第七十二話 魔力薬
村に帰り着く頃には、アミちゃんはカナの背中で泣き疲れて眠っていた。
私たちは静かに孤児院に戻り、アミちゃんを彼女のベッドに寝かせた。
部屋に戻った私とカナは、それぞれのベッドに入って語り合う。
「今日のはちょっとヤバかったな」
「そうよね……。でも、梟熊はカナ、気付いてたんじゃない?」
「気配の数は分かるけど、流石にデカさまでは分かんねーよ。あんなデケーのが出るとは思わなかったぜ……」
それまでは出てこなかった魔物。それは、ゾディアック帝国のせい。
私は、カナに『狩猟者』たちが狩られて、大半の森でいなくなっている事を話した。
「なるほどな。ま、ありがとな、アリサ。また、借りが出来ちまったな」
「もう、カナ。私たちの間で『貸し借り』は無し……でしょ?」
「ああ、そーだったな……」
おやすみ、と挨拶を交わし合って眠りに就く。
§ § § §
――夜更け。夜明けにはまだ早い深夜。
カナがベッドを抜けて、また部屋を出ようとしていた。
私が追おうとすると、カナがこちらを向いて小声で囁く。
「……大した用事じゃねーから、アリサは寝てな」
「……本当? また、危ない事しない?」
「大丈夫だ。いーから、寝てな」
渋々、カナに従ってベッドに寝転がる。
言われたからといって、すぐに寝付ける訳でもなく目が冴えていた。
数分後、夜の静寂に紛れて、ごりごりという何か硬いものをすり潰すような、削るような音と、小さく押さえているけれど、間違いなくカナの呻きと分かる声が聞こえて来る。
カナ、大丈夫と言っていたけど、本当に大丈夫なのかな……?
心配だけど……カナの強い瞳を信じて、私は無理にでも眠りに就こうとした。
§ § § §
心配ながらも、私がやっと眠りに就いたその翌朝。
「……一体、どうしましたの? カナさん」
「聖女サマ……これ、使ってくれよ。夕べ狩った魔物の角を砕いた粉だ。……ちょっと夜中に出かける用事があってな……そこで狩ったんだ」
カナは、小さな布に包んだ何かをジルに手渡す。
ジルが包みを開けると、きらきらと淡い光を放つ粉末が現れた。
魔物……?
夕べ倒した魔物は、梟熊だったはず。
あの熊には爪や牙はあっても、角はなかった。
私が疑問に思っていると、ジルが粉末を包み直して言った。
「『魔物の角』……ですか。そうですわね、強力なモン……魔物でしたら、マジック・ポーションの材料になりますわね。では、少し調べさせて貰いますね」
部屋に備え付けられた小さなテーブルに、その包みを置くジル。
「あっ……いえ、カナさんの事を信じていない訳ではありませんの。ちょっとだけ、どれ程のM……魔力を内包しているか、鑑定するだけですわ」
調べる、という言葉がカナを信用していない……と聞こえるかも知れない事に気遣って、ジルは言葉を付け加えた。
「では、参りますわ。――《竜の千里眼・能力値》!」
ジルが、彼女の言う『必殺魔法』を唱える。この世界には存在しない、異世界の真竜だけが使える強力な魔法だ。
ジルの瞳が輝き、粉末を照らす。
「ふむふむ……これは、かなりのMP……魔力を秘めてますわね。これでしたら、上質なマジック・ポーションが作れますわ」
いつもの瞳に戻って、にこやかに微笑むジル。
材料として合格である事を聞いて、ほっと胸をなでおろすカナ。
「ですが……カナさん。こういう事はもう、これっきりにして戴けませんこと?」
「何のコトだ?」
「しらばっくれても、無駄ですわ。……私の《竜の千里眼・能力値》は、鑑定した人物、生物、アイテムの全てのステータス……情報を見る事が出来ますの」
ジルは、包みをカナの胸に突きつけて言う。
「これは、ただの『魔物の角』……などではなく、『魔族の角』ですわ。カナさん……貴女、ご自分の角を削りましたわね? その、折り取られた角の根元を……」
「いや……それは、その……」
返答に困ってしどろもどろになったカナを、不意にジルが抱きしめる。
抱きしめて、頭をそっと包みこみながら優しくなでた。
「聖女サマ、何を……?」
「『何を』……は、私の言葉ですわ。こんな無茶をして……」
その言葉にはっとして、私はカナの頭を見つめる。
ただでさえ根元しか残っていない四つの角、その一ヶ所がいびつに欠けていた。
「カナっ……あなた、なんて事を……っ!」
私の口から、カナを責める言葉が突いて出てしまう。
……『こんな無茶をして』……ジルだけでなく、私も言いたい言葉だった。
「魔族の角は痛みに敏感ですのに、相当に痛かったでしょう……」
ジルは悲しげな表情を見せると、その削れた跡に手をかざす。
「《治癒》……角本体こそは戻りませんけど、これで痛みは無くなったでしょう……?」
「あ、ホントだ。痛くなくなった……」
「貴女って魔族は……。貴女もアリサさんに負けず劣らずのお人好し……ですわね」
削り取った角が戻る事はないから……と、やむなくそれでポーションを作るジル。そのポーション作成の間、私はカナにお説教をした。
本当はどれだけ褒めても褒め足りない善行だけど、こんな自己犠牲は絶対に駄目。厳しく叱っておいた。
一時間後――。
ジルは完成したポーション、『マジック・ポーション』を飲む。
「……力がみなぎりますわ! これで、どんな病気でも治せますわよ!」
カナの両手を握り、感謝の言葉を告げる。
「ありがとうございます。カナさん!」
少し赤くなって、カナはえへへと可愛らしく照れた。
その可愛らしさに、ジルも私も顔がほころんだ。
§ § § §
「《病巣治癒》――!」
ジルの手のひらから放たれた柔らかな光りに包まれ、シスターの熱が引いていき、苦しんでいた表情がやわらいでいく。
そして、とぎれとぎれだった息は静かな寝息へと変わった。
「肺炎……でしたわね。あと一日遅かったら危ない所でしたわ。……ですが、これでもう安心ですわ!」
悲しみの涙が喜びの涙に変わって、号泣しながらジルに抱きつく子供たち。
口々に、聖女さまありがとう、お姉ちゃんありがとう、とお礼を言いながら泣いている。
「今回の功労者は、私ではなく、彼女……カナさんですわ。カナさんに『ありがとう』って言ってあげて下さいな」
「「「ありがとう、カナおねえちゃん!」」」
純真な感謝に、再び頬を赤らめて照れるカナ。
子供たちも、そのはにかみ笑顔に連られて笑顔になった。
「悪くねーな、こーゆーのも!」
「でしょう? ですから聖職者はやめられませんのよ。……さて、今回の本当の目的を果たしますわよ……!」
ジルは手招きでアミちゃんを呼んだ。
「アミさん、目はまだ見えています? おかしな事や、急に見え辛くなったとかは、ありません?」
アミちゃんの瞼を弄りながら、さまざまな角度から彼女の目を観察するジル。その姿は、まるで転んだ子供を心配する母親のよう。
「大丈夫よ、お姉さん。お姉さんと……『龍神様』のおかげで、見えてるから」
「では、念のため……《軽癒》――!」
アミちゃんの目に手をかざして、魔法を唱えるジル。
シスターを治した魔法よりは小さく穏やかな光が、アミちゃんの目の周りを包む。
「《軽癒》ですわ。かかり始めの病気を癒やしたり、回復に向かう対象の容態を安定させる魔法。……これでもう、アミさんも安心ですわ」
本当に安堵した表情のジル。かいてもいない額の汗を腕で拭うしぐさを見せた。そう、これこそがジルがここに来た本当の目的。
よかったね、ジル。
……そして、アミちゃんはジルに最高の笑顔を見せた。
「――ありがとう、お姉さん……ううん、聖女さま!」




