第九十六話 蜘蛛Ⅱ
「うふふ、武器もなくなった今、ワタクシとどう戦うおつもりですか?」
妖艶な笑みを見せる大アラクネ。
人間部分の両腕で、自らの両肩を抱きしめて打ち震えている。
これから『剣聖を狩れる』という、その快感が彼女を身悶えさせていた。
「ねえ……アリサ様……」
大アラクネが、うっとりとした声で私に尋ねた。
挑発するように一本の前肢を私の鼻先へと向けている。
じりじりと間合いを詰めてきて、また壁際へと追いやられる。
こんな状態で、もう一度十二連撃を食らったら、ひとたまりもないだろう。
「では、更に本気で参りますわよ……! 《三連撃》!!」
ちょっと待って……! 《三連撃》?
六本二連の十二じゃなくて、六本三連の十八連撃!?
まさか、そんな事まで出来るの?
私、アリサ・レッドヴァルト。絶体絶命――。
§ § § §
その頃、アルラウネは必死に蜘蛛糸攻撃を受け流していた。
もう壁にぴったりと背中を付けてしまっている。
「ほら、後がありませんわよ!」
アラクネが叫び、お尻を振って大きな蜘蛛の『腹部』を叩きつける。
壁と『腹部』に挟まれて、わずか数十センチの小さな体が押し潰される。
「きゅぅ……」
苦しそうな鳴き声が聞こえた。
ここにいる誰もが、これで終わったと思った。……しかし、アラクネが腹部をどけたその壁には、つぼみのように閉じた花弁に守られた姿が現れた。
アルラウネの花弁は堅牢な盾になっていて、あらゆる攻撃を弾き返す。
その花弁に守られていたため、アルラウネの本体には傷一つ付いていなかったのだ。
アルラウネは花を開くと、蔦を伸ばして反撃に出た。
勝利を確認するために、正面を向いてしまっていたアラクネは、蔦を前肢で防ぐしかない。
こうなってしまうと先刻とは逆で、体の大きさよりも地力が勝敗を決める。
アルラウネは幼生とはいっても、何十人もの冒険者を圧倒出来る魔物。大蜘蛛を瞬時に両断した実力は、間違いなく本物だった。
対してアラクネは、大きさこそ勝るものの、アラクネとしてはまだ成長途中。練度が圧倒的に足りていない。糸で絡め取ろうとしていたのも、正面を切って戦ったら、こうなる事が見えていたからだ。
今度はアラクネが後ろへ、後ろへと下がっていく。
そして、アルラウネはある程度アラクネに防御をさせると、ぴたりと攻撃をやめた。
五本の蔦をバネのようにして、ぴょんっと飛び跳ねてアラクネの頭の上に乗る。アラクネの頭の上で何度かぴょんぴょん跳ね上がるアルラウネ。そこで、アラクネがある事に気付いた。
「……ワタクシの負けですわ」
まだ決着もついていないのに、急に敗北を宣言するアラクネ。
誰もが困惑する中、カナが思い出したように言う。
「あっ……! 『眠り粉』か!」
そう、彼女たちが戦い始めてから三分が経っていた。模擬戦なのと、味方まで寝てしまう事から出していなかったけれど、もし実戦だったらこの時点で決着だ。
きゅうきゅうと鳴きながら、嬉しそうに飛び跳ねるアルラウネの姿がそこにはあった。まずは、アルラウネが一勝。
§ § § §
苦悶の叫びを上げたカナは……というと。
脇腹を深々と刺されて、致命傷かに見えた彼女。しかし……。
「これくらい、大した事ねーな……」
凄く痛そうのなのは間違いないけど、カナは私以上にやせ我慢が得意。
刺さった脚を振り払い、痛みを堪えてまた円運動を始める。
今度は四本全てに注意しているようで、全くアラクネの脚は当たらなくなった。
「くっ……やりますわね……。ですけど……もう、カナリア様の動きは見切りましたわ! これなら……どうです!?」
そう叫ぶと、アラクネは下半身の蜘蛛に加え、上半身の腕でカナを襲う。
アラクネの人間部分の爪は、長く鋭利になっていて、これも武器になる。
これで合わせて六本。しかし、カナはそれすらも華麗に避けて見せ、最後にこう言った。
「アタシがテメーの攻撃を避けるためだけに、くるくる回ってたと思ってたか?」
「え……一体、それはどういう……」
カナが床をどんっと踏みつける。その爪先から、炎のように赤い光の軌跡が、円形状に広がっていく。赤い光――それは空気中の魔力が集まり、放つ光だった。
その軌跡があっという間に床を覆うと、出来上がったのは大きな魔法陣。
「アリサ……アタシ言ったよな?」
私の方をちらりと見る、カナ。
その一言で、私は子供の頃にカナから教わった事を思い出す。
呪文の替わりに、魔法陣に魔力を巡らせる事で魔法を行使する事も出来る。
……カナはただ回っていただけではなく、ずっとその足跡で魔法陣を描いていたのだ。
「あっ……!」
「《炎柱》……」
カナが魔法名を呟くと、魔法陣から円柱状に炎が吹き出した。
直径五メートルを越えるその柱は、アラクネの全身を燃やす。
カナとアラクネの戦いも、これで終焉。
炎が収まると、その中から真っ黒に焦げたアラクネの姿が現れた。
「手加減しといたぜ。ま、死にはしねーだろ」
カナの華麗なる勝利。二勝目。
これで、私たちは『ボス部屋』に行ける事になった。
§ § § §
「まったく……中々、隙を見せやがりませんわね」
脚に跳ね飛ばされて、気絶してジルの負けかと思われていたその勝負。
ジルは、気絶をしていた振りをしてみせただけだった。
本当にずるいんだから。これのどこが『聖女』よ?
何事もなかったかのように起き上がって、法衣についた埃を払う。
「蜘蛛の目で、私の体温や呼吸を見てやがりましたわね……。どうりで、戦闘態勢を崩さない訳ですわ」
「当たり前でしょう? あんな不意打ちを受けた後……ですもの」
アラクネもしたたかだ。
「ですが……起き上がったところで、ただの人間の聖職者に何が出来ますの?」
「そうですわね。人間の聖職者でしたら、何も出来ませんわ。ですが……もう、なりふり構ってはいられませんもの。奥の手を使いますわよ……!」
「奥の手……?」
呆気にとられて動きが止まっているアラクネを横目に、ジルは胸に手を突っ込む。
《次元収納》――ジルの必殺かどうかよく分からない、『必殺魔法』の一つ。胸の谷間を出入り口として、様々な品物を別の次元へと収納する便利魔法だ。その《次元収納》から、何かを取り出した。
おそらく、手の中に収まる程度の大きさの何か。
ジルが力を入れると、ごりっ……という硬いものが潰れるような音がする。それと同時に、ジルの体が淡く光った。
「本当は、使いたくなかったのですけど……」
瞬時にジルの左腕が巨大化し、竜の腕となる。
それを、目の前で何が起こったの全く分らないアラクネに叩きつけた。
アラクネは吹き飛び、壁に叩きつけられて、伸びてしまった。
ジルと違って、今度は本当の気絶。
ジルの勝利だ。……最後まで卑怯だったけど。
「人間の聖職者でしたら、私の負け……でしたわね」




