第百二話 五階層Ⅱ
私たちは急いでジルが連れ去られた部屋へと駆け込んだ。
重い鉄の扉を私とカナが二人がかりで開けると、そこにいたのは沢山の蛇女たち。何十メートル四方もある広々とした部屋に、所狭しとラミアがひしめきあっていた。
そのラミアたちが一斉に平伏して、奥の祭壇に向かって頭を下げていた。その祭壇の上には、何故かジルが座らされている。ジルが無事だったのは良かったけれど、何が起きてこういう事になったのか、私には全く理解が出来なかった。
「ジル……これは、一体……?」
「さあ、私にもさっぱりですわ……」
ラミアたちが頭を上げると、またもジルを取り囲んだ。
「きゃあああっ!」
悲鳴を上げるジル。
いくら正体が真竜の彼女でも、これだけの蛇女に取り囲まれたら、流石に気持ちが悪いだろう。
すると、一番大きなラミアが前に出て、口を開いた。
「聖女さま……」
今、間違いなく、ラミアはジルを『聖女さま』と呼んだ。
もしかして、彼女たちに敵意はない……?
「聖女さま、このような狭苦しい迷宮にまで足を運んで戴いて、本当にありがとうございます!」
聖女であるジルの来訪に感謝の意を述べるラミア。
「私たちラミアは全員、『竜神教』の信徒なんです! 皆、聖女さまを尊敬しています!」
再び平伏する半人半蛇の美女たち。
この魔物たちが全員、『竜神教』の信者?
ジルも、私も、カナも、何がなにやらという状態だ。
「一体どうして、竜神教なんかに……?」
「ちょっと、アリサさん。『なんかに』とは失礼ですわよ!」
「ご……ごめん……」
私がジルに謝ると、ラミアの代表らしき大きな個体が話し始めた。
「私たちはこの通り、半分が蛇の体なんです。ずっとこの見た目のせいで、人間たちから虐げられてきました」
それは想像に難くない。
私たちだって、さっきまでは凶暴な魔物だと思っていた訳だし。
「この子なんかは……」
代表が手招きをすると、首に鎖を付けたラミアがやって来た。彼女が歩く……いや、這うたびに、じゃらじゃらと音が鳴る。
全身が鞭で打たれたような傷痕だらけで、肩には痛々しい奴隷刻印が施されている。それに片目も潰れ、尻尾の先端が千切れてなくなっているという、目を背けたくなるような酷いありさまだった。
「人間の『ゾディアック』という国で、奴隷……どころか家畜として、散々こき使われ、酷い目にあわされて来ました」
彼女の姿から、その光景は容易に想像出来た。
「ですが、逃げた先のサジェスという国で、『竜神教』の人間たちから優しくして貰えたんです。尻尾が竜に似ていて羨ましい、とまで言ってくれる人間もいたとか」
サジェス――ジルが布教をしていた最初の国。
ジルが教えを広めた人たちが、優しい人たちでよかった。
そして、ラミアは自らの胸に手を当て、更に話を続ける。
「私も冒険者に追われ、殺されそうになった時……救ってくれたのは『竜神教』の聖職者だったんです」
最後に、こう締めくくった。
「それに、ここにいる皆もそうです。『竜神教』は私たちにとっての救い、聖女さまは私たちにとって女神にも等しい方なんです!」
頭を下げ直すラミアたち。
ジルは、この褒め殺しのせいで顔が真っ赤になって、うつむいてしまっている。
「そう……。こんなにも私の……いえ、『竜神教』の信者が……。ありがとうございます……」
すると、ジルも手招きをして、奴隷だった少女を呼ぶ。
「私にできるのは、この程度ですが……《再生》」
少女の傷痕が消え、失っていた目や尻尾も綺麗に戻る。
それは、私やカナにも施してくれた魔法。
「女の子が、いつまでもそんな姿では可哀想ですもの」
それを見たラミアたちの、どよめきと歓声が部屋の中に響く。正に聖女の奇跡。傷痕一つない自分の体を確認すると、少女は大粒の涙を流して喜んだ。
「ありがとうございます、ありがとうございます、聖女さま……」
その慈愛に満ちた姿は、少女でなくとも、神々しく輝いてすら見える。
すると、負傷したラミアたちが次々にやって来て……。
「私もお願いします、聖女さま!」
「私も!」
「私も!」
ジルは微笑みながら、その全てを治してあげていた。
ラミアたちの信仰と畏敬の念は、奇跡を間近に見た事によってより深く、より強固なものになった。
少し無粋かもと思ったけど、私はジルに小声で尋ねる。
「……さっきから魔力がもうないって言ってたのに、よく魔力持ったわね……?」
「……この階層に留まっていた信仰心を使わせて戴きましたわ。流石に、ほとんど使い切ってしまいましたけど……」
なるほど。ジルの魔力の源は信仰心。これだけの信者がいるなら、全て治せたとしても、何の不思議もなかった。
§ § § §
それからは、祭壇の上のジルを奉ってのパーティーとなった。
私やカナ、それにアルラウネまで歓迎されている。
三階層で採ってきたと思われる果物、それで作った料理や飲み物が並べられ、『聖女さま』の来訪が祝われた。
ジルもこれには大喜びで、大皿に食らいつく。
「極楽ですわー!」
その歓迎ぶりに、ジルが舌鼓を打ちながら大声で言った。
「ねえ、ジル。仮にも『竜神教』の聖女様が、『極楽』なんて言葉使っていいの? あれって、仏教用語でしょ?」
「構いませんわよ。今日から『竜神教』では、死後に行くのは、極楽と天国、両方ですわ!」
「いいかげんな宗教だなあ……」
「いいんですのよ! だって、私が決めたんですもの!」
聖女さま歓迎会は、この後も長い時間続いた。
§ § § §
「さて、と……」
「どうしましたの? アリサさん」
「ほら、ジルの後ろ。これってあれよね?」
ジルが背中を見ると、そこには見慣れた鋼の扉があった。
間違いなく、『ボス部屋』の扉。
この大部屋は、ボス直前の部屋だったという事。
「そうですわね……ラミアさんたち、この奥にはどんなボスがいますの?」
「えっ……もう『ボス部屋』に向かわれるんですか? もう少しゆっくりしても……」
「そうは行きませんわ。私たち、只今迷宮攻略中ですもの」
ジルの眼差しが、真剣なものに変わる。
「どんなボスですの?」
「はい。私たちラミアの中でも、もっとも信仰心が深い……真竜に近付いたラミアが待っています」
「真竜に近付いた……?」
「はい。『竜神様』への信仰心が一番強くて、本物の竜になりたいと願い続けたラミアです。体も大きく、翼まで生えています」
ラミアのリーダーの説明によると、それは相当な怪物らしい。
その話を聞いて、ジルが指を噛みながら不思議そうな顔をする。
「……いくらなんでも、信仰心だけで竜になる……なんて事はありえませんわ……」
そこにカナが割って入る。
「まあ、戦ってみりゃ分かんだろ」
「そう……ですわね……」
ジルは爪を噛むのをやめて、前を向いた。
「では、行きますわよ! アリサさん、カナさん、アルラウネさん!」
そして、より強い声で宣言する。
「ボス戦の開始……ですわ――!」