第八十二話 二階層Ⅲ
「もうっ……! 一体、何匹出てくんのよ!」
思わず私は叫んでいた。
サハギンの部屋を出ると、長い通路になっていて、そこを進んで出てきたのが、サメ、サメ、サメ。逆さまのサメが、これでもかという程に現れる。
それも、いっぺんに何匹も出てくるのではなくて、一匹倒して少し進んだらもう一匹、倒して進んだらもう一匹……という、いやらしい現れ方だった。一番最初に倒して対処法は憶えたといっても、流石にこの数は辛い。
「最早、サメ自体がトラップ……罠と化してますわね」
ジルも私と同意見のようだ。
「……アリサさんを疲弊させる罠ですわ」
そう、ジルやカナが手を下す必要がない。口を開いて飛び込んできたところに、私がウォールランで壁を駆け抜け、その無防備な顔面を一刀両断するだけ。
やる事自体は簡単だけど、壁を走るのには助走と踏み込み、それに間合いや到達点を測る必要があって、それが何度も……となると相当疲れてしまう。
何より、同じ魔物ばかりを相手にしていると、精神的に『くる』ものがある。
以前、三千人の兵士たちと戦った時もそうだった。倒しても倒しても次々と襲ってくる男たちは、体もだけど、心が折れそうになる程疲れた。
長い一本道を、数えるのも嫌な数のサメが現れた。
さながら、サメのわんこそばのよう。
「じゃあ、次はジルがお願い……」
「私、アリサさんのように壁を走るなんて器用な真似は出来ませんわ」
「えー……やっぱり私? カナぁ……」
「アタシの短剣じゃ、致命傷は与えれねーしな。アリサ、任せた!」
どうやら、疲れるのは私の役目らしい。
§ § § §
長い通路を渡りきって、ようやく二部屋目に到着。
カナとジルが重い鉄扉を開けると、中にいたのは何やら巨大な生き物。
最初、一体何を見ているのか全く理解出来なくて、何度も見返した。
人間は自分の常識で測れないものを見ると、頭が考える事をやめてしまうという。今の私が正にそれだった。
もう一度、じっくりと見つめ直して、その生き物を観察する。
二つの大きな黒い目と、ひょっとこのお面ような口。……それは、天井付近まで埋めつくすような大きなタコの顔。その顔の下からは、八本の太くて長い触手が出ていて、うねうねと不気味にうごめいている。
これがタコの顔なら、あの特徴的な丸い頭は一体どこに……というと、天井より上に頭がすっぽりと隠れている。天井が水だからこそ存在しうる、常識外れの巨大な敵だった。
おそらく、本体の大きさだけでも、二十メートル以上。
「巨大蛸だ……。デケーな、こいつは……」
カナも目を丸くしている。
本来の姿に戻りさえすれば、あれと同等かもっと大きいはずのジルも声を失っていた。ぽかんと口を開けたまま、立ち止まってしまっている。
多分私も、さっきまではあんな姿だったんだろう。
私が部屋の中に一步踏み込むと、もの凄い勢いで触手が伸びて……いや、飛んできて私の足を掴む。本体の大きさに気を取られている隙に、触手の攻撃を許してしまっていた。
吸盤が私の片足に吸いつき、触手の先が絡んでくる。そして、猛烈な力で引っ張られて、私は転ばされた。
片足にねっとりと絡みついたまま、足首から太ももへと這い上がってくる触手。ぬめぬめとした感触が、私の背筋に怖気を走らせる。太ももをなで回すように巻きついてくるのが、本当に気持ち悪い。
その触手は、私の足を絡め取るために這い上がりながらも、徐々に本体へと私を引きずり込もうとする。たこ焼きとかは大好物だけど、私が食べられる側になるなんて、たまったものじゃない。
「助けてえっ……!」
今の私は、叫ぶ事しか出来なかった。足を這い回る触手のおぞましい感触、食べられてしまうかもしれない恐怖、転ばされてしまっている不利な状況から、とても剣を振るえる状態ではなかった。
「アリサっ!」
カナが部屋に飛び込むと、私を捕まえている触手を短剣で滅多切りにする。触手自体が太いので傷をつける程度に留まっていたけど、ある程度の傷をつけたところで、魔族の豪腕で力任せに引っこ抜いてくれた。
ぶちっという嫌な音を立てて、引きちぎれる触手。
部屋の外へと引っぱり出され、私はやっと自由に動けるようになった。
……しかし、私の足に絡みついた大ダコの触手は、千切れた後も私の太ももを這いずり回っている。嫌だ、本当に気持ち悪い。
「アリサ、熱いかも知れねーけど、ガマンな? 《火球》……」
「痛っ……!」
カナが触手を焼き落としてくれた。あの気色悪い感触に比べたら、火傷の方が何倍もましだった。そこに、ジルが聖句を唱える。
「《治癒》」
これで私の足は、すっかり元通りになった。
「ですが、どうしましょう? あんな気持ちの悪い魔物、私は嫌ですわ。ここで迷宮攻略を諦めて引き返す……というのは?」
ジルが撤退を提案する。私もそれに賛同しかけたその瞬間、カナが何かをひらめいたように言う。
「待ちな……アタシにいい考えがあるぜ」
§ § § §
カナの『いい考え』は、触手の届くぎりぎりの距離で、少しずつ触手を切って減らすというもの。流石、カナ。これなら安全に、あの大ダコの戦力を削れる。
……と思った矢先。
「アリサさん、カナさん! ……あれをご覧なさい! 先程切った足が……復活していますわ!」
「畜生、『再生』持ちかよ……」
再生……小さい頃、私とカナが戦ったクリスタル・キメラ。あれと同じ能力。
それでは、いくら切ってもすぐに元に戻ってしまう。
「やはり、ここは撤退……」
呟くジル。
ここで諦めるしか、手段はないの?
「そうだ! アリサ……ちょこっとだけ聖女サマのコト、守れるか?」
「何か考えがあるの、カナ」
「ああ。とっておきの奴だ。ちょっぴり時間稼ぎが必要だけどな」
私はカナを信じて、全てを任せる事にした。
何をするかは分からないけど。
私が縦に頷くと、すぐにカナは触手の届かないぎりぎり、扉の手前まで進んで呪文を唱え始める。手のひらを上にかざすと、小さな《火球》が手の先に現れた。
そして、長い呪文がカナの口から紡がれていき、それが完成に近付くたびに《火球》が大きくなっていく。
カナは旅の途中で見せた、あれをやるつもりだ。
上が壁ではなく、水だからこそ出来る荒業。水面をじゅうじゅうと蒸発させながら、炎が次第に大きくなっていく。
やがて、通路の幅いっぱいの巨大な《火球》が完成した。
これなら、大ダコも一撃だ。
……でも、なんでジルの事を護る必要が?
「あ……カナさん、それ……」
そう言うとジルが倒れた。
そうだ。これって、周囲の『魔素』を使い尽くす魔法だ。
大ダコの触手が、部屋の中に向かって倒れてしまったジルに絡みつき、意識のない彼女を引きずっていこうとした。ずるずると音を立てて、吸い込まれてく。
私の役目は、このジルを救出する事だった。
「《剣創世》っ……!」
強く唱えて、切れ味が最大の剣を創り、ジルに吸い付く触手を斬り落とす。私に迫ってくる別の触手も斬り払うと、慌てて部屋の外へと脱出。
「《火球》!」
私がジルを連れて退避したのを確認すると、カナは《火球》を部屋の奥、大ダコの本体へと撃ち込んだ。
――響く轟音と、大爆発。
爆風が部屋の外にまで吹き込んでくる。
風圧だけでも、その《火球》の凄まじさが推し量れる。
やがて、魚介類の焼けるいい匂いがして、部屋の中を覗いてみると真っ赤な焼きダコが出来上がっていた。
カナ、お手柄!
見事にカナが、大ダコを撃破した。