第九十九話 蠍女
部屋の中央にいる巨大な蠍女――セルケト。
蠍部分だけでも、この階層のどの敵よりも大きく、人間部分は巨人と呼べるような大きさ。彼女にはきっと、私たちが蟻か何かにでも見えている事だろう。
私たちはセルケトに対抗する作戦を、扉の前で話し合っていた。
「今まで私に挑んできた勇者や、アリサさんは……こんな気分でしたのね……」
ジルが生唾を飲み込みながら、私に言う。
「でしょ……? 軽い絶望感あるでしょ?」
「よーく、分かりましたわ……。あの時は、本当にごめんなさい」
「ちょっと……今謝られても、遺言にしか聞こえないから。ここはなんとか、皆で乗りきろう?」
「ですわね」
彼我の圧倒的な戦力差に、私とジルの顔はひきつった笑顔になっている。
もはや、この状況では笑うしか出来る事はない。
それとは別に楽しそうな笑顔を見せているのが、カナだ。
「さあ、どーやって戦おうか?」
カナは始まる前から、勝つつもりでいる。
あの巨大な敵が、立ちはだかる驚異ではなく獲物に見えている。ぺろりと舌なめずりをするカナからは、頼もしさを感じる。一体、カナの自信はどこから来るのだろう。
巨鬼をも軽く凌駕する巨体。鋏に鉤爪、毒針と全身が狂気の塊の……正に怪物と呼ぶに相応しい、凶々しい魔物。
それを目の前にして、怖れず立ち向かえるなんて、カナはなんて強いんだろう。
「カナ……、カナは平気……なの?」
「なーに、アリサがやっつけてくれた熊より、ちょっとデケーだけさ」
熊……私とカナが、初めて一緒に戦った敵だ。
「あん時から、アタシはどんなデケー敵にも、ビビらねーって決めてんだ……」
よく見ると、肩が少しだけ震えている。カナも相当怖いんだろう。
私を不安にさせないため、ずっとやせ我慢をして強がっていたんだ。
私は、思わずカナを抱きしめる。
「いきなり、何すんだよ……アリサ」
「ううん……なんでもない」
カナの震えが止まった。
ありがとう――声には出さず、私はカナからそっと離れた。
「……で、どーする? アタシは聖女サマの、あのでっかくなる腕で、どーにかなると思ってたんだけどな」
「あれは、しばらく使えませんの。先刻申し上げたのは、けっして逃げるための方便ではありませんわ。……でしたら、カナさんの十メートル《火球》や、《炎柱》では?」
「残念だけどよ……セルケトには、中級以下の攻撃魔法が効かねーんだ。『魔法耐性』っつー力があるらしーぜ」
「それは、残念ですわね……」
ジルが私をちらりと見る。
「では、アリサさん。アリサさんの大斬刀や、忍者刀では?」
「大斬刀なんて当たる訳ないじゃない。それに隠れ丸と疾風丸じゃ、傷一つ与えられないと思う……」
確かに大斬刀なら、攻撃は通るかも知れない。けれど、あれは重過ぎて速い相手には当たらない。逆に忍者刀では、巨体を斬るなんて不可能。せいぜい、かすり傷が限度。
「そうだ、アルラウネ! あの子なら……って、あれ?」
アルラウネは、私たちの目の前から姿を消していた。
五階層への扉の前まで移動して、飛び跳ねながら鳴いていた。
「きゅう、きゅう、きゅーう!」
それは、応援している、がんばれと言っているように見える。
どうして一緒に戦ってくれないのだろう。
「ええとですねー、迷宮の決まりで、階層ボス同士は戦っちゃいけないって契約なんですよー! だから、そのアルラウネちゃんはあそこで待機なんですー」
アルラウネが何を叫んでいるのかを、セルケトが通訳してくれた。
つまり、今まで味方として頑張ってくれていたアルラウネは、今回だけは何もしてくれない……という事。
ジルも奥の手が使えない、カナの魔法も駄目、私の剣も効かない。
……そして、アルラウネにも頼れない。
このままでは、私たちはどうあがいても、あのセルケトには太刀打ち出来ない。
「アリサさん……アリサさんの大好きな『戦隊』でしたら、こういう場合はどうしてますの?」
「そこで、『戦隊』を出す? ……まあ、戦隊ロボを呼ぶ……かな」
「あいにくと、戦隊ロボ……なんて都合のよろしいものは、この世界にはありませんわね」
「でしょ?」
全ての手は考え尽くした。
手詰まりかと思えたそんな時、ジルがある事を思いついた。
「魔法ではなく、武器……なら効きますのよね? そうですわ。《武装付与》……あれなら、直接的な魔法ではありませんもの。効くのではなくて?」
「《武装付与》かあ……試してみねー事には、分かんねーな」
《武装付与》――二階層の敵、サハギンが使っていた武器を強化する魔法だ。それで威力を増やして、セルケトに少しでも食らいつくって作戦だろう。
「それに、かけられるだけのバフ……支援魔法をアリサさんにかけて、私とカナさんでセルケトの攻撃を止めつつ、隙を見て……アリサさんが《武装付与》のかかった大斬刀で仕留める……というのは?」
「……それしかなさそーだな」
「わかった」
「こんな奇策、あれだけのモンス……魔物に、二度通じるとは思いませんわ。チャンスはおそらく、一度きり。……覚悟を決めて、やりますわよ」
私たちの作戦は決まった。
二人の支援魔法と、私の大斬刀が鍵になる。
「まー、効かなかったら、素直にごめんなさいして撤退すっか」
「その手がありましたわね。……それ、プランBで」
「『プランビー』?」
「最終手段って意味ですわ」
「なるほど!」
二人共、もう逃げる算段までしている。
逃して貰えればいいのだけど……。
§ § § §
「……もう、作戦は決まりましたー?」
作戦会議をしている間、手持ち無沙汰にしていたセルケトが尋ねてきた。
「ええ、決まったわ!」
「決まりましたわ」
「決まったぜ」
三人で答える。会議が終わるまで待ってくれるなんて、まるで変身が終わるまで待っている戦隊の怪人みたいに親切な魔物だ。
「では、始めますよー。お覚悟はよろしいですかー?」
「ええ。《剣創世・大斬刀》っ!!」
私の叫びに呼応して、手元に巨大な剣が現れる。
「ああ、行くぜ! 《火炎付与》《加速》《力》――!」
「ですわね……《祝福》《武装付与》《神盾》!」
二人が魔法名を詠唱するたびに、私の体が光り、力が湧いてくる。
大斬刀の刀身にも燃えさかる炎が宿った。
「ふむふむ……それは、中々よい戦法ですねー。ですが、私を倒せますかー?」
「やってみなくちゃ、分かんない……でしょ?」
ジルとカナが前、それに守られるようにして私。
その陣形で、セルケトに突進をしかけた。
この階層で最後の戦い。全力全開でやりきってみせる――!