第百六話 最終ボス
「キィエエッ、グエエエェェェーッ!!!」
怖ろしい奇声をあげる『管理者』――バフォメット。
その声を聞いたカナが、私を制して前に出る。
「ありゃあ、魔族語だ。アタシに任せな」
ただ叫んでいるようにしか聞こえないけれど、これが魔族語?
魔族語というのは、以前退治したゴブリンキングが使っていた言語。
その時に聞いた魔族語と違って、ただの奇声にしか聞こえない。
「本当に魔族語? ゴブリンのとは、全然違う気がするんだけど……」
「日本語だって、地方によって方言があるでしょう? それですわ」
「なるほど……って、えっ? 方言なの!?」
それって、本当に方言でいいのかな?
「……で、なんて言ってるの?」
「挨拶みたいなもの、ですわ」
挨拶にしては凶々しいけど、カナが微笑んでいる事からこのバフォメットは、私たちに敵意はなさそうだ。
それなら、カナに任せてみよう。
やがて、バフォメットとカナの、会話というにはちょっと理解しがたい会話が始まる。謎の奇声で喚き散らすバフォメット。それに対し、カナは小鳥のさえずりのような可愛い声で返答をしている。
カナのこれも方言だとすると、私に魔族語の習得は無理かも知れない。
ジルは、彼女らの交渉を観るのに飽きて、向こう側の壁でうたたねを始めている。私は何を喋っているのか分からないまま、二人……人と数えていいかは謎だけど、二人の会話を聞いていた。
§ § § §
しばらくの後、話が終わったカナが戻ってきた。
流石に最後のボスが、すんなりと宝物庫への道を譲ってくれるとは思えないけど、多少は平和的な解決策を提案してくれたはずだ。
「……で、カナ。どうだったの?」
「ああ、話はついたぜ」
「今回はどんな風に?」
一息ついたカナが私から少し離れて、そして私に向き直る。
腰から二本の短剣を取り出すと、こう言った。
「最後のボスは、アタシだ! さあ……闘ろうぜ、アリサ!」
カナが一気に間合いを詰め、短剣を私の眼前に突き立てる。
私はそれを寸前で躱して、カナに尋ねる。
「ええっ!? ちょっと……それって、どういう事?」
カナが短剣を、激しく何度も突き込んでくる。
短剣を振るいながら、カナは答えた。
「バフォメットは、ああ見えて『非戦闘型』の魔族なんだ。……だから、アタシが代わりに最終ボスになるって話になったんだよ!」
そんな無茶な。
「何それ? そんな理不尽な理由で私、カナと戦わなくちゃいけないの?」
「アタシも、三年振りにアリサと闘りたくなってな! 渡りに船って奴だろ?」
「ええー……」
確かに三年前までは、毎日のように組手をしていた。
それは、カナが倒すべき敵だからではなく、一緒に修行をする友達だから。迷宮の最終ボスとしてのカナと、いがみ合うような戦いはしたくはなかった。
「ちょっと……ジル、助けてよ……」
カナの連撃を避けながら、ジルの助けを呼ぶ。
ジルは、私たちの方をちらりと見るなり、『友達同士のじゃれあい』にでも見えたのか、大きなあくびをしてまた眠ってしまった。
カナは本気だ。その太刀筋から、本気で勝ちに来ているのが分かる。
――仕方がない。私は魔法剣を右手に創り出す。
「《剣創世・刃引き》っ!」
短剣を避けるのではなく受け、押し返す。
当然、カナは魔族の腕力。短剣ですら、押し合いは拮抗する。
この、ひりつくような感覚……三年前を思い出す。
久しぶりに剣を交えるのは嬉しいけど、この戦いは理不尽だ。
「もう……なんでこうなるのよ?」
一際強く力を込めるとカナも応じ、反動で後ろへ大きく退いた。二人同時に受け身を取ると、ふたたび間合いを詰めて剣同士がかち合う。鍔迫り合いになり、私は語りかける。
「……わかった。じゃあ、いつも通りなるべく大怪我はさせない、参ったと言った方が負け。これでいい?」
「りょーかい! でも、手加減なんかすんなよ? いつも通り殺す気で来いよ!」
鍔迫り合いの短剣を一本に減らし、滑らせるように受け流したカナは、円の軌道を描きながら二本目の短剣で切り込んできた。
それを紙一重で躱し、短剣にそらされた魔法剣を立て直す。体を半回転捻って、カナの胴へと斬りつけた。
「あっ……ぶねぇ……!」
カナが叫びながら、横っ飛びで回避する。
「凄えな、アリサ……三年前より強くなってんじゃん」
「カナこそ」
一言ずつ交わすと、また打ち合い、大きく離れる。
何度かそれを繰り返すと、飛び退いたカナが言う。
「さて……と、本気で行くか」
「何、カナ? 今まで小手調べだったの?」
「違ーよ。アタシの魔法陣が完成した……そー言う話だよ」
今までの打ち合い、迫り合い。カナはずっと円運動を描くように動いていた。
アラクネとの戦いで見せた、攻撃を避けながら魔法陣を足で描く技。私も気付かなかった訳じゃないけど、カナの力に押し負けない事に精一杯で、それを止める余裕はなかった。
「やっぱり、作ってたのね」
「流石に、アリサにゃバレてたか……。行くぜ!」
カナが足をとんっと踏み鳴らすと、赤い魔力の線が走って、私たちが今まで鍔迫り合いをしていた場所に、大きな魔法陣が描かれる。
「《炎柱》? それなら一度見たから、当たらない……」
私は飛び退き、魔法陣から十分に距離を取った。
アラクネ戦で見せたあの魔法は、魔法陣の中にいなければ焼かれずに済む。
しかし、カナが作り上げた魔法は、それではなかった。
「いや、《火球》だ。久しぶりだろ、これ」
魔法陣の中から、ニメートル大の《火球》が浮かび上がる。
これを『私が受ける』のは、三年振りだ。
そのニメートルのだって、普通の人間なら当たれば死ぬんだからね、カナ。
遠間でカナが私を指差すと、その指に従って中央の《火球》も飛んでいく。
私に向かって一直線に迫りくるそれを、魔法剣で斬り伏せる。
真っ二つになった《火球》の中から、カナが飛び込んでくる。
ニメートルの《火球》が見せ技って事? 短剣が私の頬をかすめ、互いの体がすれ違う。
「本気なんて言って、それを囮にするなんてね……」
「最後に闘った時の借りは返したぜ?」
ゆっくりと振り返りながら、言葉を交わす。
――私が騎士学校へ旅立った時の組手。
あの時は、私が斬った《火球》をくぐり抜けてカナに迫った。今度はカナが同じ事を私に返した……という訳だ。本当に、負けず嫌いなんだから。
そして、カナはくるくると踊りながら私へ近付いてくる。
一つ、ニつ、三つ……この回転運動が全て魔法陣と考えると、私は……かなりのピンチだ。
ただ回っているように見えて、実は隙がない。
私はただ、完成していく魔法陣を見つめる事しか出来なかった。