第百五話 最下層
扉の先は、どこまでも続く階段だった。
今までの階段の中で一番長かったと思う。ジルが照らすランタンの光を頼りに、真っ暗な階段を慎重に降りていく。
これ以上、階段以外に何もないのではと感じた頃、階下からやっと光が見えてきた。それに合わせて、ジルがランランを《次元収納》へと戻す。
「やっと、次の階層ですわね」
階段の途中ではあるけれど、開けた場所に出る事が出来た。
そこでようやく、階段が崖の側面を掘って作ったものであると分かった。
見えていた光は、ヒカリゴケの薄明かり。
鍾乳石が上下に並び、その全てがヒカリゴケで光っている。そこは、高さが百メートル近くもある広い鍾乳洞になっていた。
階段の一番下まで降りると、人工的に鍾乳石を取り除かれた平地があり、すぐ目の前に鋼の扉がある。鋼の扉は『ボス部屋』の証で、つまり六階層はボス部屋しかない……という事。
その扉は、今までのそれより倍近い大きさがあって、彫られた装飾も仰々しい。まるで、この扉は特別ですよと言わんばかりの荘厳なたたずまいを見せていた。
扉を見て、カナが言う。
「これは……最下層だな。迷宮の一番深いトコだ」
「最下層?」
「ああ、ここが終着点だぜ。多分、扉の向こうには『管理者』……この迷宮の最終ボスがいるぜ?」
最終ボス。つまりは最後の敵。
一体、どんな敵が待っているんだろう。
「きっと、裸の女に獣の足ですわよ」
ジルが予想を立てた。
「今までの階層、全部そうでしたもの。最後はどんな獣かしら……」
「だな。次は、聖女サマくらいの別嬪さんに、とんでもなく気持ち悪い生きモンがついてたりしてな」
「私と比べるのは不本意ですけど、大方そんな感じでしょうね……」
二人はどんな半人半獣が待ち構えているか、どの半獣だったらどう対処するかを話し始めた。最終的には、蓋を開けてみるまでは分からないという結論になって、白熱した議論は終わった。
戦う前から二人共、ぐったりと疲れている。
「とりあえず、ここなら敵も出ないみたいだし、一旦キャンプにしない?」
「賛成ですわ」「賛成ー!」
私の提案に二人が同時に返事をした。
テントを張って、寝袋を用意。三人でご飯を食べる。
今回のご飯は、ラミア達が持たせてくれた三階層のパンの実と野菜。
それと、五階層で倒した蛇肉を焼いたもの。蛇肉はこってりとした鶏のような味で、爬虫類という事だけ我慢すれば、意外に美味しかった。
「こんな所でパンが食べれるなんて、ラミアさんたちのおかげよね」
「そーだよな。今までの疲れも吹っ飛ぶぜ!」
「ふ、ふん……! 意外に役に立つモンスターたちですわね。ちょっとだけなら、褒めてあげてもよろしいですわ」
「もう、素直じゃないんだから……」
「そーだぜ、聖女サマ。せっかく、聖女サマのためにアイツらが用意してくれたんだからさ、素直に受けとっとかねーと」
「きゅう、きゅうっ!」
「アルラウネさんまで……。余計なお世話ですわ……! もうっ!」
なんて話をしながら、扉の前で休養をとった。
ずっと太陽が見えない所にいたから、夜かどうか分からないけど……一晩ぐっすり眠って、全員の体力や魔力も回復。これで、万全の体制でボスと戦える。
§ § § §
翌朝――おそらく多分、翌朝。
三人で相談して、「少しだけ扉を開けて覗いてみよう」という話になった。今までの傾向から、ボスはどんどん大きく強くなっているので、相当大きなボスが待っているだろうと思う。
対策は中のボスを見てから練るという事に。
「いいか? 開けるぞ」
「うん」
「準備は出来てますわ」
「「「せーの……っ!」」」
扉はどういう仕組みか、力を入れなくても簡単に動いた。
大きな鋼という先入観から加減を見誤ってしまい、一息で全開になってしまう。
扉の向こうは、エキドナの部屋よりも更に広大で、天井も高い部屋。壁は全てごつごつとした岩肌だけど、天井と床は磨かれたような平面。奥にはもう一つ、小さな扉がある。
「あれは、宝物庫の扉だ。ボスを倒したら、お待ちかねのお宝だぜ?」
「ねえ……でも、肝心のボスは? ほら、裸の女に獣の……」
「あ、あれをご覧なさいな!」
ジルの声を聞いて、私とカナは彼女の指差す先を見た。
それは部屋の上、天井付近。
それを見た私達は……あまりの事に、その場でへたり込んでしまった。
§ § § §
そこにいたのは、確かに裸の女……だったけれど。
下半身は山羊。
上半身は人間の女性。
……しかし、大きさは人間サイズで頭も山羊。偶蹄目特有のとぼけた顔が常に何かをもぐもぐしている。
そんな山羊そのものが、とても飛べるとは思えない小さな翼でぱたぱた羽ばたいて、私たちの頭上をぐるぐると飛び回っていた。
「違いますわ! 私の想像していたボスと全……っ然、違いますわ!」
ジルが叫ぶ。
「妖艶な笑みを湛えた巨大な美女に、凶悪な獣の脚や尻尾。……この迷宮は、そういうお約束ではありませんでしたの!?」
確かに、私達三人の誰もがそう思っていた。
「それなのに、それなのに……この部屋で待っていたのは、何かをもぐもぐしている山羊さん! こんなの話が違いますわ!!」
「いや、そんなに興奮しなくても……」
私はジルの肩を叩いて、なだめようとした。
確かに思っていたのとは違ったけど、弱そうなボスの方が楽じゃない? ……私が言おうとした時、カナも口を開いた。
カナは真顔で、その魔物の正体を私達に告げる。
「バフォメットだな……」
バフォメット――いわゆる、典型的な『悪魔』
「ほら、アイツも魔族だぜ。角、あんだろ?」
「ありますわね」
「二本角の中位魔族だ。そーなると、多分『管理者』もアイツだぜ?」
そうだ。この迷宮に入ってすぐの頃、カナが教えてくれたんだっけ。魔族が『管理者』をしている……って。そうなると、確かにあの悪魔が『管理者』……つまり、最終ボスという認識で正しいんだと分かる。
その時、私はふと疑問に思った。
私の知識では、あれは『悪魔』であって、カナのような『魔族』とは、少し違う気がする。
「ねえ、カナ。あれって、悪魔……じゃないの?」
「ああ。悪魔だ。……悪そうな魔族。略して『悪魔』だ」
「あ……そういう意味だったの、悪魔って」
「そーだぜ?」
きょとんとしながら言うカナの答えに、私は呆れてしまう。
悪そうな魔族――悪魔って、そんな間抜けな名前の由来だったの?
それはさておき、ようやく私達に気付いたバフォメットが、頭上から降下してきた。彼女でいいのかな、彼女は床面に降り立つと、顎髭に手を当てて私たちを値ぶみする。そして……。
「キィエエッ、グエエエェェェーッ!!!」
凄まじい奇声を上げる。これは、戦闘開始の雄叫び……?
私は急いで剣を創り出し、その山羊頭に向けて構えた。