきれない。
もしも、私が無理に剣の間合いへ飛び込んだなら、寸止めルールも空しくあの巨大な炎の塊に燃やしつくされて、一巻の終わり。本当に死んでしまう。
カナが空へとかざした手のひらの上には、およそ五メートル……つまり、今の私たちの距離の前後半分程を覆いつくす巨大な球が出来ていた。
小さな《火球》で何度も牽制をしながら、二本の短剣で私の攻撃を凌ぎ、大きく動き回って足で魔法陣を描く。それによって完成したのが、この五メートルもの《火球》だ。
またカナの流れるような足捌きにいいように誘導されて、魔法が出来上がるのを許してしまった。頭を使って追い詰める。そういう戦い方に関しては、私よりカナの方が一枚上手だ。
「それ……流石に私でも死ぬから、降参して……いい?」
「大丈夫だって。アリサなら死にやしねーよ」
「買いかぶり過ぎでしょ……」
そら、というかけ声と共にその殺人魔法が私へと飛んで来る。
斬って捨てられる大きさでもなく、避けようにも大き過ぎて逃げ場がない。
ほんの少しだけ残されている刹那の時間、頭が焼け切れてしまう寸前まで思考を回転させ、大量の剣を無詠唱で出せるだけひねり出す。
私の唯一の魔法、《剣創世》は、頭の中で魔法陣さえ描ければ、魔法陣を描いた数だけ剣を創り出せる。
剣によるバリケード。これを更に大きくした、剣同士が入り組んで格子になった巨大な壁を作り上げる。私の魔力……いや、気力が尽きて倒れそうになるのをぐっとこらえて、網目状に剣を重ねた。
巨大な炎と、剣の壁の激突。
鉄が蒸発する熱気や音と共に、みるみる溶けていく壁。
そのわずかに稼いだ時間で、私は横へと跳ぶ。《火球》の範囲を避けて大きく回り込んで、カナの側面へ。手に持っていた魔法剣をカナへと横薙ぎに振りかぶる。
私の喉元にカナの短剣が、カナの首筋に私の魔法剣がぴたりと止まる。
「今日は引き分けね……」
「ちぇーっ」
二人で同時に剣を収め、その場に座り込む。
「今日は勝てると思ったんだけどなあ……」
「あのね、カナ。あれは本当に死んじゃうから、やめよう? 二メートルのだって、普通の人間なら死んじゃうんだから」
「でも、しっかり止めきってたじゃん」
「あんなの何度も出来ないってば……」
感想戦を話し合っていると、いつの間にか少し遠くで《神盾》の奇跡魔法で身を守りながら、組手を観戦していたジルが口を挟んだ。
「いつもあんな事をしていましたの?」
「三年前までは、大体毎日……ね」
「これでしたら確かに、あの経験値や能力値も納得ですわ……一歩間違えたら死ぬ、殺し合いじゃありませんの」
「出来るだけ寸止めしようってルールよ」
「出来るだけって……」
唖然とするジル。
そこにカナが、助け舟にならない一言を添える。
「アリサならバケモンだから、あんくらいじゃ死なねーよ」
「化けものじゃないってば。ちゃんと普通の人間だから、あんなの食らったら死にますー!」
「多分、死なないと思いますわ。だって、アリサさんってば《竜の吐息》を受けても生きていましたもの。……あの時は、本当に化けものだと思いましたわ」
そういえば、ジルの吐息を受けきった事があったっけ……。
ジルは一万以上の世界を渡っていて、どの世界でも最強クラスだったと、二人旅をしていた時に聞いた。彼女の爪も、牙も、吐息も、どの世界に行っても最大級の威力を持つ。
その息一つで、異界から召喚された勇者を燃やし尽くしたとも語っていた。
物騒な世界ばかり渡り歩いていたんだな、と聞いた時は少し胸が痛くなったけれど、それすら受けきった私は化けものだ……という事らしい。
だけど、あれは純粋に運で、私が化けものだからではない。……多分。
彼女まで私を化けもの扱いする事に、ちょっと腹が立った。
「もうっ! ジルまで……」
私が拳を振り上げると、ジルは両手をかざして身を庇う素振りをする。
ふとその時、ジルが疑問を口にした。
「ところでカナさんは、どうして精霊の祝福を使いませんの?」
「祝福?」
初耳らしく、首を傾げるカナ。私もそんな話は初めて聞いた。
私とカナは顔を見合わせて、目を丸くした後、ジルを見つめる。
「カナさんには精霊の祝福がありますの。まさか……ご存知なかったんですか?」
そうして、ジルは『祝福』について語り始めた。