第九十三話 四階層Ⅰ
私たちは小さなアルラウネの案内で、透明な道の上を歩いている。
足元を見ると、遥か下方に一面の緑が広がっている。ここから落ちたら、ただでは済まないだろう。そう思うと身震いしてしまう程の高さだ。
しばらく進むと、階層を囲む岩肌の一角に穴が見えてくる。
多分、これが四階層への入り口だろう。
小さなアルラウネとは、ここでお別れ……と思ったら、そうでもなかった。
アルラウネは、私たちが穴に入って、そこから続く階段を降りている間も、先陣を切っていた。
§ § § §
幾重にも折れ曲がった長い階段を降りると、ようやく四階層に到着。
そこは薄暗い回廊で、それまでの洞窟、石レンガ、森、その全てと違って赤い土レンガで出来た場所で、天井の角には蜘蛛の巣が張っていた。
「きゅう、きゅう……」
アルラウネが、蔦で回廊の奥をちょんちょんと指すと、前進を始める。
後ろも確かめずに進む姿は、来ないなら置いていく……と言っているよう。
「ついて来い……って言ってるの?」
「そうですわね」
「とにかく、行ってみよーぜ」
私たち三人は、アルラウネの後をついて行く事にした。
進めば進む程、蜘蛛の巣が増えていく。
そんな事は意に介さず進むアルラウネ。私たちは、迷わず前進するアルラウネの後を追うしかなかった。
この子を無視して、別の道を行ってもいいはずなんだけど……それでは流石に良心が痛む。こんな小さな子を一人だけ置きざりにするなんて、どう考えても可哀想過ぎた。
カナやジルも同じ考えみたいで、黙ってアルラウネの後ろを歩いている。
「きゅうぅ……」
アルラウネが一声鳴くと、ぴたりと足……ではなく『根』を止めた。
そのままゆっくりと、蔦だけ前方へ伸ばしていく。
「どうしたの?」
私が尋ねると、伸びた蔦が数メートル先の床を叩き始めた。
いくつかのレンガを叩くと、大きな音が鳴って落とし穴が現れる。アルラウネは私たちに振り向くと、頭を差し出してきた。
「これって、褒めてって言ってるのよね?」
「おそらく……」
「なでてやれば、いーんじゃね?」
アルラウネの頭をなでると、きゅうきゅうと鳴いて喜んだ。
無邪気な子供みたいで可愛らしい。
通路の端を伝って、落とし穴を避けて通る。
また数十メートル先に落とし穴。これも、アルラウネが発見。なでてやると喜んで、また先を行く。
「ねえ、これって……」
「便利ですから、よろしいのではありません?」
「迷宮の醍醐味が、なくなっちまうな……」
私たちのパーティで罠発見といったら、カナ。カナの仕事が、アルラウネによって奪われていた。カナ曰く、迷宮の醍醐味は、自分たちで罠を見つけて外す事らしい。それを、先程まで敵だった相手に教えられてる訳だから……。
「ネタバレもいいところ……ですわね」
ジルも、カナと同じような事を言う。
しかも全ての罠を力技ではなく、慎重な操作で解除していくのだから、カナの面子は丸つぶれだった。……まあ、カナは面子とか、小さい事を気にする子ではないけれど。
結局、落とし穴に、押し潰してくる天井、飛んでくる槍束。それに、閉じ込められる壁や、毒を噴き出す装置まで全部、アルラウネが解除していった。
「可愛らしいのに、優秀過ぎますわね……」
きゅうきゅうと鳴きながら、私たちの前を這う姿に感心するジル。
私も、ただ驚く事しか出来なかった。
§ § § §
ある程度回廊を進むと、ようやくこの階層の敵が現れた。
一メートルはあるような大きな蜘蛛。模様が派手な事から、おそらくは毒蜘蛛だと思う。
「お出ましだぜ!」
カナの声に、私は剣を創り、ジルは錫杖を取り出す。
さあ、来い! そう思った矢先……。
びゅっと風を切る音が聞こえ、この薄暗さの中、目で追うのがやっとの何かが動く。すると、数メートル先にいた毒蜘蛛は……真っ二つになっていた。何が起きたのか理解し切れず、目をこする私とジル。カナも唖然としている。
その後も同じような蜘蛛が数匹出て来たものの、それらも小気味よい音が聞こえるたび、見事に両断されていった。
そして、私たちに向かって振り返るアルラウネ。
なでて欲しそうに頭を差し出している。
「そういえば、そうでしたわね……。成体があの能力ですもの、幼体でもそうなりますわね」
「うん」
「ああ……」
あまりの出来事に、茫然自失となった私たち。
アルラウネはぴょんぴょんと飛んで、なでてくれと主張していた。
§ § § §
「げげげっ……!」
久しぶりに聞いた、ジルの呻き声。
聖女らしくない下品な声を上げたジルに、私は尋ねる。
「何が、『げげげ』なの?」
「今、千里眼で蜘蛛のステータスを調べたのですけど……」
ステータス――数値化した能力。
ジルは《千里眼》の魔法で、相手の能力を見る事が出来る。……でも、死んだ相手の能力まで見れるというのは初耳。
「この蜘蛛、Bランクモンスターですわ」
Bランク。
この世界の魔物は伝説級を除くと、FからAまでランク付けがされていて、上から二番目という事。
でも、単純にBと聞いたただけでは、すぐには分からない。
「それって、どれくらい?」
「一階層にコモドドラゴンがいましたでしょう?」
「いわたね、コモドドラゴン」
そこにすかざず、カナが訂正を入れる。
この世界では名前が違う。
「地竜、な。」
「そいつらと同等のHPを持っていますわ。あ……ええと、HPはタフさとか、生命力、耐久力という意味ですわ」
「どんだけぶん殴られても死なないか……ってコトか」
「そう、それですわ! コモド……地竜クラスのタフさがありますの!」
ジルが興奮しているけど、どうも私には理解が出来ない。
蜘蛛が強いと何がいけないんだろう。
「それの何が不味いの?」
「あれを一撃、でしたのよ……この子は」
ジルがアルラウネに視線を移す。
当の彼女は、飛び跳ねながら無邪気にはしゃいでいる。
「それって、ひょっとして……」
「ええ……今、私たちの中で一番強いのは……この子かも知れませんわ」
「マジかよ……」
背筋に冷たいものが走り、冷や汗が頬を伝う。
「まさか……ね……?」
「アリサさんなら一発でお陀仏。カナさんでも、一撃で腕の一本は覚悟しないと……」
「とんでもねーな……」
「うん。機嫌を損ねないようにしないと、ね……」
私たちは、目の前にいる小さな怪物に恐怖を感じた。
もし、敵に回したら……。考えただけでも、怖ろしい。
とても迷宮の醍醐味、なんて言っていられる場合ではなかった。