第九十二話 妖花
……既に私は限界だった。目が霞み、全身の力が抜けていく。
横を見るとカナに続いて、ジルも眠ってしまっている。ここで私まで倒れたら、この戦いは私たちの敗北で終了だ。
外で待機している別のアルラウネに私たちは運ばれ、村へと戻されてしまう。私たちに出来る事は全てやった。一步足りなかったでは済まされない。今、この時を逃したら、何度挑戦したってこの階層から出る事は敵わない。
何度も膝が折れそうになり、それを剣で支えて立ち上がる。
そうやって上下する私の体を見て、アルラウネはまだ何かを呟いている。
ふと周囲を見渡すと、私の目には倒れているカナとジル、そしてあるものが目に映った。
――これだ!
私が杖替わりにしていた剣。これを振り上げた。
支えを失った私は、体がぐらりと崩れて片膝になってしまう。そして、その姿勢によってあらわになった、私自身の太ももにこの剣を……全力で突き刺す!
「ぐっ……ああぁ……っ!!」
叫びが漏れてしまう程の、激しい痛み。
刺した部分が熱を持ち、ずきずきという疼きが足から全身へと広がる。
荒くなる息。それでも、眠気は一発で醒めた。
「これで、仕切り直しよ……!」
こんな私の奇行を見て、目を見開くアルラウネ。私は、その驚愕した瞬間を見逃さずに、一步を踏み込む。ありえないといった表情が見て取れる中、もう一本、魔法剣を創り出して、それを魔物へと突き立てる。
ほんの一瞬、わずかな差で剣が弾き返されてしまい、ふりだしに戻る。それでも諦めずもう一回、更にもう一回。何度でもアルラウネに向けて、剣を振り下ろした。足の痛みで万全には動けないし、カナの魔法も切れている。
それでも、眠気に負けて鈍った剣よりは、しっかりと振れていた。……十、二十。数えるだけの余裕はない。右上段から、左上段から、繰り返し何度もアルラウネに向けて剣を振り続けた。
「……ゲン……ヤ……コ……」
彼女の呟きは、もう私の耳には届かない。
更に速く、もっと速く。ただ彼女を斬りつけるだけだ。これから先、私の剣速は上がる事はあっても、落ちる事は絶対にない。
「ニン……バン……ワイ……」
そして、剣がアルラウネの眼前まで迫った瞬間――。
§ § § §
……二本目の蔦。
それが私の魔法剣を弾き飛ばした。剣が手から離れ、後ろへと飛んでいく。
そう、アルラウネはこれまで、何本もある蔦のたった一本だけを使っていた。いわば、手加減をしていた状態だ。
少しだけ本気になった彼女が、私の剣を弾くなんて造作もない事だった。
それでも、諦めなんて感じている暇はない。もう一本、剣を創り出してそれを振るう。元のポジションへと戻っていた一本目の蔦が、これも弾き飛ばした。
何本でも創り、それが何本も後ろへと弾け飛ぶ。
次々と年輪へ刺さっていく魔法剣。
それまで、私の攻撃を受けるだけだった彼女の手……いや、蔦が滑って、私の頬を切り裂いてしまった。何故なのか、申し訳なさそうな、謝るような顔でアルラウネは私を見つめた。
命がけの戦いに手加減をされ、憐れみの目まで向けられて。
上位の魔物と、ただの人間の差を見せつけられても、私は引く訳にはいかない。
この迷宮を突破して、カナを奴隷から解放するんだ――!
ぶっつけ本番だけど……ジルに提案した作戦。
それを今、使う時だ。
「《剣創世・忍刀》――隠れ丸、疾風丸!」
忍刀――それは短めの日本刀で、軽く小回りの利く刀剣だ。
隠れ丸、疾風丸、いずれも『忍者の戦隊』に出て来た、戦隊の武器。
それを両手に発現させる。
しっかりと二つの刀を握り、交互に斬りつける。
通常の《剣創世》による魔法剣とは違う、素速い振りを実現したその二振りは、アルラウネの触手を払いのけてしまう程の速さを持っていた。それまで払われていた私が、今度は彼女の蔦を払っている。
二本の蔦だけでは足りなくなった彼女の下半身から、一本、また一本と蔦が増えていく。それに合わせて、私の振りも速くなる。やがて、全ての蔦を出し切らせた。これが彼女の本気。
でも、私は既に……本気以上だ。
そして、ようやく彼女の心臓――魔石の場所へと届き、忍刀を突き立てようとした……その瞬間。
「ニンゲン……ヤバン……コワイ……」
間近になった彼女の口から、はっきりとその言葉が聞こえた。
――人間、野蛮、怖い。
彼女はずっと、冒険者ではなく人間に対する恐怖と戦っていた――?
一階層のサテュロスも、二階層の人魚も戦いを好まず、この迷宮の奥に安住の地を求めていただけ。つまり、彼女――アルラウネもそうだった。
その瞬間、私の剣が止まり、彼女の顔が間近に迫った。胸の上わずか数センチの距離で、ただ怖がっているだけの彼女を殺してしまわずに済んだ。
「もう、私たちはこれ以上、あなたに危害を加えないから……」
私が刀を収めると、彼女も蔦を下ろした。
「私はただ、この先の階層に行きたいだけなの。……お願い」
「……ウン……」
私が彼女の心を知る事が出来たように、彼女も私の心を分かってくれたようだ。
こうして、私たちの戦いは終わった。
§ § § §
ジルとカナを起こして、まずは私の足を治して貰う。
「……馬鹿ですか、貴女は!」
ジルが呆れながら、《治癒》の奇跡魔法で出血を防ぎつつ剣を引き抜いた。
太ももに深々と刺さっている剣を引き抜くのは、かなり痛い。
「いたっ……! もうちょっと優しく治してよ」
「自業自得ですわ!」
ジルは頬をふくらませて、私にお説教を始めた。勝てたからいーじゃねーか、とカナが言ってくれたおかげで、ジルのお説教は短くて済んだけど。
私の足が治ると、アルラウネの代表が水平に指を差す。その先をよく眺めると、視界の先で何かが光った。
そこに向かって別のアルラウネが一体、ぴょんと飛び出した。三、四十センチ程度の大きさの、可愛らしい幼生のアルラウネだ。その子は、代表が示してる方向へちょこちょこと走っていくと、そこから勢いよく飛び降りた。
……はずが、空中で止まっている。どころかその場でぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねている。
小さなアルラウネが跳ぶたびに、何かがきらりと光る。それは、見えない糸で編まれた網のようなもの、その網で出来た空中通路だった。
小さなアルラウネがこっちへ来いと手招きする。
人間の言葉が苦手なようで、きゅう、きゅうとかわいい鳴き声を上げながら、私たちを呼んでいる。
「あれが、四階層へ続く通路ね……」
「だな」
「ですわ」
私たちは代表に軽くお礼を告げた。その愛くるしい顔で微笑む代表。
そして小さなアルラウネの案内で、次の階層へと向かった。




