第七十五話 迷宮Ⅰ
私たちは残り少ない旅費で料金を支払い、迷宮行きの馬車に乗った。
乗客は私たちを含めて、冒険者パーティが三組。あわせて十人以上の冒険者が乗っている。
ジャッカ領は、その収益の六割以上が迷宮によって賄われているという事で、迷宮への交通手段が充実していた。冒険者の出入りが激しいコバック村からは、毎日何本もの定期便が出ている。
馬車に揺られる事、丸一日。
目的地までは、一度も盗賊に襲われる事なく安全に到着した。屈強の冒険者を十人以上も乗せた馬車を襲うなんて、そんな酔狂な盗賊は一人もいなかったようだ。激しく揺れてお尻が痛かった事以外は、拍子抜けする程簡単だった。
私たちは入り口の手前で降ろされ、馬車は村へと帰っていく。
そこは、低い山の麓で洞穴が空いており、いくつもの太い木材によって入り口が補強がされている場所だった。
ここが迷宮――。
カナたちの説明によると、中は複雑な迷路になっていて、それが何階層にも連なり、強力な魔物や危険な罠が沢山待ち構えているという。冒険者たちは魔物の素材や魔石、それに迷路の奥深くに眠る財宝を手に入れるのが目的だとか。
そう聞くと、今まで地道にやってきた迷子の猫探しや、ネズミ退治、薬草集めといった仕事と比べて、『冒険者』という言葉に相応しい『冒険』をしているという気になる。
辺りを見渡すと、一緒に来た二組はすぐに入るような事はしないで、装備の確認や、探索の計画を相談している。他の村や街から来ている何組かの冒険者たちも、そのように準備を始めていた。
テントを広げているパーティも何組かいる。彼らは十分に英気を養ってから挑むつもりだろう。ここはピクニック感覚で来ていいような場所ではないから、当然といえば当然かも知れない。
……なんて思っていると、馬車とは別の方向から来た小さな子供たちが、木の棒を片手に次々と迷宮に入っていく。
その面影は小さい頃、森で稽古をする私に重なって見えた。
「カ……カナ……。あれって……」
「近くの街に住んでるガキどもだな」
「ガキどもって……あんな小さい子たちだよ? 危なくない?」
上は十二歳前後、下はどう見ても五、六歳……私の妹くらいの年齢にしか見えない。強力な魔物がいて、危険な罠があるというのに一体どうして。
「大丈夫だろ。アタシたちだって六つの頃には『赤の森』を駆け回ってたろ」
大した事ではないといった顔でカナが笑う。
私は日頃から鍛えていたし、カナは魔物以上に強い四本角の魔族だから六歳でも平気だったけど……。
「本当に? どう見ても普通の子にしか見えないよ?」
「大丈夫、大丈夫。入ってみりゃ分かるさ」
随分と楽観的なカナに不安を感じながら、私たちも迷宮の中へと入る事にした。
§ § § §
中は、いかにも洞窟といった薄暗い通路が広がっていて、じめじめとした湿気を帯び、不穏な空気が漂う危険そうな場所だった。入り口こそ外からの光が届いているけど、少し奥に入ると完全に真っ暗になる。
その入り口から数メートル。まだ、顔を確認出来る明るさが残っている場所に、複数の人影が見える。
あれは子供たち……と、何か。
三、四十センチ程度の大きさの、巨大な水まんじゅう……?
ぷるぷるとした物体で、それに漫画のような可愛らしい目と口が付いている。
それが沢山跳ねている。
あれは魔物……なのかな?
「スライムだ」
カナが言う。
「迷宮で一番弱い雑魚だ。ガキでも倒せるんだぜ?」
雑魚……たしかに見た目も可愛いし、強そうには見えない。
震えるか、這いずるか、跳ねるかしかしていないから、大した危険もなさそう。むしろ、ゼリーみたいで美味しそうにすら思えてしまう。
「……あーやって、スライムを倒して魔石を持って帰ると金になるから、迷宮の近くじゃ食いっぱぐれるガキがいねーって訳さ。ガキどもの大事な資金源なんだぜ?」
子供たちを見ると、スライムと呼ばれた魔物を棒でつついて破裂させている。
水風船のように破れたスライムの中から、小さな魔石が現れる。
それを一人につき何個か集めると、子供たちは満足そうな笑顔で迷宮から出ていった。
完全にピクニック気分だった。
「な、大丈夫だったろ?」
「……うん」
もう、私には入り口の時点で未知の世界。
唖然とする私の足元に、柔らかい何かがぶつかってきた。
下を確認すると、跳ねたスライムが私の足に当たっている。当たっては落ちてひしゃげ、また跳んで当たっては落ちるを繰り返している。見た目の可愛さから、じゃれついているように見える。
「……これ、何?」
私は跳ねるスライムを指差して、カナに尋ねた。
「スライムの攻撃だ。意外と好戦的な奴らなんだぜ?」
「へー……」
戦っている、というよりは遊んでいるようにしか見えない。
そこにジルが一言付け加えた。
「どうせ倒しても経験値一点にしかなりませんわ。無視しましょう」
経験値……以前、能力値というのを確認された時に、そんな言葉が出ていた。確か、魔物を倒せば倒す程経験値が手に入って、その分強くなれるとか。
その経験値が一点。一点と言うからには、きっとそれが一番少ない点数なんだと思う。たった一点のスライムをわざわざ倒しても、今の私やカナが強くなる訳じゃないから無意味……という事みたい。
「でもな……スライムってのは、実はやべーんだぜ。死んだ魔物とか冒険者とか、溶かして食っちまう。だから、迷宮の中はいつでも綺麗なのさ。沢山の死体が転がってるはずなのに、そんなもん、どこにも見えねーだろ?」
「うん……。でも、溶かして食べちゃうの? ……私も?」
「ああ、ここで死んだら……の話だけどな。まー、こいつらは迷宮の掃除屋ってトコだ」
「へー」
見た目に反して、意外と危ない魔物だった。
スライムのご飯になるのは御免だから、気を引きしめて探索をしないと。
……スライムを見つめながら考える私に、ジルが言う。
「先へ進みましょう。もっと強い魔物やお宝がありますわよ」
ジルがランタンを胸から取り出し、火を灯す。そして、ランタンのシャッターを適度に開くと周囲が明るく照らされた。本当に《次元収納》って便利だなあ……ランタンとか、どう考えても胸に挟める大きさじゃないよね。
明かりによって照らされた通路は、まっすぐ奥に伸びている。ここの天井は三メートルと高めで、頭がぶつかる心配はなさそう。私は緊張しながら、少しずつ慎重に歩を進める。
しかし、緊張する私とは逆に、カナはピクニック感覚で大股に歩き、ジルはくるくると踊りながら進んでいる。……ってジル、なんで踊ってるの!?
「ああ……この空気、最高ですわ!」
「えー……じめじめしてて、あんまりいい空気じゃないと思うんだけど……」
「何を仰いますの! 『魔素』……この迷宮には『魔素』が充満していますわ!」
深呼吸するジル。
彼女にとって『魔素』は生命線。それが充満しているなら、確かにいい空気だというのは納得出来なくもない。
「マナ……? ああ、ここらへんの魔力か。狭い場所に沢山魔物がいるからな。……そりゃ魔力も充満するだろ。迷宮の魔力が嬉しいなんて、聖女サマも変わった聖女サマだな」
カナがくすりと笑い、その可愛らしい笑顔がランタンの光に照らされた。
§ § § §
――しばらく通路を進むと、道が二手に分かれている。
右からはかすかに別の冒険者たちの声が聞こえてくる。左からの気配はない。この迷宮は、ジャッカ領の『名物』だから、入り口付近ならきっと踏破されつくしている。
そうなると、前の冒険者パーティが正しい順路を歩いているはず。つまり、声が聞こえてくる方が正解だと思う。
「どうしましょう……どちらに行きます?」
足を止めてランタンで軽く左右を照らすと、ジルが私に尋ねた。
ジルだって、声が聞こえる方が正解だって分かってるはずなのに。まさか、この気配がひっかけ問題か何かで、正しいと思った方が間違ってるとか……?
「なんで私に聞くのよ?」
不安になった私は、ジルに聞き返した。
一万年以上も生きているジルが、迷宮初心者の私に聞く必要はないはず。
本当にどうして……。
「……それは、アリサさんがリーダーだからですわ!」
「そーだぜ、リーダー」
リーダー?
一体、どうして私がリーダーに……。
「いつの間に私がリーダーになったのよ」
「どう見てもリーダーの風格ですもの。それに『戦隊のレッド』なんでしょう?」
「だな。……『センタイノレッド』ってのはよく分かんねーけど!」
ジルもカナも適当な事を言って、私にリーダー役を押しつけている。
どうやら今回の迷宮探索は、私が道を決めないといけないらしい。さて、どちらに進むべきだろう……。
三人の命がかかった大事な決断、責任重大だ。