第九十四話 四階層Ⅱ
それから、しばらくアルラウネの快進撃が続いた。
罠を次々と解除し、襲いくる巨大蜘蛛を蹴散らしていく。
その間、私たちの出番はほとんどなかった。
途中、大量の蜘蛛が所狭しと涌いている大部屋では、流石のアルラウネも蔦だけは対処しきれず、その時はカナがニメートルの《火球》を放って、全ての蜘蛛を燃やして通り抜けた。……勿論、気絶したジルを背負って。
蜘蛛地帯を抜けると、途端に蜘蛛の巣がなくなって、次に現れたのが巨大サソリ。一メートルから、大きいとニメートルはあるサソリが私たちを出迎えた。
「ちょっと、女の子向けとはいえない階層ね……」
「アリサさん。その台詞は、貴女が言うべき台詞ではありませんわ」
「ジル、それってどういう意味?」
「とても女の子向けではない作品を、好んでいらっしゃるではありませんか」
ジルが私をからかう。確かにそれは事実なので、私も返す言葉に詰まってしまった。……だって好きなんだもん。しょうがないじゃない。
「まー、確かに女の子向けの階層……じゃねーな。聖女サマは平気なのか?」
「私が最初にいた世界では、大蜘蛛も大サソリも全部私の餌……いえ、食事でしたわ。洞窟住まいの私には、そういった食事しかなかったものですから」
「マジかよ……。相当食うに困らねえと、蜘蛛とかサソリは食わねーだろ……」
「海老みたいな味がして、結構いけますのよ?」
そういえばジルは真竜。爬虫類だから虫とか食べそうなイメージはあったけど、まさか本当に食べていたなんて。私のジルを見る目が変わってしまいそう。
「アリサさん……なんですの、その目は?」
もう、変わってたみたい。
§ § § §
何本かの回廊といくつかの部屋を抜けて、広めの通路に出る。
横幅だけで、ちょっとした部屋の一辺はあるような広さだ。つまり、この通路には余程の大がかりな罠があるか、大きな敵が出ますよ……と暗示しているという事。
アルラウネに慎重に進むようにと頼むと、彼女も頷いてくれた。
聞き分けがいいなあ、この子。妹に欲しいくらい。
ゆっくりと通路を歩いていると、曲がり角の先から気配がする。私たちは数歩下がって、それぞれの武器を構える。アルラウネも蔦を伸ばして臨戦態勢。
角から出てきた敵は、下半分が数メートルはある巨大な蜘蛛。その頭部の替わりに裸の女がついているという、凶々しい姿の魔物だった。巨大な蜘蛛版アルラウネとでもいうべき異形の怪物。
それが、一体、二体……とやって来て、最後は四体にまで増えた。
その怖ろしい姿に、息を呑む私とジル。
アルラウネが蔦をしならせて攻撃の体勢に入ると、何故かカナが割って入って、それを止めた。
「待て……」
左手でアルラウネを制しながら、カナが言う。
「あれはアラクネだ。魔族領に普通にいる魔物で、アイツらは結構頭がいい。……話が通じるかも知れねーぞ?」
アルラウネに話が通じる訳だから、目の前にいる蜘蛛女――アラクネにも通じるのは、確かに道理だ。ここはカナに任せてみよう。私が視線を向けると、ジルもアルラウネも視線で賛同の意を返してくれた。
カナが一人で角まで歩いて行き、口を開く。
「よう、アラクネども」
カナの口調が乱暴なのは、いつもの事。けれど敵かも知れない相手に、その言葉遣いは……大丈夫なの?
ジルも私と一緒で、慌てた表情をしている。
アルラウネは……暇を持てあまして、その場でくるくると回っていた。楽しそうな笑顔が、この場の緊迫感をぶち壊している。
「あら、カナリア様じゃありませんこと?」
「おー、やっぱテメーらだったか。久しぶりだな!」
「お久しぶりですわ、カナリア様。カナリア様はこんな所で何を?」
雑談が始まった。凄く親しそう。
「アタシは今、冒険者やってて、仲間と一緒に迷宮を攻略中だ。オメーらこそ、こんな迷宮で何やってんだよ?」
「ワタクシたちは、五年前からここで雇われてますの。ご飯とお給料を貰って、冒険者退治をやってますわ。ま……、ここまで来れる冒険者なんて、今まで十人もいませんでしたけど」
「喜べ、アタシたちがその十人目だ」
……懐かしい魔族領の仲間たちとの話は、結構弾んだようだ。しばらく話し込んでからカナが戻ってきた。いい笑顔をしているという事は、サテュロスの時みたいに、すんなり通して貰える雰囲気かな?
「待たせたな。話はついたぜ」
「……で、カナ。どういう話になったの?」
「ああ、久しぶりに逢ったからな……」
私もジルも、そしてアルラウネも、固唾を呑み込んでカナの言葉を待っている。
「闘るかって、話になった」
思わず、ずっこける二人と一体。
とりあえず気を取り直して、カナに聞いてみた。
「なんでそんな話になったのよ?」
「アラクネってのは……この見てくれの通り、大の戦闘狂でな。だから、一対一の模擬戦を四人ずつでやって、半分以上が勝ったらこの先を通してくれる……って話になったんだ」
「……アラクネ相手に模擬戦で済むなら、万々歳ですわね」
模擬戦と聞いて、ジルも賛成している。
ちなみにアルラウネは、訳も分からずはしゃいでいる。何も考えてないようだ。
私たちは、二階層の『大ダコ部屋』と同じような大部屋に案内されて、そこで四体のアラクネと戦う事になった。
大部屋の奥には、鋼の扉が見えている。ボス部屋への扉――つまり彼女たちこそが、この階層で最後の難関だ。
……って、あれ?
「あの……アラクネさん……」
「どうしましたの?」
「なんで、私の目の前にいる一人だけ、一回り大きいのかな……って」
アルラウネが一番小ぶりなアラクネと戦うのは分かる。小ぶりといっても、ニメートル以上あるけど。
ジルとカナも、四メートル近いアラクネと対峙している。これも分かる。
どうして私だけが、五メートル級のアラクネと戦わないといけないんだろう。しかも、このアラクネ……人間部分の体も、遠近感がおかしくなるくらい大きいんだけど。
「あなた……カナリア様のお友達の、アリサ様でしょう?」
「ええ……そうだけど」
「十年以上も前に、四メートルもの熊を一太刀で屠ったり、巨大なキメラを一刀両断にしたとカナリア様からうかがってますわ。そんな猛者に手加減をしては失礼ですもの。リーダーであるワタクシが、直接お相手致しますわ」
そこにジルが割り込んできた。
この一言のせいで、余計に話がややこしくなる。
「アリサさんは世界最強の剣士、『剣聖』でもありますのよ!」
「それはそれは……。では、ワタクシたちだけ、本気で闘り合いましょう。ワタクシを殺してしまっても、構いませんのよ?」
確かに剣を振るのは好きだけど、それは悪者を倒すため。なんでも殺して回るような戦闘狂じゃない。目指しているのは、あくまでもヒーローで、なりたいのは『戦隊』だ。それに、これだけ巨大な蜘蛛となると、ちょっと怖い。
私は、萎縮して肩を縮めながら、大きなアラクネにお願いした。
「あの……模擬戦で、お願います……」
「まったく、勿体ない……。『剣聖』と戦えるチャンスなんて、一生に一度あるかないか。魔物冥利につきる最高の戦いですのに……」
そこに、ジルが一言。
「彼女は伝説の真竜を倒した、『ドラゴンスレイヤー』でもありますのよ! 私、その瞬間を見てましたもの!」
ああ、もうジルってば、余計な事を!
途端に大アラクネの目つきが変わる。完全に私を殺す気満々の目だ。
「では、参りますわよ! 『剣聖』アリサ・レッドヴァルト様!!」
――私だけが命がけの戦いの、その火蓋が切って落とされた。