第七十七話 迷宮Ⅲ
コモドドラゴン……この世界での呼び名は『地竜』
その地竜をやり過ごした私たちは、部屋の向こう側から延びている通路に出て、更に迷宮の奥へと進んだ。
「ねえ、ジル。なんで《解毒》の魔法を飛ばしてたの?」
「ああ、あれですわね。アリサさんはご存知ありませんの?」
「何が?」
「近年、コモドドラゴンは毒を持っている事が判明したのですわ。あれに噛まれたら、大きな水牛ですら簡単に死に至ってしまいますのよ?」
あんな巨大なトカゲが毒まで持っているなんて。近付かなければ危険はないと知っていても、私の背筋に少し冷たいものが走った。
「結構、危ないのね」
「ええ。それだけではありませんわ。あの巨体で時速二十キロで走り、その爪は人間の肉など簡単に引き裂きますの。それに、雌だけで子供を産む事まで出来るんですのよ」
力説するジル。
「悔しいですけど、ドラゴンと呼ばれるのも納得の生き物ですわ……」
ジルは、本当に悔しそうに指を噛んだ。
自らが真竜であるはずのジルが、トカゲをドラゴンと認めるのは凄い事だと思う。コモド……地竜、恐るべし。
それと、実は前の部屋で、私にはもう一つの疑問があった。
今度はジルにではなく、カナに。
「そういえばさ、カナ。さっき、『管理者』って言ってたじゃない?」
「ああ」
「『管理者』って、何?」
単刀直入に聞いた。その言葉を使ったという事は、間違いなくカナは『管理者』とは何かを知っている。カナは頬を照れくさそうにかくと、『管理者』について教えてくれた。
「長くなっけど、いいか? ……アリサは昔、人間と魔族がいがみあってたって話は知ってるよな?」
「私のひいお祖父様が、和平を取りつけたってあれね」
「ああ……。で、昔はもーそりゃ酷い憎まれようで、悪い事があったらなんでも『魔族のせい』にされてたんだよ」
魔族のせい。確かに、地球でも『なんでも魔女のせい』にされた時代があって、魔女狩りが横行していたって世界史で習った。それと同じ事だとは思うけど、地球との違いは『本当に魔族が存在する事』……つまり、向ける矛先があるって事。
そう考えると、この問題は深刻そうだ。
「まー、飢饉に干魃、それに疫病、隣の爺さんが発作で死んだのまで魔族のせいにされてた……って訳よ」
それは酷い。
もし地球だったら、『ポストが赤いのも魔族のせい』と言われかねない。
「それでだ、魔族はどーしたかっつうと、人間の怒りを別のもんに押し付けよう……って、そー言う事になったんだよ。それが迷宮。魔物をやっつけて、宝を手に入れる。そーすりゃ、人間の丁度いい捌け口になるだろ?」
「要は、態のいい『ストレス解消』ですわね」
ジルが日本語で説明を加えた。
「『ストレスカイショー』? ってのはよく分かんねーけど、そーする事で和平前の魔族は、人間の逆恨みから身を守ってたって訳だ」
カナはいつも通り、頭の後ろで手を組んで笑いかける。
「だから、この大陸の迷宮は魔族が管理してて、全部の迷宮に魔族の『管理者』がいるんだぜ? 全部の森に『狩猟者』がいるようにな。人間が適度に危険を楽しめるように、『管理者』が調整してるんだよ」
魔族も大変だなあ……。
「つー事で、一部屋目から竜ってのは、『管理者』が手え抜いたか、体調不良とかで問題が起きたか……って思ったんだよ」
「へえ……」
カナの口から聞かされる事実に、私は驚かされっぱなしだ。
そんなカナの話にジルが口を挟む。
「しかし、この世界では魔族が迷宮管理をしているんですのね……。異界の英雄譚とは大分違いますわね」
「『ラノベ』……ってなんだ?」
「……なんでもありませんわ。とにかく、私の異世界の常識では、迷宮には必ずダンジョンコアというアイテムがあって、そのアイテムの魔力が無尽蔵に魔物を吐き出しますの。お宝もダンジョンコアが生成しますのよ?」
「そういや、聖女サマは異世界から来たんだっけ? けったいな話だな。それに、ダンジョンコア? ……そんな便利なもんがあったら、魔族も苦労してねーよ。こっちじゃ、足りなくなった魔物や宝は夜中にこっそり魔族領から運んでんだぜ?」
「それは……ご苦労な事ですわね」
魔族が夜中にこっそり運ぶと聞かされて、私はもう一度驚いたけど、ジルは呆れていた。
§ § § §
雑談をしながら何本かの分かれ道を抜け、私たちは次の部屋に到着した。
途中、行き止まりに当たって逆戻りなんかもしたけど、なんとか広い場所にたどり着いた。
そこでは、宝箱を手に入れたらしい冒険者パーティと出逢った。
どうもその宝箱で困っているらしい。
部屋の中には、彼らが倒したと思われる角オオカミの死骸が転がっている。角オオカミは『赤の森』と魔族領だけに生息する魔物。これらもきっと、『夜中にこっそり運ばれた魔物』なんだろう。
「どうしたんですか?」
私は彼らに声をかけた。
すると、パーティのリーダーらしき鎧の戦士が、お手上げといった仕草で両手を上げながら、気の抜けた声で返事をよこす。
「ああ、実はこの宝箱が開かなくてな……それに罠があるかも知れないんだが、生憎と俺たちのパーティには『鍵開け師』がいなくてな」
「あ、アタシ開けれるぜ。……これでも『狩猟者』だからな!」
カナが横から覗き込んで言った。
その声を聞いて、戦士の顔がぱあっと明るくなる。
「本当か! 『狩猟者』なら安心だ。宝の一割をやるから、開けてくれないか?」
「一割か……乗った!」
あっという間に交渉が成立して、カナが宝箱を受け取る。
見た目はいかにもな宝箱。大きさは入り口で遭遇したスライムと同程度。
中身は少なそうだし、罠をしかけるにも箱自体が小さい。それでも、カナは真剣にさまざまな方向に回して眺めたり、色々な個所を触って確かめていた。
カナは大雑把……というイメージがある私には、こんな繊細な作業をしているカナは初めてだった。
「カナ……本当に大丈夫?」
「ああ。一応、『狩猟者』だぜ? こんな宝箱はお手のものって奴だ。……ほら、そんな事言ってる間に罠を見っけたぜ。小さなクロスボウがしかけてあって、箱を開けたら毒矢が飛んでくる……ってありがちな罠だな」
本当に罠を見つけてしまったカナ、凄い。
「……で、ここをこうして……っと」
バキっという乱雑に開ける……壊す音が聞こえた。
宝箱の錠前を、カナが捻り潰していた。
角を失ったとはいえ、カナは魔族。人間とは比べ物にならない豪腕を持っている。その魔族の腕力で力任せに錠前を壊してしまった。
「カ……カナ? 壊してない?」
「こっちの方が、早ーんだよ」
にっこりと私に笑顔を向けるカナ。大雑把過ぎるよ。
「よっと!」
無造作に蓋を開けるカナ。……罠、まだ解除してないよね?
予想通りにカナに向かって小さな毒矢が飛んできた。
しかし、その矢はカナに当ると折れてしまった。
「魔族に普通の武器はきかねーんだよ。な、これなら簡単だろ?」
微笑むカナに、私は呆れてしまった。
さっきまで緻密に調べていた時間は、一体なんだったのよ……?
§ § § §
宝箱の中には、いくつかの宝石が入っていた。
その宝石の金額をジルが《千里眼》で査定して、一割相当の金銭を受け取る。
そして、冒険者たちは帰路に就き、私たちは更に奥へと向かった。
それにしても、カナ……大雑把過ぎ。