第七十六話 迷宮Ⅱ
最初の分かれ道。
かすかに声が聞こえる右を選ぶべきか、気配のない左を選ぶべきか。
カナもジルも微笑みながら私の判断を待っている。――あ、これは二人共、どっちが正解か知っているな……間違いなく、私がどっちを選ぶかを待っている表情。
つまり私は今、リーダーとしての資質を二人に試されている。
「えっと……じゃあ、右……」
「そちらで、よろしいんですの?」
外れですわ、と言いたげな声でジルが聞いてくる。
そうなると正解は……。
「それじゃ、左――」
「えっ……そっちかよ……」
今度はカナ。
外れ? こっちも外れなの?
「じゃあ、どっちを選べばいいのよ……」
不安になって二人に聞いてしまう私。
二人の肩が震えている。これって、道も決められない私に失望したから?
……違う。
この光景、以前どこかで見たような……。
そうだ、生まれ変わる時の女神様の態度だ。
それに私が気付いたと同時に、二人は笑い出す。
お腹を押さえて笑いを堪えられなくなっているジルと、声に出して笑うカナ。
からかわれた!
「あーもう、意地悪っ! 二人共、人が悪いよ!」
「だって……アリサさんの反応が面白くて……」
「すまん、すまん。見てて楽しくて、つい……な?」
「……それで、どっちが正解なのよ」
迷宮の事を知っていた二人なら、正解を知っているはず。
本当の正解ルートはどっち?
「さあ?」
「わっかんねー」
素っ気ない答えを返す二人。
「どちらが正しいかなんて、行ってみるまで分からない……それが、迷宮の醍醐味ですわ」
「……だな。だから、アリサに任せるんだぜ?」
私の頭は余計に混乱した。
選択肢を一つ間違えたら死。そんな瀬戸際の場面で、どうして二人はこんな余裕な顔をしていられるんだろう。
「だって、間違った道を選んだら私たち死んじゃって、スライムのご飯になっちゃうんだよ……責任重大じゃない……」
それまでの重圧と二人の態度から、堪え切れずに涙があふれた。
その涙を見て、私をなだめる二人。
「何を仰ってますの? 最強の真竜を倒したアリサさんが、迷宮の敵ごときに負ける筈がないでしょう?」
「そんな身構えなくても、いーんだぜ? 気楽にいこーぜ。気楽に……」
「ばか……二人のばか……」
拭っても拭っても、また零れ出る涙。
「ちょっとからかい過ぎましたわ……。『剣聖』とは言っても、アリサさんも女の子でしたわね……」
「ほんと、悪かったって! ……な?」
私が落ち着くのに要した時間は、十分以上。
まだ入ったばかりの最初の分かれ道で、こんなに時間を使ってしまった。
――私たちの迷宮攻略は、前途多難だった。
§ § § §
「結局、どっちが正しいの?」
「ですから、アリサさんのお決めになった道が正解ですわ。私たちは、例えそれが困難な道でも、行き止まりでも恨みませんわよ?」
「まー、そー言うもんさ。アリサはいつも通り自信を持って、好きな方選びゃいいんだよ」
「そういう事なら……右。声が聞こえるから……右、でいいよね?」
二人は小さく頷いて、私の決めた道へと向かう。
ここからが、本当の迷宮の始まりだ。
ジルはランタンのシャッターを少し下ろし、光量を絞った。
いつの間にか錫杖も取り出している。
カナは二本の短剣を構える。
先日、夜の森で梟熊と戦った時に造ったものだ。魔族の《剣創造》は人間の造るそれと違って、効果時間が長時間持続する。
子供の頃、カナから聞いた話だと、人間は十分も持てば上出来だけど、上級魔族のそれは百年持つとの事。効果時間の桁がいくつも違っていて、とてもびっくりした記憶がある。
私も、右手に魔法の長剣を創り出し、構えた。
「声がしている訳ですから、私たちみたいに雑談をしながら……という可能性もありますけど、戦闘中か……それとも、人間の声に似せた罠の場合もありますわ」
ジルが真剣な顔になって、囁くような小さな声で言った。
「ああ。十中八九、戦闘中と見た方がいーな」
とは、カナの弁。カナも声を抑えている。
警戒しながら慎重な足取りで、洞窟らしいうねった通路を進む。
通路はやがて開けた場所へと繋がり、奥から叫ぶ声と一緒に剣や魔法が弾ける音も聞こえてきた。
扉こそないものの、部屋と呼ぶのに相応しい大きな空間。
その部屋の奥では、私たちよりも先に突入したと思われる冒険者パーティが、魔物と戦っていた。
ジルがランタンのシャッターを上げ、魔物を照らす。
すると、カナが叫んだ。
「地竜! 畜生、最初の部屋からドラゴンとか、この迷宮の管理者は一体、何やってやがんだ!」
天井が三メートル程度しかないこの場所で竜?
小型の飛竜でも、こんな低い天井には入りきるはずがないのに。
私とジルは、カナの声に驚いて魔物の方を見る――。
§ § § §
「あ、うん……。確かにドラゴンね……」
「ですわね……」
私も、そしてジルも呆れ果てていた。
そこにいたのは魔物でもなんでもなく、地球でも有名な動物――。
コモドオオトカゲ。通称『コモドドラゴン』
それが数匹。
冒険者たちと戦っている。
「何ボーっとしてんだ、強敵だぞ!」
カナが私たちを叱責する。
先行の冒険者パーティも苦戦を強いられていて、今にも撤退しそうな勢いになっている。確かに、三、四メートルもあるトカゲは強い。
……ただしそれは、こちらから手を出してしまった場合。
コモドドラゴンは人間に無関心だから、そっと横切れば次の部屋に行ける。
私とジルの二人は、ここを忍び足で通り過ぎようとした。
しかしカナだけは違って、私たちに向かい叫んでいる。
「地竜だぞ! こいつら倒したら……アタシたち、ドラゴンスレイヤーになれるんだぞ。やっちまおーぜ!」
「えー……放っとこうよ……」
「流石に、それでドラゴンスレイヤーを名乗られたら、たまったものではありませんわ……」
「二人共、ノリが悪いな……。一体どうしちまったんだ?」
カナにとっては竜でも、私たちにとっては……ねえ?
私はジルと顔を見合わせた後、カナを説得する。
「こっちから手出ししなければ、お腹でも減ってない限り襲ってこないわよ」
「カナさん……。あれは、ただのでっかいトカゲですわ……。倒してもドラゴンスレイヤーにはなれませんのよ……」
「マジかよ……」
私たち三人はそっと冒険者たちの脇を抜けて、次の通路へと向かった。
最後にジルが、部屋を出る前に《治癒》と《解毒》の奇跡魔法を彼らに放ち、勝てそうにないなら撤退をお奨めしますわ、とアドバイスをしていた。




