第百三話 ボスⅤ
ボス部屋にいたのは、ラミアたちが説明した通りの魔物だった。
その大きさは、一番大きかったラミアの更に倍。下半身の長さは二十メートル近くもあり、上半身もセルケトと同じで巨人のよう。
大きな体にコウモリの翼が生えていて、今にも空を飛びそうな姿をしている。
……そんな巨大な怪物が尻尾を丸めて眠っていた。
私たちが部屋に入るとぱちぱちと瞬きをして、その巨体をもたげる。
「冒険者ですか……ここに来れる人間なんて、初めてですね……」
低く響く声。しかし、きちんと女性の声と分かる。
ボスに相応しい迫力のある声だ。
先頭に立つ私へと、鋭く長い爪を突きつける。
「……って、やややっ!?」
次の瞬間、巨大ラミアは激しく驚いて後ろへと飛び退る。
「りゅ、りゅ……『竜神の聖女』さまっ!? こっ……これは失礼致しましたっ!!」
その巨体で、何度も土下座をする巨大ラミア。
彼女が頭を床にぶつけるたびに、大きく床が揺れた。
「一気に緊張感が削げましたわね……」
「そ、そうね……」
私たちは、強大なボスと戦うためにこの部屋に入ったはずだ。けっして、鳴きながら土下座で謝る女の子……子というには大きけれど、を虐めるために来た訳ではない。
「頭を上げて下さいな」
ジルが、巨大ラミアに向かって優しく語りかける。
おそるおそる、頭を上げる巨大ラミア。
「は……はい……」
「私たちは、次の階層に行きたいだけですの。通して下さいますわよね?」
「はい……」
ジルの一声で、すんなり通してくれる事になった。流石は聖女様。
私たちは無用な戦いをせずに、次の階層への扉へと向かった。
「ですが……」
巨大ラミアが言う。
「私の修行の成果を、是非とも聖女さまに見て戴きたくて……」
振り返る私たち。
そして、巨大ラミアはとんでもないお願いをし始めた。
「聖女さまとお手合わせをお願いしたいんですけど……」
お手合わせという事は、一騎打ち。
いくらなんでも、尊敬する人を殺す事はないだろうし、どういう戦いになるんだろう……という好奇心が湧いてしまう。
「無……無理ですわ……。あんな、化け物と一騎打ち? 私を殺す気ですか?」
「でも、ラミアさんたっての希望よ? 叶えてあげなさいよ。どうしてもって時は降参したらいいから」
「だな」
「アリサさんもカナさんも、無責任ですわよー!」
ジルと巨大ラミアが戦う事になった。
§ § § §
この部屋は、一辺が百メートル以上の広さと、数十メートルの高さがあった。巨大ラミアが、どれだけ激しく動いても大丈夫なようになっている設計だ。戦うには広すぎる、といっていい大きさだろう。
中央で対峙しているのは、二十メートル級の巨大ラミアと、それと比べてちっぽけな人間状態のジル。私とジルが戦ったあの夜が重なって見える。今度は、ジルが不利な立場で……。
「ふ……ふん! 仕方ありませんわね……胸を貸して差し上げますわ!」
ジルは胸を張って精一杯強がっているが、足が震えてしまっている。
彼女が錫杖を胸から取り出すと、戦いは始まった。
「では、いきますよ!」
巨大ラミアが、爪を揃えてジルへと突き込む。
それを錫杖で受けるも、力が足りずに後ろへと引きずられるジル。
その瞬間、ジルの体が光ってぴたりと動きが止まる。
「ま……まあ、この程度でしたら、私でも受けられましてよ……」
《竜闘志》――ジルが真竜としての膂力を、わずかの間発揮する技だ。
これなら、あの巨体とも対等に戦える。
右の突きを受けられ、次は左。それもジルが難なく受ける。
幾度となく、突きと受けの応酬が繰り返された。
ジルの速さは私と同等か、それ以上。単調な攻撃は全て受けきってしまう。
「流石、聖女さまです……人間の身で私の爪をここまで受け切ったのは、聖女さまが初めてです」
「そこのアリサさんなら、この程度は余裕で受けてしまいますわ」
「それは凄いですね……。是非とも、あとでお手合わせを……」
戦いながら、不穏な会話をする二人。
……私? 無茶言わないでよ。全然、余裕じゃなかったんだから。
二人の突然の無茶振りに、私は叫ぶ。
「お願いだから、私に飛び火させないでよ!」
「それは残念……」
その後も、二人の突き、受けが繰り返された。
そして、ある瞬間……ジルが吹き飛ばされる。
とうとう、《竜の力》の効果が切れた。
体のいたる所から血がぼたぼたと滴り、錫杖を支えによろよろと起き上がる。
「どうやら、時間切れ……のようですわね」
どこから見ても、ジルの体は満身創痍。
その姿を見て、ラミアは自身の勝利を確信する。
「聖女さま、これで私の勝……」
その言葉をさえぎって、ジルははったりとも取れるような意外な言葉を、ラミアへと叩きつけた。
「でしたら……私の本気、見せて差し上げますわ……」
本気という言葉を聞いて、目を見張るラミア。
彼女はもう既に本気のはずだ、という顔をしている。
「本気? 今まで本気じゃなかったんですか?」
「本気でしたわ……ここからは別の本気、『奥の手』を使いますわ」
そう呟いたジルは胸に手を突っ込み、谷間から何かを取り出した。
手の中に何かを仕込んでいると思った巨大ラミアは、警戒して身を屈める。
「奥の……手……?」
「ええ、本当は……この迷宮を出た時に、豪華なディナーを食べようと思っていましたけれど……。私も死にたくはありませんもの。これを使わせて戴きますわ……!」
手の中の何かを握り潰すジル。同時にジルの体が《竜の力》とは違う光で、淡く光る。
「いきますわよ……!」
ジルの両腕が肥大化し、どすん、どすんと地響きを立てて、床に叩きつけられる。腕から胸、胸から腹へと筋肉の隆起が伝い、それと共に体も巨大化。そこから更に、足へと巨大化は行き渡る。
ラミアの全身よりも大きな尻尾が飛び出し、ラミアの翼がおもちゃに見えてしまう程の翼が左右へと広がる。
首が伸び、同時に顔立ちも真竜のそれになる。
その全身は、広々としたボス部屋が手狭に見えてしまう程の巨大さだ。
「凄い! ……凄いです、流石は聖女さま!」
ラミアは、自分よりも大きな化け物を見て、恐怖を通り越して感激してしまっている。彼女の目指す姿――真竜。ジルはそれになっていた。
「凄ーな……腕だけじゃなかったんだ……」
カナもぼそりと呟く。ジルの正体を初めて見て、全身が震えている。
……ジルがとてつもない存在になった感激と、とても敵わない化け物になった恐怖で。
私も、あの満月の夜を思い出して、恐怖に身震いした。
あの時の全身の痛みが蘇るような気分だ。
そして、ジルが咆哮のような声をあげる。
「これが本物の……竜神の力ですわ。さあ、決着をつけましょう……!」