第百話 撃破
セルケトとの戦い。
作戦会議が終わった私たちは、部屋の中央へと歩み出る。やはり……大きい。
距離を取ってさえ、人間では敵わないと思わせる大きさだったのに、近くで眺めるとそれが際立って見えた。
「じゃあー、始めますかー」
セルケトの気の抜けた声が開戦の合図だ。
言葉の緩さとは裏腹に、鋭い鋏が私たちを襲う。
――速い!
アラクネの攻撃も速かったけれど、彼女の攻撃はそれに輪をかけて、速い。
カナが、初撃を短剣で弾き返してなんとか凌ぐ。
魔族であるカナですら、弾いた際に腕を大きく跳ね上げてしまう程の超威力。当然、セルケトの鋏も後ろへと弾かれたけれど、体格差を見ると明らかにカナの方が不利。
そして、二撃目。
もう片方の鋏がジルを狙う。
その瞬間、ジルの体が光って、鋏と錫杖が激しくかち合う。
「こんな芸当も出来ますのよ?」
ジルは受けると同時に、自らの体に支援魔法を……いや、そうじゃない。
「《竜闘志》……攻撃力だけ、本来の力に戻す技ですわ」
魔法じゃなくて、力だけ一時的に真竜に戻したって訳ね。
腕を丸々真竜に戻すよりは魔力が要らない、というのが見て取れる。ジル、意外と引き出しが多いなあ……。
そして、錫杖と鋏の間でぎりぎりと競り合う音が鳴り、やがて弾けた。
「凄いですー。『四本角』のカナリア様はともかくー、その小さな体でよく私の鋏を止めれますねー」
「まあ……この体では、本来の十分の一も出せていませんから、褒められてもあまり嬉しくないのですけど……」
「これで十分の一ですかー」
「ですわ」
言葉を交わしながらも、何度も打ち合うジルとセルケト。
逆の鋏では、カナと応戦するのも忘れていない。
あんなに巨大な鋏を止めてしまっている状態で、わずか十分の一。私も、真の姿に戻ったジルの一撃で全身の骨が折れ、激しい打撲の痛みで起き上がるのも困難だった事を思い出した。
二人の後ろに隠れて隙をうかがっている私を見て、セルケトが笑う。
「あらあらー。『剣聖』なのに、後衛なんですかー?」
挑発だ。そんな誘いには乗らず、二人に盾役を任せてじっと待つ。
「『剣聖』と一騎打ちとか、してみたかったんですけどー」
冗談じゃない。出来る事なら、あんな戦いは二度としたくない。
巨大な敵に立ち向かっても、軽い打撲や出血で済んでる『戦隊』って、つくづく物語の中のヒーローなんだなあ……って今更思った。
でも、きっと困ってる人がいたら、勝てないと思っても私は助けに行ってしまうだろう。あの、カナの時のように。
「うふふ……一騎打ちなら、私がもう致しましたわ」
「羨ましーですー」
ここで、ジルがよく分からない自慢をした。
セルケトの上半身は、指を咥えて羨ましがっている。上ではいいなー、なんて言いながらも、下は激しく鋏を振るう。
余裕を見せつつも、中々隙を見せない。これがSランクの実力。
§ § § §
戦いが始まって、五分。
カナもジルも、疲れが見え始めている。
額には汗がにじみ、動きの切れも少しずつ悪くなってきた。
対してセルケトは、顔色一つすら変えていない。手加減こそはしていないはずだけど、その体の大きさ、体力の根本が違う。
「きゃああーっ……!」
とうとう受け切れなくなって、ジルが吹き飛ばされた。
大きな鋏に顎を殴りつけられ、盛大に飛んでいく。
ジルの相手をする必要がなくなった鋏は、そのままカナへと振るわれた。
一本でさえやっとなのに二本目の鋏が来て、対処し切れずにそのまま刺さってしまう。鋏の先端がカナの腹を貫通し、大きな穴を開けた。
「ぐっ……ああっ……!!」
その衝撃だけでも即死してしまいそうな痛みに耐え、むりやり鋏を両手で抑え込むカナ。
鋏を掴まれて動かせなくなった事実に、セルケトは驚きの表情を見せる。
その時、ほんの一瞬だけ彼女に隙が出来た。
「アリサっ……、今だっ……!」
カナが叫ぶ。
本当はカナが心配で仕方がない。けれど、カナが作ってくれたチャンスを逃す訳には行かない。私はカナの叫びに呼応して、高く飛び上がる。
大量の支援魔法がかかっている私の体は、一跳びでセルケトの頭上へと飛んだ。
「うわおー!」
やっぱり気の抜けた喋りは彼女の癖なのだろう。驚いているこの瞬間も、妙に緊張感に欠けた叫び声だった。
「させませんよー!」
カナが掴んでいない方の、それまでカナと戦っていた鋏を私へと突き立てる。
私は、思い切り大斬刀を振り回し、その勢いで体を捻り、鋏をぎりぎりで躱した。私の動きに合わせて、付与された炎が円を描く。
続いて迫ってくるのは、毒針。その巨大過ぎる後部の武器は、地上相手では後ろを向かないと使えない。アラクネの糸攻撃がそうであるのと一緒。
しかし、今回は上からの攻撃。むしろ上の敵に特化されている尻尾が、初めて使われる事になる。
もう一回転――大斬刀を横薙ぎに振って、それも躱す。
「な、なななーっ!」
驚愕に満ちたセルケトの大きな顔が目の前に迫る。
避けた回転をそのまま利用して、力の限りその顔面に叩き込む!
「フレイム大斬刀おおおーぅっ!!」
叫びながら力を込めて、刀身をめり込ませる。
その痛烈な打撃にセルケトの顔がひしゃげる。しかし、それでも戦いをやめようとせず、鋏をがむしゃらに振り回すセルケト。
それなら……とばかりに、セルケトの肩に着地。肩を強く蹴り上げ、もう一度飛び上がって、また顔面へと一撃。回転と落下の力が加わった打撃は、硬い外皮に阻まれているものの、激しい打撃を浴びせる事が出来た。
まだ、彼女は上半身の腕で私を捕らえようとしている。
もう一度、肩に乗って飛び、最後の一撃――。
ようやく、セルケトの巨体は前に向かって崩れ落ちた。
§ § § §
やっとの事でセルケトを倒し、ジルが《治癒》でカナのお腹を治療した。
鋏を抜いたカナのお腹は、正視に耐えない程の酷いありさまだった。血が絶え間なく流れ落ち、ぽっかりと穴があいてしまっている。
そんな酷い状態でも、ジルの魔法はカナをみるみる内に治していく。
「いててて……」
「あんな無茶するからよ! 心配したんだから!」
思わず叫んでしまう。
だってあと少しずれていたら、カナの心臓……魔石に当たって、取り返しがつかない事になっていたんだから。
「無茶してんのはお互いサマだろ?」
「ですわね。アリサさんの戦いで無茶してない事なんて、ありましたっけ?」
カナが言い返し、ジルがカナに合わせて私をからかった。
怒る私をよそに二人が笑う。
そしてこの場に残っているのは、倒れたセルケトの体。
「……死んじゃったのかな?」
おそるおそる覗き込む私。
完全に頭がめちゃくちゃになっていて、どう見ても生きているとは思えない。
「いや、これは擬死行動って奴だ。アラクネもだけど、こいつらは『死んだふり』が得意なんだよ。……ホラ、起きろ!」
そう言いながら、カナが突っ伏しているセルケトの肩を蹴飛ばす。
カナ、ちょっと乱暴過ぎない?
すると、蠍の背中部分がもぞもぞと動き出し、背中がぱっくりと割れる。
そこから少しずつ新しい体が出てきて、一分もしない内に艶々としたセルケトが出現した。
「じゃじゃーん! ふっかーつ!」
気の抜けた声で、私たちに宣言するセルケト。私が壊してしまった顔も元通りだ。敵だけど、あんな目にあわせた事に罪悪感を感じていた私は、少しだけ安心した。
「な?」
な、じゃないよ、カナ。もうちょっと優しく起こしてあげて。
「擬死が出来る魔物は、死んだふりすりゃ何度でも戦えるから、迷宮じゃ重宝されてんだ」
「……あの、カナさん。もし冒険者の『はぎ取り』にあったら、どうしますの?」
カナの説明にジルが尋ねる。はぎ取りとは、倒した魔物を解体して素材を取り出す事。解体されても生きてるなんて事は……ないよね。
「ああ、そん時は本当に死ぬな」
カナの一声に、ジルが笑う。ひょっとして、魔物同士の冗談か何かなの?
セルケトまで楽しそうに笑っている。
「私の場合はー、下から脱皮してこっそり逃げますねー。はぎ取られるのは、抜け殻だけですよー」
「抜け殻だけに抜け目がない、という訳ですわね」
「そうなんですよー。あははー」
今まで命のやり取りをしていた敵同士が、仲良く笑い合っている。
そんな不思議な光景の中、私は本題を切り出した。
「それで、ここは通してくれるの?」
「どうぞ、どうぞー! 文句なしに、私の負けですー」
人間部分の両手をささっと扉へ向けて、その巨体を横へとどかすセルケト。
「私たちの勝ちでしたから、早速はぎ取りを……」
「勘弁してくださいよー」
まあ……たまには、こういう戦いの結末があってもいいかな。




