第七十九話 ボスⅠ
私たちは両開きの重い扉を、三人がかりで開いた。
その扉は頑丈な鋼で出来ており、この奥に潜む敵の存在がどれ程危険なのかを、それだけでも十分に推し量る事が出来た。
鈍い音を立てて開いた扉の向こうには、今までにない光景が広がっていた。
――地底湖。
この迷宮は炭鉱のような洞窟から始まり、危険な罠が待つ石レンガ造りの迷路へと続いた。そうして最後にたどり着いたのが、上から棘状の石がびっしりと生えた鍾乳洞。
その奥で、深いブルーに煌めく地底湖が私たちを待ち構えていた。
「神秘的ー……」
「ですわね……」
「だが、気をつけろよ。ここは『ボス部屋』だぜ?」
見惚れてしまう程の絶景に一瞬我を忘れてしまったけど、ここは迷宮の中。しかもすぐ先には、階層を守護する敵が待ち構えているはずだ。
私は既に消えていた魔法剣を再び創り出し、ジルも錫杖を前へと構え直した。
警戒しながらカナを先頭に前へ前へと進んでいくと、いくつもの気配を感じた。やや背の低い何かが、鍾乳石の陰から陰へ隠れては顔を出している。
やがて、それをはっきりと視認出来た瞬間にジルが叫んだ。
「あれは、サテュロス! 半人半獣の魔物ですわ!」
「半人半獣……狼男みたいな?」
「それとは別ですわね。上半身が人間で、下半身が獣の魔物の事ですわ」
「あー……そういう魔物ね」
私が剣を構え直して臨戦態勢を取ると、カナがそれを手で静止する。
「どうしたの、カナ」
「サテュロスなら、ただの魔物じゃねーぞ。魔族だ。ひょっとしたら、話が通じるかも知れねーな」
「本当?」
「ああ、マジだぜ。ちょっと行ってくらあ」
カナは、すたすたと歩いて『ボス』らしき魔物……サテュロスの下へと向かった。私たちもカナに続いて、おそるおそる近付いていく。
ひょっこりと岩の陰から顔を出したのは、愛くるしい見た目の裸の少女だった。頭には山羊の角が生え、腰から下も山羊のそれになっている。その背中には、小さいながらも魔法の武器と思われる弓矢を背負っていた。
カナが言うには魔物ではなく、魔族。
でも、裸って……魔族の女性は、みんなカナみたいに裸でも気にしない種族なんだろうか。カナに、恥ずかしいから胸を隠せと言ったあの日の私の方が、非常識な事を言ってしまったようで恥ずかしくなってきた。
そして、数匹……数人? のサテュロスが現れ、カナの方へと駆け寄る。
走るのではなく、ぴょんぴょんと岩場を山羊の足で器用に飛び越えてやってきた。
「あら、お久しぶりですわね。カナリア様」
「おう、おめーらだったか。元気か?」
「元気ですわあ!」
どうやら、カナの知り合いだった……らしい。
カナリアは、カナの本名だ。
私とジルは『カナ』ってあだ名で呼ぶけど、私たち以外のカナを知る人は当然、本名で呼ぶ。レッドヴァルトにいた頃は、オヤジさんも『カナリアちゃん』って言っていた。
「カナリア様は一体どうして、こんな所にいらっしゃったのです?」
「ああ……冒険者になってな。で、迷宮攻略って訳よ」
サテュロスのリーダーらしき少女とカナ、二人で会話が弾んでいる。
迷宮の中で世間話を始める冒険者と敵対魔族。
その姿は、後ろから見ていると凄く奇妙な絵面に見える。
ジルも呆れを通り越して、口を開けたまま唖然としてしまっている。
「あれは……一体、どういう事……ですの?」
「あー、うん。カナは魔族の中ではお偉いさんって話だから、多分知り合い……だったんじゃない?」
「そういえば、『元』四本角でしたわね……」
私とジルが、状況を把握するためにいくつかの言葉を交わしていると、カナたちの方でも同じく角の話題が出てきた。そういえば、魔族は角の数で偉さが決まるって話だけど、今の角を失くしたカナはどういう扱いになるんだろう?
「カナリア様……その頭……角は、角はどうなされたのです?」
「ああ、ちょっとな……。人間に捕まっちまって、奴隷にされてたんだ」
カナの言葉を聞いて、サテュロスたちの目が吊り上がり、恨みの炎が瞳の奥に灯った。その念の強さは、少し遠くから見ている私にも伝わってきた。
あの時カナが奴隷商に売られているのを見て、私だって怒ったんだから。
「カナリア様を捕らえ……あまつさえ、奴隷に……ですって? 人間どもおっ! 絶対に許しませんわあ! 皆殺しですわあ! 戦争ですわあ!!」
リーダーの声に感化され、戦争、戦争、と叫び出すサテュロスたち。
それを、どうどうと両手のひらでなだめ、カナは言った。
「いや、大した事ねーって。見てのとーり、アタシは無事だろ? ……それに、ヘマしたおかげで大事な親友に逢えて、今はそいつと一緒に旅してるんだ。だから、結果オーライって奴さ!」
カナが親指を立てて、私を指す。
「こいつらに助けられたんだ。こいつらだって人間……だろ?」
カナに促され、サテュロスが一斉に私たちを見た。
「それに、せっかく人間との和平がなったっつーのに、アタシのせいでまた争いに……なんて事になったら、寝覚めが悪ーだろうがよ。……だから、な?」
にっこりと笑うカナ。奴隷にされていた時は辛かったはずなのに、自分の事よりも和平を気にするなんて……。その気持ちが通じたのか、サテュロスたちはしゅんとしながらも、悲しげな顔で聞き分けてくれた。
「カナリア様がおっしゃるのでしたら……仕方ありませんわあ」
「すまねーな」
「いえいえ、私たちこそ申し訳ありませんわあ!」
先日のゴブリンもそうだったけど、魔物や魔族は礼儀作法が日本に近いみたい。彼女らはカナにぺこぺこと頭を下げていた。
§ § § §
「話はついたぜ」
カナが戻ってきた。
「こいつらが戦闘なしで、次の階層まで連れてってくれるってさ」
「それは重畳ですわ! あんな数の弓矢でちまちま撃たれたら、私たちも無傷では済みませんもの。MPの節約にもなりますわ!」
ジルが手放しで喜んでいる。確かに、こんな隠れやすい岩だらけの場所で、あの数の矢を一斉に放たれたら……と考えると、私もぞっとする。
……けど、私……この階層で一回も戦ってない!
私が活躍出来るのは、次の階層までおあずけか……。
そう考えていると、私たちはサテュロスに神輿のように担がれ運ばれていた。
彼女らが目指す先は、地底湖。
その手前に着くと、彼女らは私たちを湖に投げ入れた――!